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歯切れが悪いのは仕様です。

「激おこぷんぷん丸」の形態的分析試案

 ついったーで「激おこぷんぷん丸」の国語教員による分析・品詞分解が話題になっていて、
www.yukawanet.com
どうなのかなあ、みたいなことをつぶやいていたのですが、けちだけつけていてもあれなので即興で分析。
 以下の内容は関連文献の調査とかしてませんので細部は結構適当なところもあります。色々叩いて遊んでみてください。

前提と方法

 先頭の要素から分解しながら、その要素をどう考えるのか少し考察する。ちなみに
語:≒自由形態素。単独で句・節・文の構成要素になることができる
接辞:≒拘束形態素。単独で句・節・文の構成要素になることができず、自由形態素にくっついて現れる
という粗い定義を採用している。

「激」

 「激だ」「激を」などの用法は今のところ見つかっていないので接頭辞とする。
 「強い」「はげしい」といった意味で漢語の構成要素となる(例:激痛、激減、激戦、…)のが一般的であると思われるが、他にも

  • 動詞連用形(あるいは連用形名詞)に付加:激疲れ、激太り、激やせ、…
  • 形容詞に付加:激高(だか)、激寒(さむ)、激まず、…

などのように和語に付く接頭辞的な用法も存在するようである。この場合、「超」などと同様、程度が甚だしい様を表すものであると考えられる。
 形容詞への付加に関して興味深いのは、「激さむい」「激まずい」というようにイの形になるよりも、語幹で切れる上述のような例がよく使用されているように見えるという点である。「激まずな」というような活用が可能に見えるのでおそらく形容動詞(ナ形容詞)になっているのではないか。
 これは接頭辞「小(こ)」などが形容詞のイ形にもそのまま付加できる(例:小汚い、小暗い、…)のとは対照的である。ただし接頭辞「大(おお)」などは形容詞に付いて形容動詞を作ることもあるので(例:大甘な)、「激」の場合はより名詞的な要素に付く、あるいは付加した基体を名詞的にするということがあるのかもしれない。
 後述するが、付加している「おこ」は名詞/形容動詞語幹のようなので、その点でも「激おこぷんぷん丸」は貴重な例である。

「おこ」

 少なくとも二年前に「おこ」で「おこだ(≒おこっている)」という例が可能であることを複数の話者に確認済みである。その際「激おこぷんぷん丸」という例は採取できていない。従って個人的には「激おこぷんぷん丸」が「激怒(げきど)」の読み間違いから、というような説は疑わしいと考えている。
 「おこだ/おこだった」などが可能なことから、「おこ」は(接辞というよりは)語であると推測される。名詞か形容動詞なのかは判然としない。筆者は「おこの(友達)」「おこな(友達)」双方に遭遇したことがあるが、検索にやや工夫がいるため今後の調査・研究が待たれる。

「ぷんぷん」

 形態的には「ぷん」で一度切れるが、特に問題も無いように思われるのでまとめて述べる。
 オノマトペ形態素ということで問題は無いであろう。2モーラの繰り返しのオノマトペには色々な分析がある(例:反復(reduplication)と分析して単一の形態素からコピーして二つ目の同一形態を作り出し、元の形態に接辞付加する、など)が、「激おこぷんぷん丸」の分析にはそこまで関係が無いように思われる。

「丸」

 固有名を形成する用法と考えると、接尾辞であろう。直前にアクセント核を位置させるという特徴がある。

全体の構造について

 「激」が「おこ」を修飾しているように考えられるという点以外、今のところ特に決め手は無い。従って、

1. [[[激][おこ]][[ぷんぷん][丸]]]
2. [[[[激][おこ]][ぷんぷん]]丸]

などの可能性がある。
 「激」が「おこぷんぷん」全体を修飾している可能性なども考えるとすると、他の構造も考慮しなければならなくなってくる。
 修飾関係をもって語構造を決定して良いのかというのは本エントリの射程を大きく越えるのでここでは論じないが、連濁など音韻的な手がかりに乏しいように見えるので難しいところである。

追記(2013/06/18)

