誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

そのうち来る,沖縄の基地や歴史のことを我が子に(くわしく)話すとき

私自身の基地に関する思い出を以前書いたことがありますので,よろしければこちらも合わせてどうぞ。

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我が子(3歳児)は東京生まれ東京育ちなのですが,私が沖縄(沖縄市)出身なので,年に1回は沖縄に行きます。

東京ではなかなかしないこともいろいろできるので,もう2歳児の頃からなかなか楽しんでいるようでしたが,今回,私の実家の上空を米軍機が通ったときに我が子が言った「かみなり?」という一言にはっとしました。

恐がったというよりは突然でびっくりしたという様子で,その場では「飛行機だよ」とだけ返して終わりました。でも,そのうち沖縄の基地や歴史のことを話す日が来るんだな,と。

「そんなの今まで考えなかったの」と思われるかもしれませんが,今までは小さいこどもと飛行機やバス・車で長時間移動して自宅とは違うところに数日間泊まる,という課題をいかに安全に問題なくこなすかに必死だったので…

こどもがはじめて自分で行きたいと言って行った,美しい海で小さい波とたたかっている頭上も米軍機は通っていきましたし(あまり音がしなかったのと必死だったので気付かなかった模様),美ら海水族館に行く途中で辺野古関係の座り込みを車中から見かけたりもしました。私の父がやっている畑に行く途中も米軍の敷地のそばを走ります。新しい施設について話す大人達の会話に出てくる「ここは返還された土地で…」という意味もそのうち分かるようになるでしょう。

もちろん沖縄にもいろいろな土地があるのですが,やはり基地は思わぬところにも顔を出すのですね。そのうち屋根に乗っているシーサーとかあちこちにある石敢當とかの存在に気付くようになっていくでしょうけれど,そういう沖縄戦と基地に関するものにも気付くことがあるかもしれません。

私の父はアメリカ統治下時代や方言札を直接経験していますので,もしそういうことについて話を聞くことがあれば,こどもにとって良い体験ではないかと思います。

私自身は,沖縄のことについては下記の記事に書いたように今住んでいる人たちの意志を尊重したいと考えているのですが,こういう話すことについてはもう少し気軽にやってもいいのかと考えるきっかけになりました。こどもには,いろいろな地域や文化やことばがあるということは沖縄に限らずできればいろいろな形で体験してほしいです。

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大学の授業に「もぐる」こと

下記の記事で紹介されている事例だが,その大学のシステムだけでなく,個別の授業で採用されている方法といったかなり細かいことまで調べないと,なんとも評価はできないと思う。

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この記事への反応としていくつか見られる「大学による」ということなのだが,こういう「○○による」という話はくどいぐらいにはっきり(そして具体的に)言い続ける方が良いと思うので簡単に書いておく。

まず大学によるという話で言うと,私の勤務先の総合大学(の私が知っている範囲)では,上記の記事で紹介されているような厳しい出席管理はされていない(そもそも教室にカードリーダーがない)。少なくとも大学や学部レベルでそのような要請や推奨はない。特に確認はしないが,私の講義の授業にも,たまに「モグリ」の学生はいるようである。

次に授業によるという話。たとえば私の授業に関して言うと,専門の講義の授業であれば問題はないが,演習の授業だと受講生の発表のハンドアウトが足りないというような問題が起こるかもしれない。あとコンピュータや実験機器を使うような授業,フィールドワークやインタビューの実習の授業で予定されていない受講生が増えると安全面等いろいろな面で問題があるだろう。

最後に,教員によるという話がある。大学や組織,授業の性質にもよるが,大学の授業の運営方法はかなり担当教員による裁量が大きい。以前非常勤で行っていた大学で教室にカードリーダーが設置されているところがあって,試しに出席を取るのに使ってみたことがある。実感したのは代返が簡単にできてしまうシステムではないかということだったが,あれを厳しく運用すれば,今回話題になっている授業のようなことができただろう。ただ,カードリーダーによる管理というところがインパクトがあったのかもしれないが,そうでなくても授業に知らない受講生が入り込んでいたら注意する教員は昔も今もいるのではないか。それは授業内容に理由があるかもしれないし,教員のポリシーや好みによるかもしれない。

