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歯切れが悪いのは仕様です。

関西言語学会第39回大会(主にシンポジウム「言語理論と科学哲学」)雑感

 丁寧に書くとまた延び延びになりそうなので雑に書きます。

シンポジウム

 研究発表もやってきたのですが、今回はなんといってもかねてよりファンである戸田山和久氏が参加したシンポジウム「言語理論と科学哲学」を楽しみにしていました。
 シンポジウムの内容は質疑まで含めてYouTubeに上がっています。

  1. 関西言語学会シンポジウム「言語理論と科学哲学」(2014/6/14)_1/4 - YouTube
  2. 関西言語学会シンポジウム「言語理論と科学哲学」(2014/6/14)_2/4 - YouTube
  3. 関西言語学会シンポジウム「言語理論と科学哲学」(2014/6/14)_3/4 - YouTube
  4. 関西言語学会シンポジウム「言語理論と科学哲学」(2014/6/14)_4/4 - YouTube

 ちなみにシンポジウムに関するkillhiguchiさんの記事(シンポジウムそのものの内容についてはこちらの方が参考になります)。

 四つ目の動画が質疑になっていて、最後に質問しているのが私です。質問自体は最初から考えていたのですが(他にもいくつか考えていたのですが)、最初に手を挙げるのを躊躇したら機を逸してしまい、結局最後におまけのように聞く感じになってしまいました(^^; なかなか指してもらえなくてダメかなと思ったのですが、手を挙げ続けた甲斐はありましたかね。
 ちなみに動画見るのもけっこう面倒だと思いますので私の質問(主に戸田山氏へ)だけ書いておくと、「言語学のモデルや方法論を科学哲学の手法を用いて研究したときに、科学哲学の研究として新しく得られそうな知見やインパクトはありそうか」といようなものでした。戸田山氏の返答は省きますが、あまり具体的なアイディアがあるようではありませんでしたね。言語学は言語なんていうかなり高次の現象を取り扱っているのに、それを進化とか自然科学の方と結びつけようとしているところが分野として面白いというようなことを言っていたのが印象に残っています。
 「科学哲学」とタイトルに入っていて戸田山氏まで呼んでいるので、そちら方面(データの取り方、研究のロジック、制度面から見た言語研究、人文(科)学としての性質、…)への掘り下げがあるかと思っていたのだけれど、あまり盛り上がりませんでしたね。個人的にはちょっと残念。哲学系の人からも質問やコメントが出た方が面白かったんじゃないかと思うのですが。

なんで科学哲学を気にしているか、あるいは延長戦のお話

 簡単に言うと、科学哲学は言語学に興味を持つ前から好き…というか僕にとっては重要な分野だったから、ということがまずあるかなあ。戸田山氏のファンなのも、最初に分析哲学系の読書を色々した時に色々読んで助けになったからなんですね。哲学専門ではなかったので(言い訳)原書ではなく、日本の研究者が書いたものを好んで読んでいたのです。それでもQuineとかDavidson辺りは英語でもがんばって読みましたけどね。考えてみるとChomskyとか読む前にその辺りを読んでるんだなあ。
 戸田山氏にはシンポジウムの後に著書にサインをもらったのですけれど、どの本にするのか悩みました。一番最初に読んだ

にしようかとおも思ったのですけれど、人文(科)学と自然科学、理系文系論*1に対する思いをこめてにしました。サインだけでなく(思いがけず)大変奮い立たせられるお言葉もいただいたので、今後もこの辺りのことにも目配せしつつ研究を続けられたらなと思います。
 もう少し細かい話をしておくと、言語学・言語研究って人文学・人文科学としての歴史や背景も背負っていますし、本当にさまざまなアプローチが存在し、かつ隣接/境界領域も多い分野なので、「お前らの方法論って何なんだ」と内外から問われることが結構あるのではないかと思うのですよね。そんな時に科学哲学という分野で蓄積されてきた知見は結構参考になるというか、参考にすべきではないかというか。言語研究者みんながそういう意識を持った方がよいとまでは言いませんが、そこを気にする人が少数でも良いのでいた方が良いのではないかと。
 たとえば、言語学の教科書って別に生成文法のものじゃなくても、結構「言語学は言葉の科学である」みたいなこと書いてあったりするじゃないですか。もちろんここでの「科学」はほぼ「客観的方法論」と同義だったりもするのですが、そういう言葉を使う以上、専門家としてはある程度の責任というか覚悟があって良いんじゃねーかと思っちゃうわけです。ちなみに、僕は「人文“科”学」という表現に対しても結構同じような想いがあります。結論は「ここでの「科学」はほぼ「学問」と同義語です」に落ち着くのかもしれませんけどね。
 ただ難しいのは、そういうことにこだわると面白い研究ができたり、研究分野が発展するかというとそうでもなさそう、というところですかね(変なところで落とし穴にはまる危険性を減じたりとかはできるのかな)。科学哲学を学ぶとよりその分野(の研究者)が「科学的」になれるかというとそんな気もあまりしませんし。研究者としては、諸々の概念などより、むしろ科学史や科学哲学研究史についての知識の方が色々参考になる気がします。
 戸田山氏とは懇親会の時にそういう話も聞いてもらうことができたのですが、たぶん変な奴だなと思われたでしょうね。人文(科)学との関連については、生物学も元をたどれば博物学みたいなところから始まっていて、今もそういう領域と自然科学的な領域がそれなりの関係を築いてやっていけているのが参考になるのでは、というお話をしたのが印象に残っています。
 生成文法については理念("merge only"とか)はわかりやすいし共感するところもあるんだけれど、実際の言語現象の分析になるととたんに色々な概念や装置が出てきてよくわからなくところがある、というようなことをおっしゃっていて、まあその通りかなと思います。細かいところの分析はGBの頃のものを流用しているようなものもありますしね。
 実はシンポで上のような質問をしたのは、面白いアイディアがあったらそれを哲学者に「言語学(方法論)の哲学やってみない?」って投げることもできるかなと思ったからという下心もあったのですが、よく考えたらそんなに簡単ではないですよね。とりあえずは個人的な趣味としてこれからもねちねち考えてみることにします。哲学の方の勉強は最近全然できてないので研究のレベルには持っていけなそうですけどね…(というか専門の方の勉強もごにょごにょ

研究発表

 W杯日本戦と時間がかぶってて、さらに別会場で同時間に小柳智一氏の発表があるということで10人ぐらい来たら御の字かと思っていたのですが(実際、前日から色んな人に聞きに行けないと言われ続け…)、意外と色んな方に来ていただけました。質問やコメントもたくさんもらえました。皆さんありがとうございます。結構厳しいコメントや質問もあって、そういうのがあると発表して良かったなと思いますね(他の方の発表も色々面白かったのですが、力尽きたので割愛…)。
 特に今回は数名の方から「それ研究してどんな意味が」系の質問をいただいて、気をつけなければと感じました。他人に受けるため(だけ)に研究するわけではありませんが、個人的体験から考えると、研究が迷走するときの危険なサインの一つなので。
 これで春の学会シーズンはひとまず落ち着いたかなという感じですが、秋(あるいはその後)へ向けての計画も色々走り始めたので、きちんと実になるようにまた色々がんばらなきゃですね。
 そのためにはまず採点&添削(&諸々)だああぁぁ!