誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

0で割る割り算の思い出

今でもよく覚えている0で割る割り算に関する体験談を記録も兼ねて書いておきます。いつか書く予定ではあったのですが、ここ数日Twitter(現X)で学校教育における0で割る割り算についての発言をいくつか見かけたので良い機会かなと思いました。特に何か論じるとか主張があるというわけではなく、単純に思い出話です。

先日書いたように高校は沖縄県立球陽高等学校の理数科というところの生徒でした。

文転?の思い出 - 誰がログ

これから書くのは確か高校2年か3年のできごとなので今から30年近く前ですね。なので細部はだいぶ忘れてしまっていますけれども、今でも印象に残っています。

ある数学の定期試験のわりと大きな問題で、いくつかのステップを踏んで最後の答えを出す前の計算が0で割る割り算になっている問題がありました。

結果から先に書くと、それは問題の内容が間違っていて出題した教員は意図してなかったものだったそうです。終了後にすぐ解説がありました。

この問題に対してどういう対応が取られたかというと「0で割ると正答は「不定」となる。出題が間違っていたが全員を正解にするというようなことはしない(間違った答えを正解にはできないので)」というものでした。

確か正答者はそれこそ0だったんじゃなかったかな。当時かなり数学が得意な同級生もいたので誰かが正答していても不思議ではないのですが、それならそれも記憶に残っていそうです。

ちなみに私は「0」と解答して間違いという扱いになりました。「0で割ることはできない」という確信はあったのですが「不定」という表現は知りませんでした。記述式の試験だったので今思えば回答欄かその側に「0では割れないと思います」とか書いておけば良さそうなものです。でもそういうことに機転が利く生徒ではありませんでしたね(今でもあやしい)。「0」という解答はダメそうだと思いつつ可能性があるとしたらこれくらいかなという気持ちで書いたのだったと思います。これも今振り返ると受験生っぽい思考法だという感じがします。

さてこんな扱いを受けた私でも「教科の内容(数学的な正確さ)を重視して変な譲歩をしない姿勢は信頼できるな」という印象を持ちました。私の周囲でも文句はあまりなく「うちの学校(の数学の教師陣)っぽい対応だ」という感じだったと記憶しています。もちろん私の知らないところではもっとネガティブな反応があったかもしれません。

先の記事にも書きましたけど私は数学の教員にはあまり悪い印象を持った記憶がなく、こういうエピソードが思い出になっているというのは自分が考えていたより幸せなことなのかもしれない、とTwitterなどで学校教育に関する話を目にするたびに思います。