 品詞分解との対比で分析を行ったため、語全体の性質や複合名詞やroot/synthetic compoundとの関係については触れることができなかった。

【研究ノート】「ドラゴンクエスト」シリーズにおける呪文名の形態論的記述に向けて

0. はじめに*1

 本稿は「ドラゴンクエスト」シリーズにおける呪文名に対する形態論的な観点からの記述の準備として、記述方法や論点、重要なデータの整理を行い、議論の足がかりを作ることを目的とする。従って全ての呪文名を取り上げることはせず、形態論的な派生関係や接辞類の考察に有用だと考えられる呪文名を主に取り扱う。また、各語彙/形態素の由来・語源は考察対象としない。
 できるだけ多くの現象・論点に言及しようと務めた結果、全体としては雑駁な論考になってしまったが、今後の研究の叩き台となれば幸いである。

1. 対象と方法

1.1. 記述対象

 「ドラゴンクエスト3」の呪文名を対象とする。なお、呪文(名)とその効果については以下のページを参考にした。

3のみを取り上げる主な理由は、3においてその後のシリーズにも引き継がれていく呪文の基本系統がある程度出揃い、また体系的な記述を行うのに魅力的なだけのデータ量があるという点である。4以降も基本的に呪文は増える傾向にあり、特に9において多くの呪文が追加され形態論的な考察には向くが、筆者が8および9は未プレイであり内省に自信が無いこと、また複数の作品を取り扱うと作品によって効果が異なる呪文の取り扱いが複雑になることから今回は対象を3に絞ることとした。しかし、考察の都合上他作品に登場する呪文(名)に言及することもある。

1.2. 派生に関わる素性

 文法的素性とその値としては次の二種類を仮定し*2、以下にある例のように記述する。なお、《威力》は「ダメージ」「成功率」の両方をカバーする素性である。

  1. 《対象》:値としては[+単体][+グループ][+全体]
  2. 《威力》:値としては[+増][+減][+最小][+中][+最大]など

例:ベギラマ:《対象[+グループ]》《威力[+中]》
 《威力》の値としての[+増][+減]は相対的な威力の変化を担う素性であり、[+最小][+中][+最大]は絶対的な威力の程度を担う素性であるとする。両方を仮定する理由は、同系統にある呪文名が段階的な派生を経ている場合と、最小威力の呪文名から直接派生されていると分析できる場合があるからである。たとえばメラ系を例にとると、最大威力の「メラゾーマ」は、形態上は中威力の呪文名「メラミ」を経ているわけではなく(=「ミ」という形態を含まない)「メラ」+「ゾーマ」という構成によって「メラ」から直接的に得られる。相対的な威力の変化と呪文名の関係については以下の記述で具体的に述べる。
 なお、「火炎」「回復」「すばやさ上昇」といった各呪文系統が持つ特徴は形態的派生によって変化することがほぼ皆無なので、文法的素性ではなく語彙的特徴であると考えたい。また、たとえばギラ系は常に《対象[+グループ]》であり派生による値の変化は起こさないが、このような場合は語彙に指定されている文法的素性としておく方が体系的な記述のためには良いと考えられる。

1.3. 語幹の認定について

 語幹は「語形同士の差異から切り出すことのできる接辞類を除いた最大の部分」とする*3。なお便宜上、形態素境界が音節を分断する場合はローマ字表記とし、それ以外は片仮名表記を用いる。分析の方法によっては語幹の範囲の可能性が複数考えられる場合もあるが、本稿では取り上げない。

2. 接辞類

 「ファイナルファンタジー」シリーズにおける接辞「ラ」「ガ」に比べると、規則的あるいは生産的な接辞は比較的少ない。ここでは、複数の呪文系統に出現しかつ派生に関わる形態素を接辞と考えておく。

2.1. 接頭辞「ベ」
  • 該当する語形:ベホイミ/ベホマ/ベホマラー/ベホマズン、ベギラマ/ベギラゴン、

 「ホイミ」→「ベホイミ」、「ギラ」→「ベギラマ」の派生を考えると《威力[+中]》あるいは《威力[+増]》の素性を担うのではないかと考えられる。「ギラ」→「ベギラマ」の例では「べ-マ」が接周辞(circumfix)であると考えることもできるが、以下に述べる接尾辞「マ」の存在や日本語が基本的に接周辞を持たない言語であることを合わせて考えると、「べ-マ」は接尾辞と接頭辞のペアであるという可能性が高いように思われる。

