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歯切れが悪いのは仕様です。

日本言語学会第166回大会雑感(ワークショップ、シンポジウムのみ)

はじめに

先週末、専修大学(神田キャンパス)で日本言語学会第166回大会がありました。コロナ禍が本格化して以降はじめての対面形式での開催です(後日録画が視聴できるハイブリッド方式)

www.ls-japan.org

私自身は特に避けていたというわけでもないのですが、いろいろ偶然も重なって再開されてきた対面形式の学会にまだ参加できていなかったので、2, 3年ぶりに会うという方が多かったです。オンラインではいろいろやりとりがあったけれども顔を合わせるのははじめてという方もけっこういました。

さいきん大会運営委員を拝命しましたので(避けられない校務等と重なるような場合以外)しばらくは大会への出没確率が上がると思います。

学会、大会について感じたこと、考えたこともありますが、うまくまとまりませんので2日目ということで少し落ち着いて参加できたワークショップとシンポジウムの感想だけ書いておきます。なお、研究用のメモですので内容や用語の紹介・解説をしたりといったことはしません。

ワークショップ「「南の言語」の派生形態論―台湾南島諸語の語彙的接頭辞の多様性―」

台湾の言語を取り扱った論文はそれほど多くは読んでいないので、存在は知っていたもののこのワークショップでメインテーマになっている動詞的な語彙的接頭辞の詳細な記述、データに触れることができて楽しかった。また台湾の言語間でもかなりクリアな差が見られるという報告は印象的だった。

質疑応答でもアイヌ語などとの比較・対象が話題として出ていたが、今回取り上げられているような意味での「語彙的な」接辞で私がなじみがある(文献を読んだことがある程度だが)のはpolysynthetic languagesとかincorporationが起きるときに見られるなんというか名詞的なもので、台湾の言語に見られる動詞的なものについては(私は)基本的な特徴からよく分かってなかったということがはっきりして勉強になった。

質疑でも確か少し言及が出ていたが、実は接辞をきちんと「動詞」「名詞」と判定するのは難しく(もちろん定義にもよるが)、それで私も「動詞的」「名詞的」という言い方をしている。「項構造を持つ」とか「モノ (thing) を指示している」といった特徴であればもう少し判定がしやすくなるが、それらが「動詞」「名詞」といった品詞・範疇と必ずしもすっきりした関係はないところがややこしい(もちろん言語によって違ったりする)。

ワークショップの議論、質疑応答でも動詞と名詞に形態論的な区別があるかというような話とモノ (thing) を表すか 出来事 (event) を表すかといった話が「動詞」「名詞」というキーワードの下に平行的に出てきていて、それで議論が混乱したようなことはないように見えたが、参加者の中にはフォローするのが難しかった人もいたかもしれない。

個人的には、(動詞的な)語彙的意味を担っているものの語基 (base) になっている方が「文法的」とも見なせるような意味を持っている組み合わせがあるのが面白いと思った。"again" のような意味は英語でも日本語でも接頭辞で出てくるし(re-, 再-)、"finish" のような意味はアスペクトではと考えたくなる(日本語だと複合動詞が担ったりして、これは語彙的?文法的?)。質問しようかとも思ったが、ほかに質問・コメントはたくさん出ていたし、運営に関わっているとどうしても参加者の方を優先する気持ちになっちゃいますね。

直接話を聞いて良かったと思ったのは、データ・記述の扱いである。資料には表でどのタイプ・カテゴリー・意味の接辞があるのかといったことがプラスマイナスの記号で表されるわけだが、各言語でそれぞれのセルに該当するものがあるかないかを判定する上でさまざまな工夫や困難があったことが報告・共有されたのはワークショップという形態の良いところだと感じた。

(主述語としての)動詞が形態論的にも語根 (root) や語基として語の核になり文法的な要素は接辞として現れるという見方は印欧語などの言語(の研究)からもたらされるバイアスの一種であり、実は疑ってかかった方が良いのではというところまで話が行くかと思ったら、行かなかった。質疑で少し話のとっかかりぐらいは出てきていた気がするので、これらの研究にそのような側面があることは今回はあえて取り上げなかった(あるいは質疑がその方向に流れなかった)ということなのかもしれない。

ちなみに、冒頭で取り上げられていた『明解言語学辞典』の「接辞」の項目で最初に出てくる定義はかなり思い切ったものになっていて、接辞が持つ重要な形態論的特徴である「独立できない」という点があまりはっきりと述べられていないのだが、実はその後に続く「語基」「語幹」「語根」の解説が簡潔かつクリアで全体として良い項目であると思う(たまたまその週にあった形態論の授業で取り上げたところだった)。あの辞典は分量もかなり厳しいし。

公開特別シンポジウム「言語学から見た子どもの英語習得」

こちらのトピックは私自身の専門からはかなり遠いので、文字通り感想程度のものしか書けない。

自分の専門ではないものの、現在の所属組織は「応用言語学」という名前が付くところなので、英語教育に携わっている研究者はそこそこ身近にいる。そこで感じることの1つとして、英語教育(に関わる研究領域)は社会的な関心が高いので、専門家としての振るまいが難しそうだというものがある。

そのような観点から見ると、専門家としてこのようなバランスの取り方ができるものなんだ、という点がまずとても印象的で、大変勉強になった。専門家としての非専門家との向き合い方はこれまでこのブログでもときどき触れてきたが、(経験を積めば積むほど)ほんとうに難しい課題である。

専門家として調査や実験といった研究結果を考えたり「解釈」する上で注意しなければならないことが最初の方で示され、個別のトピックでも「簡単には〜と結論づけられない」といったことに言及があったように思う。それでいて、研究分野の違う研究者やあるいは研究者でない人たちに対しても突き放さないような関わり合い方をしているという印象が残った。

一方、(表現上)厳しく釘を刺していない分人によっては都合の良いように解釈してしまうことも起きてしまうのかとも思ったが、私がこれまで見てきた事例を思い出すだけでも厳しく釘を刺されてもそういうことをする人はいるので、対話のチャネルを開く、広げる、という点を重視するのが良い方略なのかもしれない。

個別のトピックとしては、言語学習にとって接触時間がとても重要であること(「日本の英語教育は何年もかけるのに使えるようにならない」とか言うが学習時間を見るとそんなに多くないというような話につながるところ)、とにかく英語の学習を早く始めれば良いというわけではないこと、などがデータによってはっきりと示されたことが良かったと思う。また、最後の質疑で語学に銀の弾丸はないという見解が取り上げられたのも良かった(ただこれは尾島氏からもう一押しあっても良かったのではないかというのがさらに個人的な感想)。

この構成だと質疑応答にはあまり時間が取れないだろうなあとは思っていたが、登壇者同士のやりとりはもっと聞いてみたかった。