誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

大学入試における試験監督の「談笑」の件についてちょっとだけ

私自身は国語教育が専門ではないのですが、周辺領域にいる大学教員として気になる話です。

togetter.com

Yahoo!ニュースでも記事を見かけました。

news.yahoo.co.jp

まず一般論として傍線がカッコ(閉じ)などの記号類にかかっているかどうかが入試の解答に影響を与える可能性はあります。しかしやはりテキストと問題がないとその重要性は判断できないので、ここに出ている情報だけで大した修正ではないといった判断をするのは難しいです。ただたとえテキストの読解や問題への解答に大きな影響がなかったとしても、受験生の行動に影響があるなら入試の問題としては些細なことと切って捨てるのは難しいというのが私の感覚です。

ここで「談笑」(のように捉えられてしまう行動)があったのが事実だとしても、その監督員?がこの修正をどのように捉えていたのかもやはりここで出ている情報からは決めがたいように思います。訂正の情報だけ見て大したことないと思った可能性もありますし、試験問題をじっくり自分で解いてみたからこそ重要ではないと判断したという可能性もあります。

仮にこれが実際にそれほど大したことはない修正だったとして、それがなんだか必要以上に大事になってしまう(と感じられる)ことがつらいなという感覚自体は分かります。しかしそのような性質の入試が人生に大きな影響を与える社会の維持に関わっている度合いはほとんどの受験生より大学教員の方が大きいでしょうから、その点を考慮せずに大学教員が受験生や大学入試を安易に馬鹿にするようなことがないと良いなと思います(嫌な予感がしてあまりTwitterを見る気になりません)。

数少ないペーパーテストが人生に大きな影響を与える制度は特にやり直しがききにくい社会の下では好ましくないとは思うのですが、多くの大学では入試の回数を増やすといった余力はまったくなさそうです。(外部委託などの方法は取らずに)今後もしそのような流れになったら、大げさではなく誰かの健康や命がさらに損なわれるということではないでしょうか。