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歯切れが悪いのは仕様です。

経験論と合理論

 相変わらず言語学以外の学術書もつまみ食いしてます。
 最近立て続けに気になる本がいくつか手に入ったので、ちょこっと紹介を。もちろん言語学と関係無いのもありますが、場合によっては参考になるのもいくつかあります。
まず、

 荒っぽく言うと、我々の皮膚にある感覚受容器について生理学の立場から分析したものです。
 この本の一番のウリは今までの生理学の伝統/常識を覆したというところにあるそう。言語学の観点からは、個々の受容器の分析よりそこのところが興味深いところです。なぜかというと、「これまでの生理学:経験論vs.筆者:合理論」という対立図式になっているからです。経験論と合理論については言語学でも言語獲得において問題になったという歴史がありますが、その対立が他の分野ではどのように立ち現れてくるのか、ことを考えるのに興味深い議論を提供してくれています。
 ただ、筆者の大きな主張は結構説得的なのですが、特に哲学的な議論に関しては荒い、と感じるところもあります。まあ哲学の専門書ではないですし、半分は啓蒙書のような感じで書かれているのですが、読む場合にはその点に注意が必要だと思います。過去の哲学的議論の紹介にさりげなく筆者の主張が挿入されていたりしますし。
 たとえば具体的な議論を一つ。
 筆者は感覚とは全て脳に内在されているもので、外界にあるのは「無味乾燥な」物理世界(物理量)であるという言い方を所々でしています。
 ですが、良く考えると「無味乾燥な」というのも我々の感覚(クオリア?)の一つなのではないのでしょうか。クオリアというとどちらかというと鮮やかな感覚ばかりが例として取り上げられがちですが、その逆も感覚であることに違いは無いでしょう(多分)。
 もちろん「無味乾燥な」というのは比喩表現だと考えれば特に筆者の主張が矛盾しているということにはならないのですが、このような「不注意な」表現がいくつか見受けられるように思いました。


 もちろん具体的な個々の議論は非常に興味深いですし、難しい理論や言い回しもあまり出てきませんので、上のような点に注意しながらでも比較的軽快に読み進めることができます。筆者の研究者としての信念がにじみ出ているような本です。
 副題に掲げられている「生体にセンサーは無い」という一見ラディカルな主張がどのように論証されていくのか、気が向いたら味わってみてはどうでしょう。