誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

査読とか採択率とか

以前学会誌関係の委員を担当した経験を思い返すと、日本語学周りにも同じような問題があるように思う。この記事には全体的に同意・賛成で、学会誌だけでなく学会発表の方も審査厳しくないかなと感じることがある(私の関連分野は学会発表も審査がある)。

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日本語学に限らず、言語学関係の研究者同士の雑談でこの話題は定期的に出ているような記憶もある。たださいきんの状況にはそれほど詳しくないのですでに何か対策が取られているというようなことはあるかもしれない。

もちろん自分も査読の依頼が来て結果としてrejectで返したこともあって、自分なりにどうにかできないかと悩んだ結果そうしているのだけれど、他の人から見たら厳しいなと思われているということはあるかもしれない。数としてはmajor/minor revisionで返したのに総合的にはrejectになって残念、という体験の方が多いかな。私の場合がんばって慣れない英語でencourageするような査読を返したのにrejectになる、と国際誌の方が残念感強い気もする。

国内学会誌の査読の基準という問題はあるとして(それほどいろんな学会でお仕事をした経験がないのであまり判断できる材料が多くない)、複数人で評価すると自然に総合結果が厳しくなっちゃうという問題みたいなものがあるんじゃないかという気がしている。評価の研究に詳しい方、どうなんでしょう。

もしそういうことがあるとすると、対策?として思いつくのは編集のトップ(学会誌委員長とか)が積極的に働きかけることだ。たとえば3人査読者がいてreject, reject, major revisionでもmajor revisionを優先してrejectにはしないとか、全員rejectでも査読内容を読むとポジティブな感じなので結論をrejectにはしないように再考してもらうとか。事前(依頼時)に査読者に対してなるべくポジティブにという方針を示すというのはもうすでに行われていると思うけれども、自分の専門に関するものを読むとつい厳しくなっちゃう研究者は多いと思うのでそれだけじゃ弱くて、出てきた結果に働きかける方も意識してやった方が良さそう。

でもこういうトップを担当する人って査読の割り当てを考えて依頼して結果を取りまとめるだけで大変な労力なのに、そこまでやるとなると本当に大変そうだ。しかもそういうお仕事をしている人は私の分野だとだいたいほかの学会の大きな仕事もやっていたりするので、さいきんの大学教員の仕事量増加&人員削減も合わせて考えるととても持たないだろうなという実感もある。

結局ここでも(国内)学会多すぎないか問題とか、人/時間がなさ過ぎる問題に直面するんだなあという感じ。でも国内学会と学会誌は今の規模とやり方を維持することすら難しいんじゃないかな。やり方を変えてさらに改善につながれば良いけれども、そんな夢のような道はあるのかどうか。みなさんの分野ではどうですか。