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歯切れが悪いのは仕様です。

書評は難しい&方言(コスプレ)のはなし&卒論についてもちょっとだけ

 思いつくまま書いていたらまとまらない話になってしまった。
 最近、初めて専門誌に研究書の書評を書く機会をいただいた。今最終段階なので、よほどのことがなければ、そのうちここでも紹介できると思う。
 これまでブログなどでは簡単な書評めいたものを書いてきたけれど、やはりというか難しかった。何を書くかにもよるけれど、研究論文よりきついかも、と思ったほど。

書評とその対象

 そんな中、ある書評を読んでああこんな方法もあるのだなとうならされたので紹介。それは、下記の書評である。

  • 日高水穂 (2015)「田中ゆかり著『「方言コスプレ」の時代―ニセ関西弁から龍馬語まで―』」『日本語の研究』11(1): 36-41.

対象になっている本は下記の方言のエントリでも紹介したもの。

この本ではざっくり言うと、「話し手が生まれ育つ過程で身に付けた(一般的に言われる)方言とは違う「○○方言」を使用すること」について書かれている。研究書としても貴重だが、言語研究・日本語研究にそれほどなじみがなくても興味深く読めると思う。実際、上のエントリのブコメやツイッターでも『方言コスプレ』は読んだ、という発言をいくつか目にした。

日高氏の書評

 書評の最後に

 評者は、自らの書評の方法論を、「書を評価する」よりも、「書(研究)の生まれる背景を考察する」ことに重きを置いている。
(日高 (2015): 41)

と述べられているのだが、興味深いと思ったのはそれがあらわれている次の指摘。

 田中氏が「首都圏方言」というものを設定するのも、神奈川県厚木市出身という「首都圏ネイティブ」としての感覚に基づくところがあるだろう。(中略)ただ、首都圏ネイティブの研究者が、首都圏の言語動態を「日本語社会全体の変化の先取り」とする見方を示すとき、非首都圏ネイティブは、それが首都圏ネイティブの感覚に基づくものであることを念頭に置いて理解する必要があるだろう。
(日高 (2015): 39)

これは言われてみると「なるほど」と思うところだが、長年方言研究に携わってきた日高氏が書いた書評ならではと感じた(念のため補足しておくと、日高氏は別に首都圏ネイティブと非ネイティブに対立があるというようなことは言っておらず、むしろ慎重な書き方をしていると思う)。
 書評の機能や目的というのはいくつかあると思うのだけれど、こういう「この人が読んだからこそ」というのが迫ってくる書評、というのは1つの目標にしても良いかもしれない。

方言への言及

 さらに方言のはなしでも興味深い指摘があるので引用しておく。

 ここで気になってくるのは、「方言主流社会」において「リアル方言」が衰退することは、「ニセ方言」の供給源が失われることを意味していないか、ということである。(中略)首都圏方言において「ニセ方言」が台頭し得たのは、「リアル方言」を使用する地域がかろうじて存在していることによると思われる。(中略)生活言語から切り離された「ニセ方言」のみが存在する状態となった段階では、(中略)人々はそれを魅力的な表現として活用するのだろうか。
(日高 (2015): 40)

ここにも方言研究者としての危惧が緊張感をともなってあらわされている。
 最近、自分の授業で「実用的ではない方言を学校教育で教えるということに意義があるのでしょうか」という疑問が提出されたことがあった。僕たちは(言語研究者でなくても)、こういう疑問に対して、きちんとした答えや考えを用意しておく必要があるのではないかと思う。

卒論のテーマに選ぼうと思ったら

 さて、こういう方言コスプレや役割語のいわゆる「ヴァーチャルな」言葉づかいは、やはり授業でもウケがよく、興味を持つ学生も多いようだ。僕はこの『方言コスプレ』の本と、役割語の重要文献である

は、必ず最後まで読み通すようにということを繰り返し言うようにしている。
 なぜかというと、最後まで読むと、しっかりとした方法論と、資料・言語データをきちんと見ることが、こういう研究にとって(も)大変重要だということがよくわかるからだ。きちんと読まずになんとなくおもしろいなと思って卒論のテーマなんかに選ぶとなかなか大変なので学部生の方々はくれぐれもご注意を。