ブログ上部の「歯切れが悪いのは仕様です」という文言は実はかなり評判が良いです(最初に掲げたときはまさかこんなにリアクションがあるとは思いませんでした)。
はじめに
さて、先日のエントリにこんなブコメが付きました。
人文系が嫌われるのはこのエントリみたいにぐちゃぐちゃして結論も論旨もわかりにくい文章書くからだと思った。
[B! はてな] (自虐としての)人文学は役に立たないとかなんとか - 誰がログ
確かに、自分で読み返してもそんなにすっきりした文章ではないと思います。
実は今までも折に触れ「長い」「わかりにくい」「結局何が言いたいの」のような感想はいただいてきました。「長い」はwebではわかりやすい文章にも付くことがあるということを差し引いても、後で自分で読み返してみるとごちゃごちゃした文章になっているなと感じることも多いです。
ちなみに、今まで一番思い切って歯切れ良く書いた(つもり)のは以下のものですが、
それでも最初の方に色々ごちゃごちゃ書いてありますね。
今回は、なぜこのブログの文章には歯切れの悪いものが多いのか、またごちゃごちゃと書いておこうと思います。
仕様だから
終わり。
…でも良いぐらいなのですが、僕自身歯切れの悪い言い方・書き方をする人間です。学会で僕が質疑応答しているのを見たことがある人はなんとなくわかるでしょう(ちなみに発言内容は遠慮がなかったりします)。
これはたぶん僕の慎重(臆病)な性格から来ているのだと思います。
失敗した経験から
言い切った後に間違いに気付く、というのはブログ書いてても研究発表の質疑応答でもよくあります。
には書きませんでしたが、質問・コメントをした(あるいは受けた)後の反省会は僕にとっては必須ですね。
慎重(臆病)なんじゃないのかよ、と思われるかもしれませんが、変に勇気を出しちゃうこともあるのです。『銀と金』の蔵前会長の言葉を借りると「とんでもない弱虫がかぎりなく死に近い決断だってするもの……!」というところでしょうか(違うか
考えてる・悩んでる・迷ってる、そのままを書きたいから
あっちの方で最近こんなエントリを書きましたが
論文などの文章では、下手に回りくどく書かず、簡潔に書かなければならないこともあります(それでも僕は脚注なんかに色々書いちゃうタイプですが)。一方ここはブログなので、本当に迷っていること、考えていること、よくわかってないことをその通りに書きたいなというのがまずあります。
特に専門のことに関しては、はっきりした明快な文章にはしづらいもやもやしていることについて、あるいはもやもやすることも色々あるんだということについて、専門でない方々にも知ってもらうというのは良いのではないかなと考えています。専門家は表では常に堂々と明快であってほしい、ということもあるのかもしれないのですが、色々なもやもやがあるからこそ、はっきり言い切る覚悟もできるんだというか…この辺りは改めてまた書きたいところですね。
あと、知らないことやわからないことに対して、そのわからなさの度合いや質を表現上書き分けるように誠実でありたいという願望もあります(誠実であることが良いことなのかどうかはまた別)。
表現効果として
悩ましいことに関してはきちんと歯切れ悪く書いておいた方が、言い切ったとき、明快に書いたときにインパクトあるんではないかと。ただこれは普段から読んでくれている方にしかわからない上に、そもそもそんな文章ほとんど書かないじゃん、という問題はあります。
書き分けは難しい
自分としては、一般向けに専門のことを解説・周知・宣伝するような文章では比較的簡潔に書きたいという指針はあるのですが、そうやってがっつり推敲に推敲を重ねて書いたエントリはあまりブクマもされずアクセスも集めず、変に書き殴ったような文章が広く読まれたりもするのでなかなか難しいところですね。丁寧な解説と長いと読まないような人に何かを届けることをどうやって両立するのかとか今後も悩み続けるんだろうなあ。
おわりに
さて、いかがだったでしょうか。今回も良い具合に結局何が言いたかったんだという感じに仕上がったかと思います。
今後どのような方針でいくのかということをそんなにはっきりと考えているわけではないのですが、僕自身ブログを書くことで得られたものがたくさんあるので、できるだけ誠実に向き合っていきたいですね。
とりあえず「歯切れが悪いのは仕様です」はしばらくそのまま掲げられていると思います。