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接頭辞(?)「エア-」に関する覚え書き

 以下の記事を読んだのをきっかけに今まで気になってたことを書き連ねてみる。エア御用については最後にちょっとだけ触れる。

※具体例はややネタっぽくした部分もありますが分析は真面目にやってます。

接頭辞(?)「エア-」の基本的な意味

 これは上にも紹介したMukkeさんの記事に上げられている例が有名なところだろう。

実際にはそこにギターがないのにギターがあるかのように振る舞うことをエアギターといったり実際には友達がいないのにいるかのように振る舞うことをエア友達といったり実際には彼女がいないのに彼女がいるかのように振る舞うことをエア彼女といったりするのと同様の造語法
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20121129/1354206616

 なお、接頭辞としてよいかどうかにも議論の余地はあるが、ここでは「以下に示す意味を持つ限りにおいて他の形態素に依存する」というぐらいの気持ちで「接頭辞」としている。たとえば「あいつの言ってた彼女ってもしかしたらエアじゃね?」のような用法が許容される場合、自立形態素とての性質についても考えなければならない。
 まず、接頭辞「エア-」の意味を暫定的に次のようにしておく。

  • (A) 接頭辞「エア-(X)」の意味
    • Xが存在しないのにXがあるかのように振る舞うこと

この接頭辞はすでにこの時点でややこしい。「ギター」などモノ名詞*1に付いた場合、「エアギター」のように見かけはモノ名詞的なままであるが、意味的には「振る舞う」という行為が含まれてくる。ただしこれは無いものをあるかのようにする場合、行為によって示すぐらいしか手段が無いと考えられるので、自然なことではある。
 また、いわゆる語彙化された意味を持っているものもあるようである。たとえば、「エアギター」はどんな振る舞いでも良いわけではなく「演奏」してその存在感を出さなければならないように思える。つまり「部屋の片隅にギターが飾ってあるかのように振る舞う」ことを「エアギター」とは呼べないのではないか。これはフレーム意味論やクオリア構造*2などと関連するのではないかと考えられるが、あまり詳しくないので踏み込まない。

何が無いのか:「エア参拝」を例に

 さて、この接頭辞もそこそこの生産性を持つようであるが、ここではその意味の難しさを考えるにあたって、「エア参拝」という例を考えたい。

実際に存在する神社仏閣をwebサイト上で仮想参拝する行為。また、そのサービスの総称。

 ここで重要な点は

  • 前述の例と違って「エア-」が「参拝」という行為を表す語に付いている

ということである。
 そのため、上で提案した(A)の意味をそっくりそのまま当てはめてその意味を考えると「参拝が存在しないのに存在するかのように振る舞うこと」となって少し不自然に響く。書き換えるなら「参拝しないのにするかのように振る舞うこと」となるだろうか。
 しかしここで「無い」行為はかなり特定されている。それは「参拝:(1)お参りして(2)拝む」の(1)の部分のみである。「お参りするだけ」を「エア参拝」とは呼ばないであろう。
 このように、「エア-」が付く要素の意味内容が(「参拝」のような行為のように)複雑な意味を持っている*3と、何が「無い(のに)」とされるのかという点において幅が出てくる。これが接頭辞「エア-」の意味が場合によっては捉えにくくなってしまう原因ではないかと考えている。しかしこの点こそがこの接頭辞の生産性を支えているのかもしれない。

「バーチャル」との関係

 ただし、「エア参拝」のような例を考えるには「バーチャル」という意味で用いられている点についても留意しなければならない。実際、「エア参拝」の対義語は「リアル参拝」のようである。
 また、以下の「エア充」という例ではさらに「リアル」との対比が強い。

現実生活(リアル)が充実している「リア充」に対し、仮想世界(エア)で充実している人々を指した言葉。
エア充とは - はてなキーワード

ここで「実際は充実していないのに充実しているかのように振る舞うこと」という意味にはなっていない点に注意されたい。 

「エア-」の意味の広がり(の可能性)

 上の「エア充」例も(A)の「エア-」からの派生として考えることもできるかもしれないのだが、「エア-」の意味自体が次のように拡張されていく可能性も考えられる。

  • (B) 接頭辞「エア-(X)」の拡張された意味
    • ある一部において欠落があり本来のXではないが、Xであるかのような行為・状態・物体

ただし、ここまで意味が広がってしまうと「準-」「疑似-」「-もどき」といった接辞群と変わらなくなってきてしまうので、(A)あるいはそれに近い意味が保持されていく可能性も十分に考えられる。特に「振る舞い/行為」であるという点は重要なのではないだろうか。

「エア御用」についてちょっとだけ

 さて、この語についてはこれまでも多くの議論がされてきたと思うので新たに付け加えることは特に無く、以下は個人的な感想に過ぎない。そもそもこの語、未だによくわかってないので…*4
 「エア参拝」のところで指摘したように、「エア-」が付く要素が複雑な意味を持っていると「エア-X」自体の意味もややこしくなってしまうと考えている(=何が欠けているのかという点について可能性が色々出てきてしまう)。つまり「御用」という語の意味・概念が(「ギター」などに比べて)複雑なことが「エア御用」の意味・用法の把握の難しさにつながっているのではないかと思う。ただし、この複雑さというか曖昧さが(その使用に抵抗感の無い人にとっては)使いやすいのかもしれない。
 Mukkeさんの記事でも言及されていたように、「政府(などの組織)に味方する/おもねる/こびる意図」があるかどうかも争点の一つに思うのだけれど、僕の観測班以内 観測範囲内で一番広いものでは「本人に全くそういう意図が無くても結果として政府(などの組織)を利してしまっている」という用法までありそうだ。
 僕の個人的な感覚だと少なくとも科学者・研究者、あるいは懐疑主義を標榜する人たちには「結果として政府(などの組織)を利してしまっている」と言っても「それは議論や考察の結果たまたま一致したんですね」と言われてしまいそう*5なのであまり効果的には思えない(ただし挑発としては機能するかも)。そもそも科学者や研究者向けの批判というよりは第三者へのアピールという意味合いが(も)強いのかな。

*1:「ギター」は演奏行為と結びつきやすい名詞であろうが、「ギター(を)する」がかなり許容できないことからもそれ自体が行為の意味を持つとは考えにくい

*2:哲学の方の用語ではなくてPustejovskyのアレ

*3:行為であれば全て複雑な意味を持っているとは言い切れない。

*4:こんな語について詳しく考えても仕方ないと思う人も多いかもしれないけれど、どんな表現、それこそ罵倒語や差別語でも一応考えてしまうのが癖みたいなものなので。

*5:ただしその指摘を受けて(即逆の結論に行くのではなく)検討し直すという可能性はありそう。