2.2. 「マ」
  • 該当する語形:ベホマ/ベホマラー/ベホマズン、ベギラマ、バギマ、(マヒャド)

 基本的には接尾辞であろう。「バギ」→「バギマ」の派生から《威力[+中]》あるいは《威力[+増]》の値を持つ接辞ではないかと考えられるが、「ベホマ」が「ベホイミ」からの派生であると考えると、《威力[+増]》である可能性が高い。しかし、ホイミ系に現れる「マ」は「ミ」の音変化と分析できる可能性もあり、現段階では強い証拠とは言えない。
 「ヒャド」→「マヒャド」の場合の「マ」は《威力[+最大]》の値を仮定する必要があるため上記の接尾辞の「マ」との共通性がそこまで見られないが、英語の"en"のように接頭辞としても接尾辞としても現れる接辞(例:en-rich, sick-en)の例も無いではない*4し、《威力》という文法的素性に関わるという点では共通しているのでここでは括弧書きで示しまとめて記述しておくこととした*5
 また、シリーズ4で出てくる「ラリホー」→「ラリホーマ」の派生では「マ」の付加により《威力》の値が変化していて上記の接辞「マ」との共通性が見られる。しかしこの派生では同時に《対象》の値も[+グループ]から[+単体]へと変化しており、シリーズ5〜8では再び[+グループ]の値を取り戻しているものの、シリーズ9では[+全体]に変化し、「ザラキーマ」「メダパニーマ」における《対象[+全体]》の値を持つ「ーマ」に合流していった様子が見て取れる。これは「ラリホー」の語幹末の長音と接辞「マ」の組み合わせが直前の音節の長音化の力を持つ「ーマ」に再分析されていった過程であると考えられよう。

2.3. 接尾辞「ズン」
  • 該当する語形:イオナズン、ベホマズン

 「イオ」→「イオナズン」の派生から《威力[+最大]》の値を持つと分析したいところだが、「ベホマ」→「ベホマズン」の派生を見るとむしろ《対象》の値が変化しており([+単体]→[+全体])、文法的素性というよりは「その系統における最難度」を表すような接辞であるのかもしれない。
 なお、「イオナズン」の「ナ」は「イオラ」の「ラ」の音変化の可能性も考えられ*6、そうすると「イオラ」→「イオナズン」という派生関係になるので、「ズン」に指定されている素性は《威力[+増]》であると分析できる可能性も浮上する。現段階では考察に該当する語形が少なすぎるので、今後新しい呪文名が出てくることに期待したい。

2.4. 「ラ」
  • 該当する語形:イオラ/(イオナズン)、ザラキ、(ベホマラー)

 「イオ」→「イオラ」の派生からは《威力[+中]》あるいは《威力[+増]》の値を持つ接辞であると考えられるが、「ザキ」→「ザラキ」の場合は《対象[+グループ]》かつ《威力[+減]》の値を付加するため両者の共通性は見えにくい。「ザラキ」の場合「ラ」は接中辞(infix)であるが、接中辞は接頭辞に近い性質を示すものは存在する*7一方、接尾辞に近い例は(管見の限りでは)あまり無いということも考慮すると、接尾辞「ラ」との共通性についてはやはり疑問が残る。
 この接中辞の「ラ」は《対象[+グループ]》かつ《威力[+減]》の値を持つという点では「ベホマ」→「ベホマラー」に見られる「ラー」との共通性が見て取れるが、長音の存在が気になるためここでは括弧書きで示している。「イオナズン」が括弧書きで示してあるのは前項目「ズン」で述べた分析の可能性を取ると「ナ」は「ラ」が音変化したものとも考えられるからである。以上のことを合わせると、「ラ」を接辞としてたてるにはまだ根拠が弱いのではないかと思われる。

