TAKESANさんの以下のエントリでのコメントを見てふと考えたこと。
気になったのは一つ目のn_ohsakiさんという方のコメント。以下に引用します。
養老さん、本当にゲームが好きなのでしょうか?
また、昆虫も好きなのでしょうか?私から見ると、そう思えません。
これらが好きだという論拠が見えません。直感でそう思いましたが、論拠も付随させなくてはいけませんね。
ここでは、TAKESANさんのエントリに対するこのコメントの是非を云々する*1とかではなくて、そういえば「好き」って言って良い基準って(人によって)いくつかあるのかなあ、と思ったのです。
※ちなみに、ここから先、僕は「好き」だと言えるための条件の話をしますが、そういった条件があることは、n_ohsakiさんの「論拠を”付随させなくてはいけない”」という(この文脈での)主張を少しも正当化しません。くどいかもしれませんが、一応宣言しておきます*2。
僕は最初、「好き」なのに論拠なんかいらないだろう、と思ってコメントしようかとも思ったのですが、そういえば日常だと次のような会話がなされるようなこともありますよね(かなり簡略化してあるのでちょっと不自然かも知れませんが)。
A: 僕、RPGが好きなんだよね。
B: へー、じゃFF知ってる?
A: いや、それは知らないな…
B: それじゃ、「好き」なんて言えないじゃん!
ここから、次のような条件を考えてみました。
- 知識の証明条件:Xについて「好き」だと主張できるためにはある程度X(に関連すること)について知ってい(詳しく)なければならない。
でもその後こんな展開もありそうです。
A: え?そんなに面白くて有名なゲームがあったんだ!それは今日にでも全部ソフトを買ってこなきゃ!
B: へーすぐにでも全部手に入れたいだなんて、ホントにRPGが「好き」なんだねえ…
この場合はなんというか、やる気を見せることに関する条件とでも言えるでしょうか。
- 情熱の証明条件:Xについて「好き」だと主張できるためにはXについて何らかのコストを払って見せる必要がある。
この場合のコストというのはもちろんお金に限りません。時間や手間なども(もちろん時には複数)一般的でしょう。なんでちゃんと「払う」という行為に限定したかというと、「やるやる言いつつやらないでいた場合」には「やっぱり好きじゃないんじゃん」とか言われちゃいそうだからです。
でもでも、次のような場合だって「好き」と言っていいのではないでしょうか*3。
A: 僕、熱帯魚って好きなんだよねー
B: へー、何か飼ってるの?
A: いや一度も。でもペットショップに行くとつい水槽の前で和んじゃうんだよねー
B: あーなんかわかるー
この場合、例えばBはアロワナの名前すら知らなくても、二人の間で「Bは熱帯魚が好き」という合意は得られるのではないでしょうか。これが僕が最初に考えてた「好き」の基準です。
- 宣言条件:Xについて「好き」だと主張できるためにはXについて「好き」だと宣言しなければならない。
多分、これが一番ゆるいというか、基本になる条件…なのかな(ほとんどトートロジーですしね)?でも例えば、
B: Aってさ、熱帯魚好きだよね。
A: いや、別に。
B: でも、この前偶然見ちゃったんだけど、水槽の前でずいぶん長い間たたずんでたじゃん!
A: でもそんな、「好き」とかじゃないって。
まあ、この場合はAの念頭にある「好き」の基準がBの基準より高いだけなのかもしれませんが、他人によって認められてしまう「好き」ってのもありそうです。
あーなんかきりが無い気がしてきました。とりあえず、僕のごくごく簡単な分析ごっこ(というか妄想?)はこの辺りにしておきます。やっぱり、「好き」って言ってよい条件にはいくつかありそうかなあ、という感じがします。
しかしこれは何なんだろう…言語学的に言うと述語「好き」の意味(多義性)分析、とかになるのかなあ…認知風にやるともっと色々精密な環境と条件を洗い出して、どんなふうに連続的に条件の強さが変わっていくのか、とかできるのかもしれません。言語哲学(分析哲学)の人なら逆に、「好き」の使用を手がかりにした概念分析、とでもなるのだろうか。
ま、こんな妄想を一度考え出したら止められず、こんなにつらつら書きなぐっちゃえるところが、僕が言語に関する考察が「好き」だという証なのかも。
※追記(2007/12/11)
novtan別館の以下の記事にこのエントリに関連して気になった表現があったの言及しておきます。
以下、引用
日本語の好きはかなり文脈から独立した複数の意味を持ちがちで、よほど意味を限定して書かないとlikeなのかfunなのかloveなのかわからないこともあるかな。
なるほど、英語のこれらの単語を引き合いに出して考えるってのは思いつかなかったなあ…ちょっと反省orz
funは他の二つとちょっと毛並みが違うような気もしますけど、英語に関するそこまで鋭い感覚が無いので深入りはやめておきます。
例えばlikeとloveの強さの違いなどを、上の方で出したいくつかの条件を用いて分析できるかというと…まあ、多分できるかな?このエントリの内容はまだまだ荒過ぎですけど、条件の数や内容をもっと洗練させていって、ある程度精密な意味領域の分布図や軸みたいなものを想定して、どの単語がどの範囲をカバーしてるのかってのは結構面白そうな気もします。
ただ、各単語の使い分けを決定している条件自体は、「「好き」だと主張していい根拠」とはレベルの違う領域にある可能性もおおいにあるわけで、実際の分析となるとかなりの作業量がいるのではないかな、と思います。また、いくつかの単語を比べるという分析法はコントラストを出しやすい分便利なのですが、その反面、語彙の使い分け自体に焦点が当たりがちなので、結構注意が必要になりそうです。
…って、何の話をしてたんでしたっけ…追記もなんだか収集できないままになってしまいましたが、詳しく書くと膨大な量になりそうなので、この辺りで止めておきます。言語の話題についてはやっぱり妄想が広がりやすいなあ。
ちなみに、上で引用した記事や、そこで言及されている記事でメインになっているテーマは「好きなことを人生においてどう位置づけるか(生業にする是非云々とか)」で、僕自身にも強く関わる話題なのですけれど、これについては何か表出しておきたいことがまとまったら書くことにします。