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歯切れが悪いのは仕様です。

理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ

 ニセ科学問題について論じる場で結構話題になることが多い「理系/文系」、僕も少し書いたことがあるのですけれど↓

今回は自分がこの話題について考えたり、何か発言しようとする時に感じるもどかしさについて書いてみます。「整理」という段階までも行けるかどうか…
※案の定、非常に長い上にまとまってないです。現時点で書き出せるのはこの辺りまでかなあ…あまり期待せず読んでください(^^;

立場の確認

 とりあえず自分の属性について考えてみると、専門は言語学なので、まあ人文科学に分類される領域に所属していることになると思います*1。大学の学科も「日本語・日本文化」なんていう名前を冠していたので、これも多分典型的な「文系」ですよね。
 僕が感じるもどかしさというのは、それでも「文系の者として一言物申す」とはなんだか言い出しにくいというものなのです。それがなぜかということをずっと考えているのですが、ここで少し途中経過を吐き出してみます。

「文系」って言ってもホントに色々ですよね

 まあこれはよく言及されることだと思うのですけれど、「文系」っていっても色々な分野がありますよね*2。それに加えて、言語学という分野(の研究内容)がそんなに一般的に認知されていないこともあって*3、「文系ってさあ…」って話を振られた時になんとなく「文系の者」として名乗り出るのに二の足を踏むのですよね。それで結局は「実は言語学っていう領域がありまして…」なんていう紹介から入ることになります。
 例えば、こういう引用の仕方をするのはちょっと気が引けるのですが(Judgementさんの問題提起については改めてしっかり応えたいと思っています)、

 私が考えるに、(大学に来てまで「知識の暗記」に終始する方は除き)文系の学問領域でキチンと研究を修めようとした場合こそ、論理のセンスが必須になると思います。
 と言うのは、理系の学問と比べ「実証」で示せない部分が多く、その場合、自分の主張の正しさを示すのは「論理」しかないからなんですね。
 いわば、理系学問が「論より証拠」とすれば、文系学問は「論だけ」なわけですから、論への重み付けが非常に高いわけです。
「理系=科学的」か?:王様は裸だ!Annex:So-netブログコメント欄

 っていうような文系の捉え方、イメージはあると思いますけど、言語学、少なくとも僕の専門の文法研究ってかなり「証拠」の世界なんですよね*4。分析には言語現象による証拠付けが無いと大抵相手にしてもらえませんし、仮説や分析を証拠や実験によって反証することもできます。
 Judgementさんのこの捉え方で僕がしっくりくるのはやっぱり哲学かなあ*5。以前にも書きましたけど、哲学という領域における議論や論理に対する厳密さというか徹底振りは感動すら覚えるものなので。
 まあ文脈により色々なんですけど、こういう風に話し手が「文系」によって何を指示しようとしているかという点もよく気になります。本当に「いわゆる自然科学以外の分野」ぐらいを意味していれば、こちらも例示として自分の領域の話ができるのですけれど、「文系」という表現を使いながらも、例えば「文学」とか「社会学」などの具体的な特定の領域について語っているようなところが感じ取れる場合にはさらに反応するのを躊躇しちゃいます。遠慮しすぎなのかもしれませんけどね。
 ここで僕自身が他の「文系」の研究領域の事情について詳しければ話が広がるんでしょうけど、学問としての文学には疎いですし、社会学や心理学についても一部についてしか知識がありませんし、哲学はまあ専門の論文も読むことがありますけど、やっぱり領域は限られてるからなあ*6
 ネット上では「文系」を「研究職じゃなくて事務職」ぐらいの意味で用いることすらあるので、本当にややこしいです。「文系」って言われてるけどなんか内容を読むと自分のことじゃないっぽいしどうしよう…って感じたことがある「自分を(まあ)文系だと思っている人」って結構いたりして、と思うんですけれどどうでしょう。

