誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

文章にお金を払うことと投げ銭

なんで投げ銭?

昨日の記事にそもそもなんで投げ銭機能を付けたかって話を書くのを忘れていました。

dlit.hatenadiary.com

まずお金はほしいですよ。いくらでも。ただ今回採用した投げ銭に具体的な収入の希望を持っているかというとそれはあまりないです。そもそもそんなにアクセス数もないブログですし。

ここ数年,webで誰かを応援する仕組みってもっと選択肢があって良いよなと思うようになりました。自分については週刊はてなブログに寄稿した記事でも時間をかけて書いた割に読まれないことがあるって話を少し書きましたが,他の人の記事についてもこれ良い記事,良い文章なのに結局読まれてないなってのがけっこうあって。はてブしたりTwitterに流したりしてもなかなかその後続かなかったり(じゃあバズれば幸せなのかというとまた難しいところではあります)。webだと公開された直後に読まれないとその後埋もれちゃうことが多くないですか。

そこで応援の1つとして今後投げ銭のような「お金を払う」ことがもっと気軽にできるようになると良いんじゃないかなと。YouTubeなんかを見るとお金が絡み出すといろいろ問題も出てくるんだろうなとは思うんですが,ブログについてはまだ多くの人が試してみるような段階ではないでしょうか。

webにあるオープンであることの思想って好きで,できるだけオープンにする手段の1つとして(も)「無料」ってことがあるんだと思うんですが,どうもさいきん「無料であること」にフォーカスされすぎてるような気がしていて(もちろん無料であることの理由はほかにもいろいろあると思います)。収益を上げることを優先するならclosedなコミュニティ(サロンとか)を作るのが良いのでしょうけれど,そういうスタイルと「無料」の間に色んな段階がほしいという感じです。

ほかのところで収入や収益が確保されていて何を気兼ねする必要もなく何かが無料であるならそれは素晴らしいのかもしれませんが,現状ではあまりそういうことはないですよね。

ほんとうに無料でかつ良いものは色々ありますし,そういうものが提供される環境や場があることは素晴らしいです。それに助けられる,助けられている人もたくさんいるでしょう(もちろん私もその中の1人)。それでも,「無料が当たり前」「無料にせざるを得ない」という方に流れてはほしくないなと思います。でも結局選択肢としてあるだけだとみんな無料の方を選んじゃいますかね。

今回はブログの話で私自身も研究者なので文章の話をしていますが,ほかの,人によって生み出されるものの多くに関係してくる話であり,別にweb限定の話でもなく古典的な問題の1つかなとも思いますけれども,さいきんのトレンドはどの辺りのあるのでしょうか。

おまけ:新聞とか

ちょっと話がずれるんですが,新聞とかのメディアでも記事や記者への投げ銭機能とか個別の記事の購入制度とか作ってくれないかなと思うことが多いです(もうあるんでしょうか)。有料会員になってる新聞もあるんですが,何紙分も払うお金は厳しく。でも,少なくともこの記事にはお金払いたいってことけっこうあるんですよね。売る方としては割に合わないということなのかもしれませんけれども。