誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

自分の書いた論文から盗用したような文章がレポート共有サイトで売られていた話

追記(2018/01/03)

 盗用かどうかの判断を中心に,簡単な補足記事を書きました。

はじめに

 下記の,卒論がメルカリで売られているという話を見て思い出したので,「私が書いた論文(からの盗用を含む可能性が高い文章)がレポート共有サイトで売られていた(のを買って確認した)」体験談を,記録として書いておきます。

 新年最初の記事がこういう話なのは切ない気もしますが…

経緯

 もうだいぶ前なのでどういう経緯で見つけたのか詳しくは忘れてしまいましたが,たしか何かの検索に引っかかったんだったと記憶しています。で,どうも「レポート共有サイト」に上がっている文書らしいと。発見したのは専業非常勤講師時代です(2011年,論文発表年は2005年)。
 どうしても気になったので,アカウントを登録してその「レポート」を購入しました。値段は525円でした。購入後に届いたメールにはこんな文面が。

件名:課題は提出しましたか?
(中略)
作成した資料がございましたら、ハッピーキャンパスで販売してみてはいかがでしょうか。
貯まった販売収益金は、現金で出金することも可能であり、資料購入もできます。
(中略)

 どうも体裁は「レポート作成のための資料や参考になる文章」を売買するという感じなのですが,私が購入した資料を見ると,レポートそのままと言って良い(ほぼそのまま提出できる)ものでした。
 ちなみに,刹那的なサービスですぐ消えるだろうと思っていたら,この「レポート共有サイト」,まだ存在していました。

論文とレポートの比較

 では,部分的に私が書いた論文と購入したレポートを比較してみましょう。
 私の論文は大学院生の後期課程在籍時に「動詞と形容詞の形態統語論的な相違点について」というタイトルで書いたもので,いわゆる紀要論文です。下記(機関リポジトリ)からダウンロードすることができます。

 購入したレポートの件名は,「動詞・形容詞の共通点と相違点」です。
 まず私の論文の文章から(ちょっと長いです。あと下線は省略)

(7) a. 明日は雨が降りそうだ。
b. 明日は 暑/*暑く そうだ。
c. 太郎は昨日走り過ぎた。
d. あのフェンスは 高/*高く すぎる
 上の対比に見られるように、「〜そうだ(様態)」、「〜過ぎる」に接続する場合、動詞では連用形が現れるのに対して、形容詞は連用形ではなく語幹部分だけが現れる。これは動詞の連用形と形容詞の語幹部分が同じ環境に現われる、おおよそ同じ大きさの要素であることを示している 。
 また、次の例に見られるように複合語を形成する場合にも、動詞の場合には連用形が現われるのに対して、形容詞では語幹部分が使用される。
(8) a. 立ち食いする、殴り書きする
b. 薄切り/*薄く切り する、早食い/*早く食い する
(田川拓海 (2005)「動詞と形容詞の形態統語論的な相違点について」『筑波応用言語学研究』12: 74)

 次に購入したレポートの文章

まず様態に接続する場合を比較してみたい。
  動詞   日曜は降りそうだ。
  形容詞  日曜は暑そうだ。
動詞は連用形によって接続されるが、形容詞は連用形ではなく語幹部分のみが使われている。
 次に複合語を形成する場合を比較してみる。
  動詞  リンゴを立ち食いする。(した)  
  形容詞 リンゴを薄切りする。(した) 
 やはり同様に、動詞は連用形によって接続されているが、形容詞は語幹部分のみである。これは過去形でも同じことが言える。
(購入レポート)

 どうでしょうか。文章そのものはぜんぜん丸パクリではありませんが,全部読んでみたところ,これはむしろ悪質なのではないかと私は考えました。
 私の論文の文章や例文をうまくアレンジしているのではないかと思われるのですが,(改変*1・要約した)引用であることは明記されていないのですね。
 で,この後接頭辞に関する議論(元の論文だと3節冒頭の話)も私の論文と同じ現象をほぼ同じ例を用いて示した後に,唐突に次のような文章が出てきます。

表面的には一見区別がないが、動詞の否定と形容詞の否定では、統語論的に違いがあり、動詞文における「ない」は否定辞の具現形であると考える、と田川拓海氏は述べている。(参考文献(1))
(購入レポート)

確かに私の主張はざっくり述べるとそのようなことなのですが,おそらく多くの人は,この書き方だと(前半部分の議論は含まず)否定に関するところだけが私の主張であると読んでしまうのではないかと思われます。ちなみに,書き忘れたのかどうなのか,この「参考文献(1)」の情報はどこにも記載されていません(名前とキーワードで検索すればたどり着けそうですが)。

おわりに:誰が書いたか

 この購入したレポートには,おそらく他にも辞書や日本語文法の入門書から引っ張ってきたような内容なども(出典情報なしで)含まれていました。
 私が気になったのは,この購入レポートの完成度が高いことです。複数の文章の文体をかなりうまく統一してつなげていると思われますし(少なくとも私の文章の文体はうまくソフトにしてあります),私の元の論文の(生成文法をベースにした)理論的な分析や抽象的な議論はうまく省いて例文とそこから導かれる記述的一般化をシンプルにまとめています。
 私はたまたま自分の議論が含まれていたので気付きましたが,盗用(控えめに言ってかなりひどい「引用」)に気付かれなければ,おそらく高い評価を得られるのではないかと思います(論点に対して個別の議論がマニアックなことや,やや継ぎ接ぎな感じがするところから気付く研究者はいそう)。
 私はまだそれほど研究のキャリアも教育経験も長くないのですが,これは日本語学や日本語文法の議論にある程度慣れ親しんだ人(学部3, 4年生か大学院生ぐらい)か,そうでなければかなり学術的な文章を読み/書き慣れた人でないとできないことではないかと思います*2。そういう人が書いたそれなりの議論を含んだ学術的文章で,文献は一つしか言及せず,しかも文献情報は示されていないというのも不自然に感じます。「引用の方法だけよく分かっていなかったため盗用に見えるような文章になってしまった」可能性はかなり低いのではないかと。
 もちろんこのような(実質的な)レポート売買サービスが存在していること自体問題なのでしょうが,ある程度特定の分野の勉強に励んだ人が関与しているとしたら,大学教育に携わる者として大変悲しいことです。
 とりあえず経験談と感想をまとめてみただけになりましたが,どうすべきか,ということについては簡単には書けなそうなので,また機会を改めて。

*1:文法研究の論文では,特定の理由のために,(もちろん)断った上で例文を少し変えることがあります。

*2:優秀で要領の良い学部生なら専門が違ってもこれぐらいできてしまいそうな気もしますが。