誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

ちょっと考えを変えて、アフィリエイトを使ってみることにしました

 以前は絶対アフィリエイトなんか、と思っていたのですが。とりあえず書籍紹介にいつも使っているAmazonのやつを試すことに。
 考えを変えた主な理由は以下の2つです。

  1. 専門家としての情報発信のモデルケース模索の一環として
  2. 書籍紹介のモチベーションになるのでは

専門家の情報発信としてのモデルケース模索の一環として

 「専門家の情報発信」なんて言える記事は年に数えるほどしか書かないのですけれど。あとどれぐらい専門家として認識されているのか怪しいところかと思いますが…
 ブログ書きなんて道楽でやった方が気が楽だし、報酬を気にして書くとついそれを目的にしちゃうことがあるんじゃないかなと思ってました。ガチで真面目なエントリを書くと自分の勉強にもなりますし、一種の社会への還元的なものだとも思うので、報酬が欲しいということは今でもそれほど考えていません。
 ただ一方で、きちんとした記事を書くのはそれなりに労力が必要なのですよね。自分の専門の分野であっても、いやだからこそ、文献や資料をそれなりに調べたりしますし、文章表現については論文より気を遣うこともあります。
 こういう労力に対してちょっとだけおひねり的な何かが得られるモデルがあっても良いのではないかということもずっと考えていて、気合いを入れずにアフィリエイトを使うとそれに近いものができるんじゃないかと考えたわけです(たとえばこのはてなダイアリー有料版の支払いのちょっと足しになれば、ってぐらい)。
 この話に関しては、下記のエントリで書いた問題意識なんかが関連しています。

 大学教員なんて楽してたくさんもらってんだろ!けちけちすんなよって思われるかもしれませんが、いや、学生支援機構の(いわゆる)奨学金の学部-修士-博士返済フルコースはけっこうきついです…

書籍紹介のモチベーションになるのでは

 最近、まじめなエントリを書く際にはできるだけ、ちょっとでも良いので読書案内や関連書籍の紹介を付けることにしています。
 これは、自分が素人な分野についてある程度専門家が内容の保証をしてくれるというのはとても助かるという実感があるからです。微力ながら自分も少しでもそれに近いことができればな、と。
 で、これやるとなると、責任を持って紹介して良いかどうか考えるために、一度読んだ本でもある程度読み返したり、積ん読になっていたものを引っ張り出してきたりとけっこう大変なんですよね。もちろんその分勉強にもなります。場合によっては、中途半端に紹介するぐらいだったら本の紹介はやめておくか、なんてことも。
 そういう時にちょっとした報酬がちょっとした後押しになってくれるんでは、という淡い期待もあります。

おわりに

 さて、実はブログを書くモチベーションを支えてくれることはすでにじゅうぶん色々あって、たとえばはてなポイントをいただいたりとか、コメント欄など他の方に見える以外のところで応援のコメントをいただいたりとか。こんな超不定期更新のブログに、ホントありがたい限りです。
 なので、もしこの試行に対して何か反応(特にやめた方が良いというご意見*1)がもらえたら、またそれを元に続けるかどうか考えてみたいと思います。
 あとは他に研究者・専門家の方でアフィリエイト使ってるよ(or 意図的に使わないようにしてるよ)という方は教えてもらえると嬉しいです。
 さてどうなりますか。

*1:たとえば、人文系の研究者がAmazonからの購入をことさらに推奨するのは良くないのでは、とか。

「疑似科学」の範囲のややこしさ、あとことばでくくること

 書いてみるとお前誰なんだという感じの内容になってしまいましたが、一読者の雑な感想として。

を読んで。
 このタイトルの通りの発言だったら賛成する人も多いんじゃないかなと思うんですけど、元のApeman氏の発言からそこまでは読み取れなかったなあ。
 で、

ここで問題となるのは、「疑似科学」と表現された時、どうして歴史修正主義を頭から除外してしまうかということ。
個々人が別個の問題にもとりくむべきという話ではなく、疑似科学に歴史修正主義がふくまれることを理解するべきという話 - 法華狼の日記

