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歯切れが悪いのは仕様です。

IDコールや「いいね」の廃止とコミュニケーション(の研究)

 はてなブックマークのIDコール廃止(決定)のニュースとTwitterが「いいね」の廃止を検討しているというニュースを同日に見たので少しメモしておこうと思う。

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CMC研究とサービスや機能の変遷

 こういう機能と「コンピューターを介したコミュニケーション (Computer-Mediated Communication: CMC)」研究については,少し前にもちょっとだけ書いた。

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 はてなについては以前は(今でも?)他のユーザーとのつながりやすさを売りにしていたと思うのだが,はてなブログからのトラックバックの廃止やこのIDコールの廃止等,制限されるところも出てきているようだ。

 言語やコミュニケーションの研究に触れていると,ディスコミュニケーションは当たり前の現象というか避けることが不可能というのが良く分かるので,誰もが(ほとんど)傷つかないコミュニケーションができる場・機能をというような考え方には共感しないが,システムや機能の特徴によって不幸な事態が引き起こされたり増幅されたりということがあるのであれば,検討の対象になるのは当然かと思う。

 1990年代に比べると,web上の各コミュニティ間の境界はやはり薄くなっている気がするが,一方で各サービスやツール,機能等によるある程度の境界の保持という動きもあるのかなという印象がある。たとえばRSSは結局あまり普及せずそれより各サービスのユーザーのみに配信される更新情報(例:はてなブログの「購読中のブログ」)の方が使われているとか。

 こういう変遷は程度の差はあれ確実にコミュニケーションに影響を与えていると思うので,実際に人々が使っているうちにデータを取り研究するのが良いのだろうが,私の専門である言語学・日本語学の研究のスピード感だとなかなかサービスや機能の変遷のスピードに付いていけないのではないかというのが実感としてある。

 たとえば,Twitterで以前使われていた「引用RT(QT)」は引用表現の研究対象として面白いと思っていたのだが,発言全体にコメントを付けられる機能が用いられるようになってからはかなり使用が減ってしまい,以前見られた引用RTを交互に重ねるコミュニケーションは探すのも難しくなってしまった。このようなケースについては今準備中の論文で少し触れたいと考えている。

 あと,言語学の研究ではやはり発話されたものを研究するのが得意なので「いいね」のような機能までも含み込んだ研究がどれぐらいできるか,あるいはやる人が出てくるかという点については心許ない(IDコールのようなものは発話に組み込まれているのでまだやりやすい)。

 どの研究分野でも良いので論文として記録や記述がなされていると良いのだけれど(自然言語処理とか社会学とかかな)。

おまけ

 IDコールは個別の事例を思い返すと個人的にはあまりこわい思い出はないのだけれど,やっぱり通知が来ると緊張するものだった。10年以上もブログを書いてきたけれど,今でもコメントが付いたというメールを読むのはあまり気が進まない。はてブやTwitterでも簡単に反応できる今,それでもコメント欄を残してあるのはブログと同じ場にも書き手以外の誰かが反応できる余地を残しておいた方がいいからではないかと考えるからである。