誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

レポート共有サイトにおける盗用疑惑(への一部のはてブコメント)についてちょっとだけ補足

 先日書いた記事への反応を見て,少し補足しておいた方が良いだろうと思ったので簡潔に書きます。

はてブコメントはこちら。

盗用か?

 そもそも「盗用」とまで言えるほどのものなのか,という反応がけっこうありました。関連するはてブコメントとしては,

辺りでしょうか。
 確かにそこは私も迷ったところで,そのために,元の記事ではふだんの文章に輪をかけて断言しないような表現を多用しています。
 引用の使い方,つまり,先行研究の知見を参照するときにできるだけ直接引用を使うようにするのか,それとも簡潔な要約引用を使うようにするのか,という判断は,研究分野や研究者のポリシー,またトピックや個々のケースによっても違ってくるようです。
 今回取り上げたケースについては,共有されたレポートの全体の文章をそもそも私しか読んでいないのでアンフェアなのですが(販売されていて購入したレポートですが,私の著作物ではないので全文公開は避けました),問題にした箇所の最初にたとえば「動詞と形容詞の文法的な相違点について,田川 (2005)では次のように述べている。」と書いて始めれば,学部生のレポートであれば,長めの要約引用として問題ないと判断したと思います(むしろよく簡潔にまとめたとして高く評価したかもしれません)。
 また,そういった修正がないものが私の学部の授業のレポートとして提出された場合でも,一発で「コピペレポート」扱いにはせず,提出者本人に問いただして,その内容によっては引用の技術が未熟なので低評価ぐらいで済ませるかもしれません。
 投稿論文の査読であれば,もっとしっかり引用として書き直すことが求められる可能性が高いと思います。
 また,私が厳しめの判断をしたのは,「例文」の取り扱いにも一因があります。元の記事で書いたように,通常も先行研究で示された例文を多少変えて用いることはあるのですが(もちろん出典情報と改変したことは明示する),文法研究における「例文」はデータ・証拠そのもので,時に例文のそのものがその研究の第一の貢献だったりしますので,例文(のアイディア)のプライオリティが不誠実な扱いを受けた場合,「データ(場合によっては研究のアイディアそのもの)を盗まれた」ような感覚を持つのだと思います。ただ,例文が文字通り例示として用いられることもあるので場合によりますし,文法研究者間でも感覚に違いがあるでしょう。

誰がなぜやったのか

 悪意があったのではなく,何らかの事情がある者がやったのでは,という指摘がありました。関連するはてブコメントとしては,

辺りでしょうか。
 実は私もそのようなことを考えてしまいまして,元の記事で「ダメだ」とか「ひどい」といった評価の表現を用いず,「悲しい」という評価にしているのは,その辺りのことが頭にあったからです。

じゃあどうする?

 レポート等を課す側としては,盗用・剽窃が不可能,またはやっても意味がないような課題を出すというのが一つの手段とあって,私自身も考えてはいるのですが,私の知識と技術では常にそのような課題にできるわけではなく難しいところです。
 もちろん,盗用・剽窃に関する(研究)倫理の徹底,「教育」はそれとは別の問題として考えなければなりません。