については、単に「科学」が「自然科学」の範囲を指すことばとして用いられていることが意外と大きいのではないかと感じます(もちろんそれ自体が問題だという指摘も含むのでしょうが)。
 実際、僕の専門の言語学でも「疑似科学」と言えるような事例は色々あるのですが、普段触れる「科学」「疑似科学」についての言説を見ると、「これは言語学のケースなんかは想定されてないだろうなあ」と思うことも珍しくありません。まあ「言語学」は分野として認知度が低いということも多分にありそうですけど*1
 困った時は苦し紛れに「ニセ学問」とか使ったこともありました。実際、どうするのが良いんでしょうかね。もちろん人文社会系研究の大部分も広義では「科学(的)」だ、という認識が広く共有されるのがベストなんでしょうけれど。
 あと個人的に、hokke-ookami氏のエントリでここ重要だなと思ったのは、注1にある

「疑似科学批判クラスタ」というくくりも認識できていない。
個々人が別個の問題にもとりくむべきという話ではなく、疑似科学に歴史修正主義がふくまれることを理解するべきという話 - 法華狼の日記

というところです。注に入れてあるのがもったいないぐらい。
 僕の観測範囲だと、疑似科学に批判的な人たちには、

  1. 「事実」が重要
  2. 歴史学には、歴史に関する事実を高い精度で取り扱える方法論/ノウハウ/蓄積がある

ということには賛同する人も多くいるのではないかと思うのです。もし問題になる一部の「疑似科学批判クラスタ」についての話であれば、せめてもう少し具体的に限定すると変な反発も減るのではないかと*2。実際、僕が想定している「疑似科学批判クラスタ」の範囲と、Apeman氏やhokke-ookami氏の想定範囲が大きくずれている可能性もあるわけですよね。「○○という特徴を持った疑似科学批判クラスタ」と書いてもらえるだけでもだいぶ理解の助けになるのかな、と。
 ことばでくくるって便利だし、しなければならない場面も多いのですけれど、くくることで変な分断が生まれてしまうのは残念だなと思います。
 ある分野に携わっていると、他の分野と折り合いがつかないということはどうしようもなくあることなので、必要な対立というのも多々あるのでしょう。ただ、僕自身歴史学も自然科学も素人で、webで色々な方が情報発信してくれていることに大変助けられていますので、今回のような状況は気になるところです。

*1:これ、自然科学内でもあるんじゃないでしょうか。物理学だけを対象にするとそうかもしれないけど、生物学まで範囲に入れると話がちょっと変わってくる、みたいな。

*2:限定しないことで、広く問題を喚起するレトリックというのもあるとは思いますが。

金谷武洋氏の著作について今後どうするのが良いのか(たぶんしばらくは何もしません)

 最近は自分から情報を集めているというわけでもないのですけれど、新しい本が出たということもあってか、ちょくちょく関連情報を目にしたり、検索でいらっしゃる方も微増していたり。
 金谷氏については、部分的にですが、書いたものがそこそこありますので、評価が気になる方はどうぞ。

いちいち読むのめんどうという方は下記のエントリを。

個別のエントリに書いてないことにも触れていますので、色々読んでみたい方もまずはこのFAQから読むことをおすすめします。
 で、最近こういうついーとを見かけて、

そうかなと思うところもあるんですけど、学部生のレポートで好意的に言及されているのに出会ったりすると、まあ学部生なら仕方ないかなどと思いつつ、複雑な気持ちです。
 もうちょっと賑やかになってきたらまた考えるかもしれませんが、個人的には、上で紹介したエントリ群を書いてとにかく疲れましたし、最近あまり色んな意味で余裕もないので、しばらくはここで取り上げることはないかなと思います。ただ、こういう機会に過去のエントリを宣伝しておくのは良いかなと思ってちょっと書いてみました。