自分語り:「理系」の話も好きなんですよね…

 もう一つのもどかしさ感がどこから来るかというと、これは非常に個人的な話になってしまうんですけれど、「理系」、あるいはいわゆる自然科学関係の話に全然抵抗感とか無いということなんですよね。むしろ小説とかより自然科学のジャーナルとかそこまで専門的ではない研究書なんかを読むことの方が多いですし*7
 「文系」を「科学的手法、あるいは思考法についてのきちんとしたトレーニングを受けていない者」という意味で用いることがあると思いますけれど、「文系」の学問について真面目に取り組むことによって、あるいは独学で科学的思考法に辿り着く人もそこそこいるんじゃないですかねえ。
 他にも、僕が出会う「文系」像に自分を重ねられないことが結構あるというか、他にも気になる点を列挙してみると、

  1. 数学は好き?:高校までの教育としての数学も好きでしたし、研究領域としての数学も好きです。
  2. 数学は苦手?:高校までは得意でした。理数科文転組ですし(ちなみに文転の理由は理数系が嫌い/苦手だからではありませんでした)。ただ、大学レベルで習得する数学をきちんと使いこなす力量は無いので、数学に対する強いコンプレックスはあります。
  3. 理科はどう?:物理と生物はずっと英語や国語より点数が良かったような。今でも好きだなあ、物理(学)&生物(学)。大学でも物理系、医学系の授業にちょろっと出たりしてました。
  4. 研究で数学は出てくる?:統計、形式論理学、集合論には結構触れる機会が多いです。というかこれらがわかってないと相当量の論文が読めなくなります。
  5. 「理論」と「論理」の区別は付く?:自分では付いてると思います*8。付いてなかったら研究者として厳しいだろうな…一応専門に「理論言語学」って書くこともありますしねえ。


 どうなんでしょう。結構こういう「文系の人」っていたりしないかなあ。

まとめ?

 つまるところ、まともな議論がしたい場合には、「文系/理系」を

  • 高校での所属科、入試に必要な科目、大学での学部/学科などの被教育歴
  • 大学やその後携わっている専門分野の性質
  • 職種

などで区別するのか、それとも

  • 文章の書き方や論の進め方における特徴、あるいは得意な技術
  • 「理屈っぽい」とか「感情的になりやすい」とかいう漠然とした性質

に対する手近で適当なレッテルとして用いるのかぐらいは意識しないと、大分すれ違いが起こりそうだよなあ、という気がします。もちろん、それらの特徴間の関連性や共通の原因について考えることはあると思いますけれど。
 まあ、「重要な用語は定義をはっきり」というのは科学の、というか学問の基本なんですけどね。どんな意味での「理系/文系」に限らず、その辺りのことを適当にして不毛な議論や時には誹謗中傷などを繰り返す人はとりあえず自分自身が科学的思考法を身に付けていないことを全力で示しちゃってるようなあ、と思うのです*9

*1:生成文法の立場を採っていることをどう考えるかということについてはここでは踏み込みません。

*2:「理系」の方も、話題によっては「理学と工学を一緒にするな」とか「物理学と生物学では色々違いもあって…」とか、「理論系と実験系ではやってることが結構違うんだよねー」とか色々言いたいことがあると思いますけど

*3:少なくとも僕はそう感じています。「言葉についてのトリビアを色々知っている」というイメージはあるかもしれませんが、それは研究の副産物というかおまけみたいなもんです。

*4:「証拠」「実証」で何を指すかって話もあるでしょうけど

*5:哲学も色々なんで、こんな乱暴にくくれないですけど。

*6:現象学とか苦手です(-_-;

*7:ある程度のレベルからは全くダメですけど(>_

*8:昔何かの洋画で"logically"に「理論的」って字幕を振っちゃって会話の意味がよく通らなくなってるのがあったなあ。

*9:手軽で効果的な煽り、挑発の手法ということもあるでしょうけどね。