残念ながらRPGのお話ではありません。
フェミニズムと言葉の関係について書いた自分のエントリを読み返していたら、フェミニズムと文法研究についてのあるエピソードを思い出したので、ちょっと書いておきます。まあ半分以上は文法研究における例文の取り扱いのお話になります。
知り合いの研究仲間に女性言葉を研究している女性がいて、結構強いフェミニストでもあったらしく、データや分析に純粋に言語学的なコメントをしても、「それが女性蔑視の現われで…」のように*1、どう贔屓目で見てもうがった受け取られ方をすることがあって困るという話だった気がします。
で、たまたまそのしばらく後にその方もまじえた集まりで僕が文法研究の発表をすることがあったのですけれど、よく考えてみると僕のハンドアウトでは
- 太郎が花子を殴った。
のように、専ら女性の方が被害を被る例文が多いので、その回ではなるべく平和な例文を使い、どうしても攻撃させなければならない場合は、
- 花子が太郎を殴った。
のように普段とは逆にしてみたりしました。どちらかというと気分転換の意味合いがほとんどだったのですけれど、やはりフェミニストとしてはこういう点にも気が向いたりするのでしょうかねえ。自分では全く考えたことが無かったので印象に残っているエピソードです。
そもそもなんでそんなことになるかというと、まあその人の流儀や研究領域に大きく左右されるんですけれども、文法研究の例文では
- 文中に人名が出てくる場合、ほとんど「太郎」→「花子」の順
- 動詞に「殴る」「蹴る」「壊す」「叩く」などの物騒なものが結構普通に使われる
ということがあると思います(これはそうじゃないって人もいると思うので一般化はできないと思いますけど)。
まああんまりいつも殺伐としててもなあ、と思うこともあって、内省判定に影響しない程度で例文に色々ネタを仕込んだりすることもあるんですけどね。
太郎→次郎、花子→?
なんで今時太郎、花子がデフォなんだ、という声も聞こえてきそうですけど、まあこれは慣習だとでも思っててください*2。別に他の名前を使ってはいけないということはありませんし。
これに関してはちょっと気になっていることがあって、例文(群)中に三人以上の登場人物を出したい場合、太郎の次は次郎、三郎、…という風に簡単に続けていくことができるのですけれど、花子の次は結構悩むのですよね。結局思いつかなくて、登場人物を全員男性に変更したり。他の人はどうしてるのかなー
小説やネット上から文を拾ってきて改変したり、固有名詞以外にも(差支え無ければ)「先生」や「友達」のような名詞も使える*3ので、そんなに困るわけじゃないのですけれどね。
なんで殴るの?
一方、なんで物騒な動詞が良く使用されるのかというのには慣習以上の理由もあります。特にアスペクトとか動詞句関係の研究の場合だと、具体的で物理的な動作を伴う動詞が好まれますし、さらにノイズを省くためにニ格をとる動詞も排除、「動名詞+する」形のやつもダメ、とやっていくと自然と接触打撃系の動詞が残っちゃったりするんですよね。
この点に関しても印象的なエピソードがあって、かつて形式意味論の授業を受けていた時に、その授業を受け持っていた先生がdonkey sentenceの例として*4
- Every farmer who owns a donkey patted it.
という例文を出してきました。このdonkey sentenceと呼ばれるパターンの文は形式意味論の分野における伝統的なパズルの一つなのですが、有名な文は
- Every farmer who owns a donkey beat it.
なのですよね。
そしてその先生曰く、「この分野ではロバは何十年も殴られ続けてきてかわいそうなので、たまにはなでてみることにした。」この時から、例文にちょっと洒落のきいた仕掛けを入れておく、ということにちょっと憧れがあったりします。
ただ、動詞が攻撃的ではないからといって、
- 太郎が花子をなでた。
などとやってしまうと余計問題ありそうですけどね。
おわりに
なんかほとんどとりとめのないマニアックな思い出話になってしまいましたね(^^;僕はハンドアウトにはほとんど実例を載せないスタイルなので、例文作成には悩まされることも多いですが、結構楽しい作業でもあります。