2.5. 接辞とその機能について

 以上見てきたように、複数の環境に生起する少数の接辞についても、素性やその値が一定でないことが多い。ここでは接辞と文法的素性を対応させた記述を行ったが、各系統に単なる呪文のレベルのようなものを設け、そのレベルと接辞が対応すると考える方がすっきりした記述が可能になるかもしれない(cf. Word and Paradigmモデル)。また、各接辞は単に形態的な差異を表すという機能を担っているだけという可能性も考えられる*8

3. 各論

 全ての派生関係を取り上げることはできないので、ここでは特に興味深いものについて考察する。

3.1. ヒャド系

 1.3で示した定義からは、語幹は「hyad」ということになる。では「hyad-o」の「o」は何かという疑問が浮上してくるが、「ヒャド、マヒャド」対「ヒャダルコ、「ヒャダイン」という後続形態素の有無による対立を考えると、「hyad-o」は露出形、「hyad-a-」は被覆形ではないだろうか(例:「雨 ame」対「雨傘 ama-gasa」、有坂(1934))。しかし、露出形-被覆形には/o/-/a/という母音のペアが存在しないという問題点はある*9
 さらに、この系統の呪文名はその形態的派生に《威力》と《対象》の二つの素性が関わるためか「ヒャダイン」という語形の存在と後続シリーズにおける消失という体系性から見ると興味深い現象が見られるが、この問題については稿を改めて論じることとしたい。

3.2. すばやさ、守備力増減系

 まず、ルカニ系の語幹は「rukan」、スカラ系の語幹は「suk」となり、上記ヒャド系と同じく閉音節で終わる語幹を持つことを指摘しておきたい*10。また、シリーズ9で「ピオリム」に対して「ピオラ」、「ボミオス」に対して「ボミエ」という呪文が登場していることは、「ルカニ-ルカナン」、「スカラ-スクルト」という対立に対応する形で体系の“あきま”を埋める動きとして注目に値する。

4. おわりに

 以上、非常に荒いものではあるが具体的な記述、分析例を示した。以下では主に残された問題、今後の課題について簡単に述べたい。

4.1. 音韻論的観点からの記述

 本稿ではアクセントについて記述することはできなかった。形態的派生とアクセントパターンの関係についての記述および考察は重要である*11。また、同系統内では基本的な呪文ほどモーラ数が少なく、強力な呪文ほどモーラ数が多くなる傾向にあることも形態論的な観点からは気になるところである。

4.2. 歴史的変遷

 1.1で述べたように基本的にシリーズ3を対象としたため、語形あるいは体系全体の歴史的変遷についてはほとんど考察することができなかったが、いくつか指摘したように興味深い体系の変化は見られる。ちなみに作品内での時間関係よりは、現実世界での作品の時系列に沿った方が言語学的な研究には向くのではないかと考えている。

4.3. 対照研究の可能性

 他体系(ファイナルファンタジーシリーズ、ウィザードリィシリーズなど)との対照研究も興味深い所ではあるが、そのためにはまず各体系における魔法名、呪文名の記述が必要であろう。ドラゴンクエストシリーズとともにそれらの研究が今後盛んになることを期待してやまない。

4.4. その他

 他にも本稿で接辞として取り上げることのできなかった派生に関わる形態素(例:「ベギラゴン」の「ゴン」など)をどのように扱えばよいのかという大きな問題が残されている。それと対になる問題であるが、各呪文系統の具体的な分析もほとんど示すことができなかった。先に述べたようにドラゴンクエストシリーズの呪文名はそれほど体系的な派生関係を作っていないように見受けられるが、だからこそ形態論的には興味深い研究対象になるとも考えられる。今後の研究の発展が楽しみである。

引用文献

  • 有坂秀世(1934)「古代日本語に於ける音節結合の法則」『国語と国文学』11(1).(『国語音韻史の研究 増補版』, 1957, 三省堂 所収)
  • 川端善明(1997)『活用の研究1』清文堂出版.
  • Kitagawa, Chisato and Hideo Fujii(1999) “Transitivity alternation in Japanese,” Papers from the Upenn/MIT Roundtable on the Lexicon (MITWPL 35): 87-115.
  • 松本克己(1995)『古代日本語母音論―上代特殊仮名遣の再解釈―』ひつじ書房.
  • 坪井美樹(2001)『日本語活用体系の変遷』笠間書院.

