震災関連のエントリはあまり書く気がしなかったのですが、この件についてはメモと思考の整理のために。ちなみに、カテゴリは便宜上のもので「スクリーニングをニセ科学と決めつけている」というような話ではありません、念のため。
「つくば市、福島からの転入者に放射能検査要求」の件
僕が最初にこの件を知ったのは以下の記事。
以下の記事にもう少し詳しい情報や市町のコメントが出ています。市長の会見がラジオなどで聞けたらしいのですが、それは聞き逃してしまいました。
行政でどういう経緯があったのか詳しく調べたわけでないのですが、つくば市議会議員五十嵐立青氏がこの件について比較的詳しいコメントを発表していて、震災直後からのつくば市の放射線に対する対応の流れを(大雑把に)推測/把握できる情報になっているのではと思います。
スクリーニング(検査)についてはkikulogにこのつくば市の事例についてのエントリができたので、その記事の内容と、コメント欄での情報提供・議論が参考になることを期待しています。まだエントリができたばかりでコメントがそれほど多くはありませんが。
また、取り上げている事例・事情は違いますが、スクリーニングについて考えるにはNATROM氏の以下のエントリも参考になります。
ニュースなどはそれほど見ていないのですが、報道ステーションでは冒頭で取り上げ、「差別である」とはっきり述べている専門家の意見を流していました。
何が「差別」か
この件については、すでにあちこちで議論も出ていますが「スクリーニング(検査)を行うことの是非」と「自治体などの機関が証明書を要求することの是非」はとりあえず分けて考えた方が良いのだろうと思います。「差別だ」と批判している人の多くは後者を問題にしており、「今回の件に限らず、いついかなる状況下でも検査をすること自体が差別」と考えている人は(少なくとも僕の観測範囲では)いないように思います。どのような状況下なら必要/OKかということについては専門家の意見でもある程度は幅が出るのではないでしょうか(行政としての判断となるとなおさら)。
前者について素人の当て推量からは、今の状況下、一般的な引っ越しで他人に影響を及ぼせるほどの放射性物質をどれほど運んでこれるのか疑問に思っていますが(家具などは家の中にあるし衣服などは定期的に洗濯しているだろうし引っ越しを機に捨てるものも多いのでは*1)、楽観的すぎる見方なのかもしれません。
研究学園都市つくば
さて、今回の件のインパクトは「つくば市」だからというところにも少なからずあるように感じています。僕も最初の記事を読んだときは驚いたのですが、それは「研究学園都市なのに」ということよりむしろ、初期のつくば市の震災・放射線に対する動き方とずいぶん異なっている印象があったからです。
僕の印象では、震災後の放射線に対するつくば市の対処は比較的素早く落ち着いたものだったように記憶しています。早い時期に産総研など研究所から専門家を招き対応を急いでいる、という情報に触れた記憶があります。また、震災直後からほぼつくば市の公式アカウントとして機能していたつくば市情報政策課のツイッターアカウント(@tsukubais)も、放射線に関しての正確な情報を提供し落ち着いた対応を呼びかけていたように思います。
「別につくば市だからって特別なわけじゃないよ」というような意見もいくつか見ましたが、それが十分であったかは別として、研究学園都市であることを生かした行政の対応、という試みはなされていたし、ある程度形になっていたのではないでしょうか。それが今回このような形でそれとは逆の評価を受けるようになってしまったのは残念です。上で紹介した五十嵐氏の記事にも「その後こんな事態になってしまっていたとは」というような反省が書かれています。
公式アカウント?(の難しさ)
ここから先は少し感傷的な話でもあります。
上で紹介したつくば市情報政策課のツイッターアカウント(@tsukubais)ですが、このアカウントに助けられたという人は結構多いのではないでしょうか。震災直後はつくば市のサイトもつながらないことがあり、僕などはこのアカウントからの情報が無ければ初期の断水を乗り切るのはかなり大変だったと思います。
ツイッターではだいぶ前に書きましたが、このアカウントを運用されている方がツイッターのシステムにかなり慣れているところから来るのか、フットワークの軽さと情報提供の効率の良さには本当に感謝しています。こういうアカウントには多くの情報と言及が集まってしまうと思うのですが、(特に震災後しばらくの間)丁寧な対応と迅速な情報提供/共有を継続するのはかなり大変だったのではないでしょうか。
さて、そのアカウントに、上記の件で問い合わせや批判などが多く寄せられているようです(ツイッターで"tsukubais"で検索するとわかります)。上に書いたように実質的に公式アカウントとして機能してきましたし、震災を機にフォロワーもかなり増えたと思うので仕方ない状況かなとも思います*2が、このような形での「窓口」としても機能し始めると、フットワークの軽さや、親しみやすい日常のツイートなども以前より減ってしまうのではと勝手に想像して勝手に少しさびしくなりました。
完全に推測ですが、その辺りの良さは、中の人の努力だけでなく、むしろ当初の位置付けはつくば市の代表の公式アカウントではなかったところにも少しあったのではないかと考えていたのです。しかし、ツイッターというツールはもしかしたらそういった「身軽さ」「親しみやすさ」と「公式アカウント」という堅さ・責任をうまく併存させる可能性を持っているのかもしれません。
今回の震災を機にツイッターのツールとしての有用性が注目されているようですが、こういった体験の記録が参考になることも少しはあるかと思い、書いておくことにしました。
追記
これも念のために書いておきますが、僕は「最初頑張ったから大目に見てあげて/あまり怒らないで」などと言いたいわけではありません。今回の件はそれだけで十分批判され、今後の参考にされるべきだと考えています。
ただ、このつくば市の事例について考えるなら(僕の認識が当たっていれば)最初はそれほど変じゃなかったはずなのに、どの時点でか変なことになってしまった点について(も)考えた方が良いのでは、ということです。