上のエントリより(たぶん)さらにマニアックな話。
以下のシンポに参加した覚書。ちなみに一日目しか出られなかったorz
mergeと派生
北原氏の話で英語と日本語の語順の違いをmergeの組み合わせ方や順番の違い(+excorporationの有無、言語個別のPF的制約)から導きだす、という分析を提示していて面白かった。僕はexcorporationには慎重派だったのだけれど、lexiconから述語複合体が取り出されるって方法と違って、Saito & Hoshiがやってたようなsyntaxでまず述語をmergeするってやり方は分散形態論ともぶつからないわけで、考えてみると面白いかもしれない。
面白かったのだけれど、英語で日本語のようなmergeができるかどうか、逆に日本語で英語のようなmergeができるのかどうか言及がなかったので質問紙で聞いてみた…が、質問者三人ぐらいまとめての回答だったので直接の答えは聞けなかった(今考えたら直接聞けばよかったな)。でも、mergeはある程度自由に適用される(と考えたい)、というようなことはその回答の際に言っていた。こういう分析ではその他のmergeの組み合わせ可能性およびそこからの派生がconvergeするかcrashするかどうかを丁寧に検証する作業が必要になるのではないか。
これもtwitterで何回か話題にしたことがある話題。GBとMPの対比で、GBは派生自体は自由で制約によってダメな構造をチェックするのに対し、MPでは派生(の適用)そのものに条件があるみたいなことが言われるけど、MPでも制約的なものが完全に無くなったわけではないし*1、numerationに(あまり)制限が無いと考えると、結局可能なnumerationおよびそこからmergeの可能性全てについてconverge / crashの可能性を検討するのが(メタ)理論的にも研究方法論的にも重要なのではと。特にconvergeする派生ばかり/のみを提示する分析を見かけるとそう思う(もちろんそうではない研究もある)。
何が言語能力か
ところでまたkillhiguchiさんのエントリに関わってくるんだけど、
僕の過去に書いた関連エントリは以下
言語能力の核としてはやはりmergeを考える、という見解は一致していた。ただ、GBの頃に言語能力の一部だとされたものについてもきちんと位置付ける/考えるべきではないかという提案もいくつかあった(特に藤田氏ははっきり言及していた)。僕も上のエントリで似たようなことを少し書いたけど、たとえばいろんなモノをinterface (condition)に落とし込んでいくのなら、今度はinterfaceの理論/モデルの整備が必要になるよね。実際そういう研究や具体的な提言も出てきてるんじゃないかな。僕はsyntax屋というよりはPF屋なので、そういう仕事がやりたい。
おまけ
藤田氏のスライドにanti-lexicalismとか、word as phaseというキーワードが見えたので期待していたのだけれど、そういう部分は時間の都合で全て割愛。個人的には非常に残念だった。
*1:これは今回の北原分析でも出てきていた。形態の表れ方に関する言語個別の制約で、おそらくinterface conditionの一種になるんじゃないだろうか。