補遺(という名の追記)

 接中辞(infix)についてはアメリカ英語の-fucking-を例に書いたことがある。参考にされたい。

*1:本稿の執筆にあたって黒木邦彦氏、吉村大樹氏をはじめ数名の言語研究者諸氏より貴重なご指摘をいただいた。記して感謝したい。もちろん本稿における不備や誤りは全て筆者の責任である。

*2:《威力[+最小]》の値などは記述の際は未指定としてよいかもしれない。

*3:本稿では「語幹/接辞」や「派生/語形変化」などの概念をどのように考えるのかという問題には立ち入らない。

*4:ただし、ここでの"en"は派生接辞であり屈折接辞ではないことに注意されたい。

*5:さらに、「メラゾーマ」も「メラ-ゾー-マ」のように分解すれば接尾辞「マ」が含まれていることになるが、理論的にも経験的にもその根拠が弱いためここではその可能性を指摘しておくだけにしたい。

*6:黒木邦彦氏の指摘による。

*7:オーストロネシア系の言語に見られる接中辞には頭子音の存在の有無により接頭辞としても振る舞うものがある。

*8:形態的な差異という要因が屈折形態論において重要であるという研究はたとえば坪井(2001)などを参照されたい。また、Kitagawa and Fujii(1999)は自他両用の形態素-eについて形態的な差異を表す機能を持つというような分析を提示している。

*9:松本(1995)、川端(1997)には上代語における/o/-/a/の母音交替の例が提示されているが、いずれも語幹内の母音の対立で意味の変化に関わり、後続要素の有無には関係が無いようである。

*10:他には「ザオラル」「ザオリク」の語幹「zaor」が挙げられる。

*11:ドラゴンクエストシリーズの呪文体系 - Wikipediaの「ボミエ、ボミオス」の項目でなぜかここだけ「アクセントは「ボ」」という記述がある。

用語「理系」「文系」撲滅試論

そろそろ「理系」「文系」という言葉の使用を禁止してはどうか。less than a minute ago via Tween

※注意点:私は理系文系学の専門家ではありません。

はじめに

 「理系」「文系」という言葉を使い続けるにはデメリットが多く、特に使い続ける必然性も特に思いつかないので、いっそのこと使用を一切やめることを提言する。
 なお、本稿では言葉の使用のみに焦点を当て、教育システムの問題は取り扱わない。

「理系」「文系」という言葉の問題点

1. 定義が曖昧である

つまるところ、まともな議論がしたい場合には、「文系/理系」を

  • 高校での所属科、入試に必要な科目、大学での学部/学科などの被教育歴
  • 大学やその後携わっている専門分野の性質
  • 職種

などで区別するのか、それとも

  • 文章の書き方や論の進め方における特徴、あるいは得意な技術
  • 「理屈っぽい」とか「感情的になりやすい」とかいう漠然とした性質

に対する手近で適当なレッテルとして用いるのかぐらいは意識しないと、大分すれ違いが起こりそうだよなあ、という気がします。
理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ - 誰がログ

 定義をすりあわせてから議論を始めること自体が困難である場合も少なくない。また、この曖昧さの危険性は、そこに起因する誤解やすれ違いが罵倒や殴り合いまで発展することがあるというだけではない。定義が曖昧なために、「これだから理系/文系は…」という新たな偏見が生まれ、固定化されるのを防ぐことができない。

2. 特定の領域の代わりに使用されてしまうことがある
 実際には「理系」「文系」という言葉を用いていても、「物理学」や「文学」といった非常に特定の分野のことしか指していないケースがしばしば見受けられる*1
 このため、「文系には実証という過程が無い」などといったトンデモな発言さえ割とさらっと出てきてしまう。恐るべきことに、これはアカデミックな世界に職を持つ専門家から発せられることもあり、げに恐ろしきは「理系」「文系」という用語の魔力、といったところであろうか。この用語を使わなければ、たとえば上の発言は「哲学には実証という過程が無い」といったものになるので、後は哲学者にフルボッコにしてもらえばよい*2

