以下の本に面白い下りがあったので紹介もかねて。
- 作者: 堀田凱樹,酒井邦嘉
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 新書
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Y「大学時代、授業で習ったチョムスキーの言語学に衝撃を受けましたが、この頃の私にとっては言葉に関する学問というのは、人文科学の領域に存在するものでした。つまり言語学は文系の学問でしかありえない、と。しかし、酒井先生の『言語の脳科学』を読んで、言葉の核にある文法というものが今や科学の世界では遺伝子や脳のレヴェルで解明されようとしていることに、非常に衝撃を受けました。このような自然科学の精密なアプローチによって言語が解き明かされていくならば、いわゆる人文科学的な方法論による言語学というものに、今後まだ、出る幕はあるのでしょうか。」
酒井「チョムスキーは、言語学を自然科学にしたかったので、モデルとして使っているのは物理学の原理です。私がMITで言語学に接したとき、これはまさに物理そのものだと思って感動しました。言語学がこうした理科系のアプローチによってますます発展していくということを確信したのです。
その一方で、人文系のアプローチの良いところは、理科系のような正攻法で進めず、論理的に進めないところを飛躍してしまうところです。たとえば、この文章はうまいとか、人を酔わせるとか、感動させるとか、そういう主観的なものを科学的に解明するのはまだ難しいわけです。人文系の方が、複雑なシステムの本質を、軽やかに見抜いているところがある。心理的な問題だってそうです。脳科学が対象にする精神現象は、精神分析との間にかなりのギャップがあります。私たちは、その溝を埋めていこうと努力をしているところです。ですから、人文系の人たちも、自然科学をあまり毛嫌いしないで応援してくれると、いろいろな新しい可能性が生まれてくると思います。」
堀田「僕も、人文科学的なアプローチがなくなっていくとは思っていません。ただ、強いて言わせてもらえば、人文科学の方は、必死で努力しているのでしょうか。理系の科学者の方は、本当に必死で努力している。そうしなければこの世界で生きていけない。人文系でも命をかけて努力する人は、確実に人文系を開拓していくはずです。自然科学だけではできないことはたくさんあるわけですからね。だから、彼らは本当に勝負しているんだろうかと、正直に言って不満に思うことはあります。勝負していない人たちが行き詰まるのは当たり前。そういうことです。」
(同書, pp.81-83)
Yさんはサイエンスカフェの参加者ですかね。結構厳しいことも言われていますね(^^;
従来の人文(科)学のアプローチ(の延長)でやれることはたくさんあると思います。言語の記述に限っても、できることは色々残されてるんじゃないかな。
ただ、自然科学や工学の人たちと、もっともっと交流を深めてもいいんじゃないかなあ、というのがここ数年の実感。言語学・自然言語処理合同勉強会での体験も大きいのですが、その他でも、他領域の人たちと話していると言語学/言語研究の知見や知識って気にされていたり期待されていたり興味を持たれたりしていることって意外と多かったのですよね。もちろん逆に、言語学の方で自然科学/工学の成果や知識を知っておいたほうがいいだろう、と感じることも多いです。
院生の頃の話に引きつけて言うと、まあこれは別に自然科学に限らないのですが、他の研究分野の院生がどれぐらい勉強/研究しているのか知るってのはとてもいい刺激になるんじゃないかと思います。僕が未だに覚えているのは、理論物理の院生と話をしていて、彼らのゼミの長さとか勉強量とか、何よりそれらが普通だという感覚に衝撃を受けた体験ですね。単純に量とかで比較して勝ち負けとか言えないかもしれませんが、「負けてられない!」と強烈に思いました。今でも思い出せますし、また忘れないようにしています。似たようなことは哲学の院生とか他大の言語学の院生とかと話して感じたこともあるので、別に人文/自然科学っていうような話でもないんですけどね。あと実験系の人たちが実験にかける手間や実験のデザイン/手順の話を聞くと、「事実/現象が何かを明確にすること」がいかに重要で大変なことなのかが再確認できて良かったり。
結局これも人とのつながりって大事だよ、っていう前のエントリの話につながっていきそうですね。自分は院生の頃、本当に良い出会いに恵まれたし、今でも恵まれているなと思います。
ちなみにこの話は2回のまとめの最後に出てきて、これから読む3回のテーマが「手話の脳科学」なのでこれまた楽しみです。