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研究倫理と学校教育について少し気がかりなこと

はじめに

大学より前の学校教育(中学、高校)における研究倫理の取り扱いについてさいきん少し気になることがあり、記録としてメモしておきます。

下に書くことが私の杞憂だったら良いのですが、単なる伝聞や推測だけでなく、私個人が関わったケースも複数あります(多数ではないので例外であってほしい)。ただしいずれも私的なやりとりですし、生徒が関わることですので具体例に関する詳細は書きません。そのため、学校教育が身近ではない方にとっては特にわかりにくい記事になってしまうかもしれません。

なお、私は大別すると人文系の研究者ですので、記事では人文系の研究を念頭においていますが、一口に「人文系」といってもさまざまな分野があり研究テーマやアプローチもいろいろありますので、網羅的に考えることができているわけではありません。

中学や高校での「研究」

研究や教育に日常的に関わっていない方でも、SNSなどで中学生や高校生の「研究」の話や成果を目にする機会はそれほど珍しくないのではないでしょうか。ニュースになるのはたとえばプロの研究者並みに成果が出たケースが多いですが、大学のライティングの授業で話を聞くと高校までで卒業論文(のような位置付けのもの)を書いた経験があるという学生はそれほど珍しくありません。

SNSやオープンキャンパスで見かける中にもすでにかなりの専門的な勉強や研究をしている高校生はいて、自分の分野についてでなくても研究者・大学教員としては嬉しく思います。研究の裾野を広げるとか、理解者を増やすという点から見ても良いことでしょう。将来その道に進まないとしても、多くの人がどこかで体験してくれているというのはその業界にとって重要なことです。

もちろん研究はプロの研究者だけの専有物ではありませんのでこういうこと自体が問題というわけではありません。さいきんでは研究者によるアウトリーチ活動も盛んですし、体験型の授業(公開講座、模擬授業)やあるいはSNSなどで研究者から「気軽に研究に挑戦してみて」といったことを言われたことがある生徒も少なくないでしょう。

気になること:研究テーマ

では何が気になるかというと、テーマや手法によっては気軽に取り組むのが危うい研究もあるということです。

人文系では人を対象にした研究が多いです。直接の対象は資料という研究ももちろん人文系の核ですが、資料を通して人について考える研究も多いですよね。

人を対象にするという点では、実は人文系の研究(の一部)は医学などに近い側面があります。非専門家が人を対象にした医学的な研究を行うのはそれほど専門的な知識がなくても危ないと判断できる人が多いと思います。一方、人文系のアプローチだとその辺りの危うさに気付く感覚というのはあまり一般的なものではないのではないかという気がします(人文系の分野間でも違いがあるかも)。ただ「調査とは迷惑なものだ」とか「分析には暴力的な側面がある」というような警句はどこかで聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。

最初に書いたように具体的なケースについては書きませんが、危うさが分かりやすいテーマ・トピックとしては、たとえば何らかの「差別」が関わることとか、何かの被害にあった人が対象になることなどを考えてみてください。

これが大学だと、授業の担当教員に相談してみたり、ゼミなんかで指導教員や大学院生から指摘されることによって、その研究テーマや研究手法の危うさ、難しさに気づき、それでも実行する場合は指導を受けることができるわけですが、中学、高校だと運良く教員や保護者などが専門的な知識を持つような場合を除いて同じような環境を用意するのはなかなか難しいのではないでしょうか。

研究テーマ自体に問題があるわけではないが、調査や分析を慎重にやらなければならない、というパターンで先行研究がある場合はさらに判断が難しそうです。前例があるわけですからね。テーマによってはそういう研究、調査の難しさについて文献内で説明がある場合もありますが、分量に制限がある場合やその分野では十分共有されている問題意識については書かれないこともあります。

研究環境の向上

大学教員の皆さんは「その問題は昔からあるよね」と思うでしょう。それはその通りだと思うんですが、研究環境の向上と次に書く入試の関係で危うさが大きくなっているという心配があります。

研究環境の向上とは何かというと、研究に使えるデータや資料の多くがオープンになり、研究に使えるツールも広く公開されているものが多くなってきているということです。もちろんこれ自体は素晴らしいことで、研究者としても大変助かっています。

