誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

色々迷っています

 現在査読誌への投稿論文を執筆中なのでまとまったエントリが書けてません。むしろ普段よりネタは色々あるのですが。この機に今気になっているテーマについてちょっと迷っていることなどをメモしておきます。
 あ、ちなみに論文の内容などについては全然迷ってませんのでご心配なく。どのネタを投稿するかを選択するのに多少時間を使いすぎたので追われてはいるのですが。
 以下、トピックは

  1. 水伝と実験の話
  2. 『対論言語学が輝いていた時代』のレビュー
  3. 「ネット、あるいは言葉でのやりとりに希望を持たない」という主張

水伝と実験の話

 いくつかのところですでに取り上げられてもう大体収束した感があるのですけれど、瀬名秀明氏のブログのこのエントリについて。
 こういうタイプのミステリ、というかホラー?は結構好きなのでkikulogで触れられていた『パラサイト・イブ』の話なんかも興味深いのですけれど、それはひとまずおいておいて、気になっているのは水伝と実験の話。
 水伝って実験に移る前に考えて欲しいことがあるんですけど、という話を以前書いたのですが、今回の瀬名氏のエントリでは水伝は例として挙げられただけで、焦点は(ニセ)科学における「実験」の位置付け、とか科学教育の方法とかいうところにあると思っていたので特に自分のところではエントリを起こしませんでした。でもコメント欄でのやりとりなどを見ていると「水伝における」実験の位置付けについても言及されているような気がするので、やっぱり話題になっているうちになんか書いてトラバ打っとくべきだったかな、とちょっと後悔というか戸惑っていたりします。とりあえず今回は僕の過去に書いたエントリへのリンクだけ貼っておきます。

『対論言語学が輝いていた時代』のレビュー

 以前レビューを書きたい、と書いたのですが、まずshibachoさんのレビューが出ています↓

 この本、日本に帰るまでおあずけかなと思っていたのですが、なんとjediさんがその足でAmherstまで届けてくれた!ので今手元にあって、実はもう八割ぐらいまで読み進めました。
 shibachoさんと僕とではやはり視点がかなり異なりますし、このお二人がなぜ「現在の言語学が輝いていない」などと思ってしまうのかという点については理由を一つ思いついたのでエントリを書く意味はあるかな、と思っているのですが、ちょっと迷っているのは生成文法の話。
 なんというか生成文法の把握に関しては予想以上でした。鈴木先生は「チョムスキーはあまり読んでない」とか言い切っちゃってるし、田中先生の方は『月刊言語』で原口庄輔先生に批判された*1時からなんも変わってないです。というような事情があるので、このレビューを利用して生成文法の誤解について解説、というようなことはできそうにないです。「なんか嫌い」以上のことはほとんど言ってないように思えるので。
 あと、上で触れた原口先生の批判論文の詳しい書誌情報がわかりません(>_<)なぜかCiNiiとかに引っかからないんだもの…まあ必須というわけではないのですがこっちはしばらく調査続けます。
 他のトピックに関しては色々面白い話も出てきたので、予想よりは頭痛がしませんでした。今のところ。残り二割もすんなり終わってほしいです。

「ネット、あるいは言葉でのやりとりに希望を持たない」という主張

 ちょっと前の議論についてのエントリでGenさんのエントリにちょっと言及して、コメント欄でのやりとりでもこのテーマについて「書きます」と言ったのですが、Genさんのその後の追加エントリを読んでかなりやる気が殺がれてしまいました。というわけでやる気を充電中です。これについては内容はほぼ固まっています。
 すいません、万一覚えていて気にしている方がいたらもうしばしお待ちを。ああ、「お前「書く書く」言って書いてないことがたくさんあるじゃないか」とすでに思われているのはわかっているのですけれど。

 取り急ぎそんなところです。あと願わくばこの全身筋肉痛がなんとかならないかな…ここ数日調子に乗って蹴りすぎたようです。それはともかく明日からSALTだ!

*1:ぼこぼこにされた、というべきか。