なぜ大学教員の端くれたる私はレポートを返さないのか - 発声練習
文章表現・日本語/言語能力と呼ばれるような授業も持っていますので、その観点から少し。調査をしていたり、他の大学でも色々教えているというわけではありませんので、一事例として参考にしていただければと思います。
僕は筑波大学では「国語」という名前の、日本語の言語能力の習得を目的とした授業を担当しています(専門の担当科目もあります)。読解やスピーチも扱いますが、主な目標はアカデミック/テクニカル・ライティングに関する技術・知識の習得です。
大きな要因がコストの問題にあるというのは賛成
ちょうど今期末課題レポート提出期間なのですが、これから160本のレポートを読み、添削します(もう少し後で専門の授業でも30ほど出てくる予定)。
next49さんの場合と違って僕の授業は言語能力育成が目的なので、添削してフィードバックすることが重要になってきます。
1週間で添削までやるのはかなり無理なので数週間かけたいのですが、成績報告にも期限がありますのでなかなかゆっくりしているわけにもいきません。
また、成績はレポートだけではなく他の要素も絡んできますし、僕の授業ではレポート自体が授業内でこなすいくつかの課題を踏まえて作成されますので、そちらをある程度見返しながらということもやっていると、本当に時間が厳しいです。
その他の難しさ
あと、どうやって添削やフィードバックを返却するのかに以外と工夫がいるということもありますかね。そのクラス限りという学生も多いですし…
僕はメールで提出した場合はそのままメールで返却というのを主な方法にしているのですが、紙でもらった場合はもう少し手間がいります。
全体に対するフィードバックでしたらブログやSNSでやるという方法もあるでしょうし、moodleなどのシステムがうまく活用できると良いのでしょうね。
どういう項目をチェックするのか
さて、この「国語1」という授業では文章作成一般に関わることが主なテーマなので、以下のような項目が主な評価ポイントになっています(これは受講生にも事前に提示)。
- 文書の目的と対象を理解した上で書かれていること(不特定多数の詳しくない人たちに説明する文章になっている)
- 各段落が主題文+支持文で構成されていること(パラグラフ・ライティングが実践されている)
- 体裁がきちんと整っていること(表紙、誤字脱字、段落最初の一字下げ、箇条書きにしない、など)
- 論文の文体になっていること(語彙・文末ともに)
3や4はある程度機械的にチェック・添削できるのですが、1や2は結構添削・コメントが難しいこともあります。時間がいくらあってもホント足りないですね。またこれに加え、タイトルや文章全体の構成についても添削・コメントはしますし、細かい間違いなども気付いたらコメントします。
ちなみに、アカデミックな議論のより内容的な側面、つまり論証や批判の方法、議論/論理の構成、仮説/一般化と反例…などの項目については「国語2」という授業で取り扱っています。
なぜフィードバックするか
この授業や日本語教育での作文/アカデミック・ライティングの経験から、添削とフィードバックは重要だなと感じることが多いです。
また、「文章の技術」みたいな話は説明だけなら今やwebででもかなり詳しい話が読めたりしますので、授業においては添削・フィードバックをしてもらえるということはかなり重要なのではないかと考えています。
もちろん授業では相互チェックもやってもらうのですが、期末課題については授業の総括として自分でも読みたいですしね。
学生の声
時々この授業を通して「(大学での)言語運用・言語能力について困ったことはありませんか」という質問・アンケートを行っているのですが、一年生後期、二年生以上の学生からは「レポートの評価の基準や理由が具体的にはどうなっているのかよくわからなかった」「レポートのどこが/何が良かった/悪かったのか教えてほしい」という意見がかなり多いです。ちなみに一番多いのが「先生の声が小さくて/ぼそぼそしゃべっていて授業がよく聞き取れない」というものですね(これはじゃあもっと前の方に座れば…と思うことも)。
そういえば今これを書いていて、学部生の頃に受けた松井豊先生の社会心理学の授業で、他学科から紛れ込んだ僕なんかの今思えばかなり稚拙なレポートにもコメントが付いていて嬉しかったのを思い出しました。評価は厳しめだった記憶があります。
なんとなくまとめ
まあ学生が望んでいるのでやっている、というわけではないのですが、思ったよりフィードバックを望む声というのはあるなあというのが最近の実感です。
これを「甘え」と取る考え(≒何が悪いかは自分で考えないと意味がない)もあると思いますが、細かい添削ではなくせめてどこがダメかにチェックが付いているぐらいでも「自分で考える」手助けになって良いのではないか、と今のところは考えています。
「付いてこれるやつだけ付いてこい」「分かるやつが分かれば良い」でいく(その方が良い)という方針もあるのでしょうけれどどうなんですかね。分野にもよるかな。
どうするか
なんか風の噂では毎日結構暇している大学教員もいるそうなのですが、私の知っている範囲を見ると色々忙しくてなかなか時間が取れないということが多いように思います。
「そうは言っても教育は最優先の業務の一つだろ」と言われると苦しいところなのですが、専門の授業の質を保つための勉強・研究などにも時間を確保したいですし、なかなか簡単な話ではありません。
一つの案としては大学院生などによるTAをもっと活用するというのがあります。他人の文章をチェックするというのは色々勉強になりますので院生自身にも得るところが多いのではないかと思うのですが、いかんせん今のままの給与体系でやってしまうと報酬と作業・業務内容が大きく釣り合わない事例が多く発生しそうで頭が痛いところです。
教員数を増やしてクラスサイズを小さくするとか、TAの給与を増やしてもっと色々やってもらうとか、結局のところコストという観点を避けては通れない問題なのではないでしょうか。
図書館?
このエントリのあと図書館の活用の話が出ていて、そちらの話題も重要かつ興味深いのですが、意外と長くなりましたし力尽きつつありますのでこの辺りで。ぜひのぞいてみてください。