テキストマイニングやプログラミング、統計分析に関するツールやマニュアル・ガイドはwebを探せば豊富にあり、生成AIのサポートもあります。アンケートはwebで行う方法が確立されてきていて、今は社会調査法の教科書でも取り扱われていたりします。

その気になれば、中学生や高校生(場合によっては小学生)でも形式上は研究を行える研究テーマやアプローチが以前よりは増えているのではないでしょうか。こういう環境や情報に比べると、「こういう研究テーマには慎重に取り組む必要がある」といった類の情報は、webでは得にくいという体感があります。書籍で読む必要があり、また理解するハードルも高かったり。

これは何も中学生や高校生だけの問題ではありません。今でもときどき非倫理的な分析や考察がwebで話題になることがありますが、この先増えてもおかしくないと思います。

入試などにかかわる問題

もう1つの懸念は入試に関わることで、特に総合型選抜のような形態の入試との関係です。一口に総合型選抜と言っても何が評価されるかというのは大学や学部によって違うでしょうが、研究に対する積極性を評価するところは少なくないでしょう。

今後総合型選抜が拡充されたり、あるいは総合型選抜の中での競争が激しくなると、中学生や高校生の段階でインパクトのある「研究」成果を出すための無理が増えてしまうこともあるのではないかというのが私の心配です。プロの研究者からの類推だとまずは剽窃や捏造などの研究不正が思い浮かびますが、それに加えて、人を対象にした研究だと調査対象へのネガティブな影響が心配です(たとえば人権侵害に当たるようなインタビューやアンケート調査など)。

総合型選抜に関しては、たとえば下記のまつーらさんの記事にあるように階層の固定化などがよく問題として言及されますが、研究分野によってはこういうネガティブな影響も出てくる可能性があるのではないでしょうか(心理学なども似たような懸念がありそうだと考えています)。

総合型選抜の効果・影響を論文からまとめてみた|まつーらとしお

対策?:研究倫理の教育など

さて、このような問題がもし私の杞憂でなかったとして、中学校や高校の実際の教育現場でどう対応するかというのは難しいところでしょう。

自然科学分野に関してはすでに高校までの研究倫理教育に関する調査・研究があるようで、研究倫理に関する教育自体は行われているが十分ではないという研究が多そうです。ただ網羅的に文献を調べたわけではなく、さいきんはより状況が改善されている可能性はあります。

中等教育における研究倫理教育の実施状況調査とe-ラーニングとグループ討論によるリメディアル教育

剽窃や捏造といった研究倫理上の問題に比べると、上で述べた「慎重に行うべき研究テーマとその取り組み方」というのはさらに教育や周知が難しいのではないかという気がします。アンケート調査も、たとえば同意書・撤回書の作成といったテクニカルなところは経験者でなくても分かりやすいと思うんですけどね。

おわりに

上では調査対象者が被害者になるという視点から述べましたが、たとえば研究倫理上問題がある研究を行ってしまったために総合選抜などで低い評価を受けたら生徒にもネガティブな影響がありますし、ほかにもさいきんだと良い研究をしたと思ってSNSで紹介したら炎上するというようなケースが考えられます(良い動機と問題意識から問題のある研究がなされる可能性も十分あります)。

もう1つやっかいな問題は、研究倫理に関する教員の知識です。まずはもう今現在教員のやらなければならないことというのは多すぎるので、さらに研究倫理教育もやれというのは酷です。

人文系についての事情としては、人文系の研究倫理はもちろん以前からあるものの制度的な整備が進んだのは比較的さいきんということがあって(たぶん)、大学生のときに自分がそういう研究倫理を気にする必要のある研究をしていた学生以外があまり体系的に学んでいない可能性があります。また、そういうことを大学生時に学んでいた場合も、研究倫理はアップデートされることがあるので(実際、昔取ったデータが今の研究倫理の水準では使えない、というようなことが私の周りではありました)、教員をやりながらそういう情報を定期的にフォローするのはやはり大変でしょう。

こういう問題の一部でも高大連携でなんとかなるところがあるのでしょうか。

私自身少し学校教育に関わることがありますので、個人的につながりがあるところではできるだけ情報提供やサポートをしたいのですが、ここ数年の体感としては、もう少し組織的というか分野のような大きなまとまりで考えた方が良い問題なのではないかと考えています。

私が知らないだけでそのような取り組みをしている分野や組織は実はいろいろあるのかもしれません。教えていただけると大変助かります。