誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

ネット上でカテゴリや属性を使って自分を卑下することの危うさ

※追記 2011/08/26
 タイトルを「ネット上で自分を卑下することの危うさ」から「ネット上でカテゴリや属性を使って自分を卑下することの危うさ」に変更しました。

 ほぼ愚痴です。
 以前もこんな記事を書いたりしましたが、ここで対象にするのは、「(自分は)文系なので科学的な議論は理解できないのですが…」とか、「(自分は)女なので理性的な議論は苦手なのですが…*1」みたいな自分の属するカテゴリを用いた卑下*2の仕方についてまわる危険性についてです*3
 発言する前に少しだけ想像力を働かせれば、このような発言の危険性に思い至れるのではないか、と常々思っているのですが…

自分を貶めると同時に多くの人を攻撃してしまう危険性

 で、まあ結局のところ問題は、これまで色々な人が色々なところでさんざん忠告してきたとおり、「ネットでの発言は世界中に発信されてることを念頭に置いておかないと危険」というところに収束すると思います。
 自分を卑下することが、同時に、その発言を見ている、あるいはこれから見るだろう同じカテゴリに属する多くの人々に対して、「お前らも〜だ」と宣言しているに等しくなっている可能性が非常に高いわけです。
 そこまで考えが及んだ上で発言しているのかなあ、と*4

相手も攻撃しているかもしれない

 上で想定していたのは、直接の対話の相手以外の人々への攻撃の可能性ですが、ネット上では相手の素性のほとんどが正しく手に入るというのは全然保証されていないわけで、もしかしたら相手も同じカテゴリに属しているかもしれません。相手を中傷する危険を冒してまで自分を卑下するというのはどうも割りに合わない行動選択のように思います。

卑下/謙遜するならカテゴリ抜きで十分なのでは?

 で、卑下/謙遜が目的なら、別にカテゴリに関する記述はいらないと思うんですよね。「(自分は)科学的な知識をあまり持っていないので…」とか、「(自分は)どうしても感情的な議論に走りがちなので…」で、十分なのではないでしょうか。
 上に挙げたような危険を冒してまで、道連れが欲しいってことなのかなあ。うーむ。
 ちなみに、日常の、面と向かってのコミュニケーションにおいてですら、程度差はあるにしても同じような困難は付きまとうと思いますけどね。

※「戦略としてのステレオタイプ形成から一般化としての言明への飛躍」、みたいな議論も考えてみましたが、うまくまとまらないので保留にしておきます。ただそのせいでなんだか中途半端なエントリになってしまいました…

*1:poohさんのとこのコメント欄に具体例が見られたりしますが、これは昔からどうも実感が伴わない一般化です。僕の周りにも、研究の世界にも理性的、論理的な思考に長けた女性はたくさんいますし、何より理性的/感情的という性質が排他的になっているというのがよくわかりません。「感情を優先する」ぐらいならまだわかりますが、それだって状況、文脈に依存するのでは。

*2:まあ本人に実際卑下の気持ちがあるのかどうかは置いておいて

*3:カテゴリを用いた卑下が全て筋が悪いというわけではないと思います。上の二例は問題を起こしやすい代表例でしょう。

*4:場所によってはわざとやっているようなものも多く見かけますけど。