この話に出てきている大学や授業(の仕組み)の良し悪しに評価を下す前に,こういうことについても考えてもらえると,大学関係者としては嬉しい。

授業を担当する側としては,ある程度継続的に参加したいなら,聴講であっても事前に言ってもらえると助かるなと思う。聴講生がいることが分かっていると,(同じ大学に在籍していれば)履修していなくてもLMS(学習管理システム)に登録することで授業の資料が簡単に配付できたり,教室変更や休講の連絡がしやすくなったりする。はっきり聞いてしまうと断られるんじゃないかという不安とか,そもそもめんどくさいという気持ちもよくわかるんだけどね。

そういえば,さいきんはLMSで授業の資料が配付されることが多いと思うのだが,紙の資料を配付する方法と比べて「もぐる」のが難しくなってしまっているのではないだろうか。

追記

書き忘れていた。上記の記事への反応として,「自分で勉強しろ」というのが複数あったのが少し気になった。確かに,大学で学ぶ内容には人にもよるが独学でかなりの程度いけるものもあり,良い大学であればそのための環境もかなり整備されている(余談だが,さいきんは大学図書館で学習や研究の総合的なサポーターとしての役割・機能に力を入れているところもあるので,いろいろ相談してみると良い)。自分で学ぶ姿勢が重要というのもその通りである。一方で,独学では容易にたどり着けないような話や世界に(不意に)接することができるのが授業の良いところでもある。また,自身である程度学んでから授業に臨むとそれ以前とは違ったレベルで理解が進むというようなことがある。在籍している人は授業や教員と独学できる環境のどちらもうまく使ってほしい。

大連と反日デモの思い出

さいきんの日韓関係の悪化が心配なので,少し関連しそうなことを書いておこうと思いました。私は大学院から日本語の研究をしているので,韓国(と中国)出身の留学生,研究者と接することが多いです。それが日常だったので,いわゆる「嫌韓」が最初に話題になったときは現実感がなかったのを覚えています。

先に書いておくと,特に良いアイディアや提案があるわけでないです。ただこういう個人の体験談を書き記しておくことも重要なのではないかと考えていまして。

さて,たぶん2010年だったと思うのですが,中国の大連大学で行われた日中韓の言語や文学の研究者を対象にした国際フォーラムに参加しました。大連の街中を日本から参加した研究者数人で歩いていると現地の人に突然話しかけられ,中国語のできる研究者がなにやら話しています。その直後に会話の内容を教えてもらったのですが,「今日南の方で反日デモがあったらしい。気をつけて。」というようなことを教えてもらったそうです。まったく予想していなかった話題だったので驚きました(フォーラムや食事の場でそういう話題が出ることは予想していましたが)。

大連が今も日本といろいろ交流のある街であることは聞いていましたが,一口に中国と言ってもいろんな街がありいろんな人がいるということを実感できた,私にとっては貴重な体験でした。こうやって書いてみると当たり前のことなんですが,実際に体験するとやはりインパクト大きいですね。

国という制度がある以上,国と国の関係という問題は避けては通れませんが,それとはある程度独立した形で人と人が実際に交流しているということがとても大切なのだと思います。上で書いたのとは別の機会に日中関係が悪化したのでイベントが延期されるというのも体験したこともあり,そういう,個人間の交流(研究だと大学や研究組織間の交流もセットになることが多いですが)の機会やルートが減ってしまうことに対しては強い危機感があります。今だと,SNS上の交流もいろいろありそうなので,チャンネルの数やタイプが増えていっていると良いなと思うのですが。