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金谷武洋氏への批判記事についてのまとめ、あるいはFAQ

 このエントリは、金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事のFAQです。個別記事は以下の目次からたどってください。

※ここでは、その性格から“厳密さ/丁寧さ”より“簡潔さ/わかりやすさ”に主眼を置いています。参考にしたり引用する際にはその点に注意することをおすすめします。
※ここでの質問には、実際に私が直接受けたものに限らず、ネット上で見かけたもの、他の項目の説明のために入れておいた方が良いと判断したものも含まれています。
※ところどころに出てくる「専門家」「素人」は職業研究者とそれ以外の人を指しているのではなく、十分な関連分野の専門的トレーニングを受けた人とそうでない人という意味合いで使っています。

基本

Q1. なぜ金谷武洋氏を批判しているのですか。

A1. 氏の著作、『日本語に主語はいらない』には、日本語学/生成文法研究の専門的な見地から見て見過ごせない程の、明らかに間違った記述が、見過ごせない程の数あるからです。

Q2. それは具体的には何ですか。

A2. 色々ありますが、最も大きな問題は以下の二点三点です。

  • 1) 生成文法によるものに限らず、日本語文法研究の研究史および現在の学界の研究の実情・水準について誤解を招く記述があります。
  • 2) 三上章の、日本語文法研究史上、あるいは現在の学界における評価について誤解を招く記述があります。
  • 3) 生成文法に対する誤解に満ちています。
Q3. 全然具体的ではありません。もっとわかりやすく!

A3. 上の番号に対応するように書くと、氏の捉え方には反して、

  • 1') 日本語文法を分析する際に「主語」という概念を採用しない、という立場は、葬り去られた/忘れられた/過小評価されている、ようなものでも、少数派ですらありません。むしろ現在では主流の一つ、標準的な考え方といって良いでしょう。
  • 2') 三上章は生前にも何人もの有名な研究者から評価を受けていましたし、その死後も日本語文法研究における重要な研究者として高く評価され続けています。現在でもその研究は直接引用されることが多いです。

関連エントリ:寄道(4)三上章は省みられていないか寄道(6)三上章『象は鼻が長い』の表紙の話(+おまけ)

  • 3') 簡単にまとめられないので、以下の各エントリを参考にしてください。

関連エントリ:

Q4. 一般向けの本なのである程度の間違いは仕方ないのではないですか。

A4. 一般向けの本であるからこそ問題です。なぜなら、上に書いたような問題(研究史上における位置付け、学界における受容)は、実際に資料や文献を調べたことがある人、実際に学界に身を置いている人、つまり専門家でないと気付けないことだからです。たとえば論理のおかしさ、などであればいわゆる素人でも気付く余地がありますが、素人が気付くことの大変難しい事実について、しかも一般向けの本で間違った記述をすることは、専門家として大変問題であると思います。

Q5. なんでそんなに怒っているのですか。心が狭いのですか。

A5. そうかもしれません。しかし、僕は生業である日本語文法研究/生成文法研究に尽力してきた、あるいは現在も尽力している多くの先人、現役研究者の貢献を歪めてしまうような情報が広まることを黙って見ていられるほど穏やかな人間ではないのです。

Q6. なぜあなたがやっているのですか。

A6. 僕は日本語文法研究/生成文法研究の両領域に関わる研究者であり、また三上章ファンであるという多くの関連要素が重なったため、他の方より金谷氏の著作に我慢できないところが多かったということがあると思います。あと、批判記事を書き始めたころは院生だったのでなんだかんだ忙しくてもなんとか時間が捻出できたのです。

Q7. 他の専門家による批判は見ませんが、むしろあなたの方が少数派なのではありませんか。

A7. 人脈のあまり無い若手研究者である私の周りの専門家で一番多い反応は「読んだこと無い」「そういえばそんな本出てたかしら」というようなものです。少しでも読んだことがある専門家の方々からは、よく「あんなのほっとけばいいのに」というアドバイスを受けます。良く評価している人にはまだ出会ったことがありません*1

Q8. 変な本ならほっとけばいいじゃないですか。それより研究しなさい。

A8. 僕は、こういった知識/事実を専門家でない人たちが入手可能なようにしておくのも、専門家にできる一つの社会貢献だと考えています。しかし、金谷氏が言語学の学位を持った「専門家」ではなく、氏の著作がかなり広く読まれ、またおおむね好意的に評価されているという事実が無ければ批判はしなかったかもしれません。研究は頑張ります。

Q9. そもそも日本語では主語が無い表現が多いと思いますが…

A9. 「実際の表現に主語が出てこないことがある」という“事実”と、「日本語の分析には「主語」という“概念”が必要である」という主張は無関係ではありませんが、論理的には独立した話です。金谷氏が批判しているのは後者です。
関連エントリ:(7)主語の必要性と主語という概念の必要性

Q10. じゃあ学校文法を擁護するんですか。

A10. 違います。むしろ、学校文法が日本語の学術的な分析という点から見て様々な問題を持つということは、数十年前に散々指摘されて、すでに学界の共通認識となっています。

Q11. 金谷氏の著作は面白いのに、ケチつけないでください。また、面白いだけでなく、三上章の名を広めたり、文法論に興味のある人が増えたりと色々良い影響があると思います。

A11. そういった影響は実際あると思いますし、良いことだと思います。しかし、フィクションならともかく、面白いなら、あるいは良い影響があるなら間違った記述を見過ごして良い、ということにはならないと思います。また、良い影響を受けた後に、僕の記事を読んで間違った知識をアップデートできるなら、素敵なことだと思いますが。

もう少しややこしい話、あるいはおまけ

Q(1). なんで批判すると言いつつ主語に関する議論はあまり取り上げてないのですか。

A(1). 主語に関する議論は大変難しいテーマで、きちんとした研究史まで含めて(わかりやすいように)まとめるとなると、正直この辺りの領域が専門で無い僕の手にはあまります。もう少し僕の研究テーマに直結していればなんとか片手間でもまとめられるかもしれないのですが。

Q(2). 専門でないのに批判しているのですか!信用できません!

A(2). 主語論が専門でなくとも明らかに問題であるとわかるところを中心に批判しています。また、専門で無い人にこれほど強く突っ込まれてしまうほど問題がある本なんだ、と考えてみてください。

Q(3). あなたの主語に対する立場を教えてください。

A(3). ここ最近のスタンダードな生成文法の考え方に即した形での主語の定義(TP Specにある要素)を採用するなら、主語は日本語にもある(場合もある)、と考えています。これは金谷氏の「主語」とも違いますし、柴谷、久野などの「主語」とも異なった概念なので、主語の有無という見方から同列に並べて議論することはできません。

Q(4). 生成文法は主語擁護派なのですか。

A(4). 違います。「主語」という概念で捉えられるものが日本語には無いとする生成文法の(有名な)研究もあります。
関連エントリ:(3)ちゃんと先行研究とか勉強してから批判してください

*1:特に問題だとは思わなかったという学部生や院生なら2, 3人ほど出会いました。