3. 雑な一般化を誘発する
 1および2にも通底する問題である。この言葉が存在するために、「理系は〜」「文系は〜」という「理系文系性格判断」とでも呼ぶべき大変雑な一般化をしてしまうのではないかと推察される。
 自分の体験談や伝聞を含むごく少数の例からの一般化など厳に戒められているはずの大学院生やプロの研究者にもこの魔境に絡め取られてしまうものは少なくないという頭の痛い事実を考慮すると、血液型性格判断のケースのような啓蒙をするよりも、用語の使用を辞めてしまった方が効率的であると考える。

4. 他の「〜系」が新設し難いために、二分法に陥りやすい
 すなわち、理系=非文系、文系=非理系という意味で用いられてしまい、さらに話がややこしくなる危険性がある*3。1で述べた「定義が曖昧である」という特徴とコンボになることにより、実際にそれを見抜き指摘するのは案外難しいようである。
 なお、第三(以降)の勢力として有力なものにはすでに「体育会系」があるが、「理系」「文系」と同じく定義が曖昧であり、さらに「理系」「文系」と必ずしも排他的関係に無く*4、「体育会系」という用語使用の強化が新たな混乱を招く危険性もある。
 第三、第四、第五の「〜系」を作り出すことができればこの問題は回避できるかもしれないが、それならば既存の「理学部」「文学部」「経済学部」などを使用すればよい。

 以上の問題は、「理系」「文系」という用語を速やかに廃止することによって簡単に克服されるものと考えられる。

代案

 通常は「理学部」「工学部」「文学部」「物理学」「文学」「経済学」「心理学」などを使用すればよい。どうしても上位のカテゴリを使用しなければならない場合は「人文(科)(学)(系)」「社会(科)(学)(系)」「自然科学(系)」を使用することを提案する*5。実際、筆者はここ数年理系文系問題に言及する場合以外はそのようにしているが、特に支障は無い。
 筆者の私的体験という確たる証拠を示したが、不安な方のために具体的な会話例も示しておこう。

Before
A: B君の進路は理系?それとも文系?
B: 理系
A: へー数学大変だね!

After
A: B君の進路は理学部?それとも文学部?
B: 理学部
A: へー数学大変だね!

全く問題無いのが明らかだろう。さらに蛇足ではあろうが、「理学部と理系ってどう違うの?」「しっ!「理系」って言葉は使用禁止だろ!誰かに聞かれたらどうするんだ...」「ごめん、でも「理学部」ってよくわからなくて...」「しょうがないなあ」...のように、会話が発展していく希望も見込まれるという点についても触れておきたい。

さらなるメリット

 「理系」「文系」という言葉の上での単純な二分法を無くしてしまうことは、どちらかと聞かれると困ってしまう分野(心理学など)の人々や、「数学の必要性」が大変重要なファクターであるにも関わらず、「理系」じゃなくて「理数系」だろ!と主張することの無い*6奥ゆかしい数学徒諸氏にも、眉をひそめる機会の少ない社会を提供できるものと信ずる。

考えられうるデメリット

 用語「理系」「文系」を使用しないことによるデメリットはあまり思いつかないが、唯一「理系の人々」シリーズ

などのタイトルを今後どうすればよいのかというのは頭が痛い問題である。

おわりに

 本稿では、数学が苦手で理学部・工学部以外を選択→卒論で突然統計が必要に→学生「えっ」教員「えっ」というような問題には踏み込むことができなかった。これは教育システム上の問題とも深く関係するので、理系文系学自体の発展とともに今後の研究の進展を望むものである。

*1:単に他分野のことまで考えが至らないのか、戦略的に行っているのか、というのは興味深い論点であるが、稿を改め論じることとしたい。

*2:哲学者の食指が動くかどうかは別の問題である。

*3:筆者の体験では、後者の方が多く観察された。

*4:ガチ人文系学部の学生でありながら、体育会系の部活に所属してジャージで授業に来たりしていたために、当初一部から「女子学生目当てに授業に来てる体育専門学部の人」という疑惑さえかけられていた私のようなケースを考えてもらえばよい。

*5:どうしても必要な場合は「いわゆる」付きで「理系」「文系」の限定的使用を許可する、という案も考えられる。

*6:少なくとも筆者は見たことが無い。