誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

田川です

私の姓は「田川」なんですが,下記の記事を読んだら福岡県の田川市が出てきたのでなんとなく。

www.asahi.com

最初に「田川市」の存在を知ったのは学校でもらった地図帳を眺めていた時でした。なんとなく地図帳って隅から隅まで見たくなりませんか。

「田川」ってものすごく基本的な漢字の組み合わせな割にはそこまでありふれた姓ではないので,この字面を自分と関係のないところで見かけると目をひかれます。

以前から書いているように私は沖縄出身で高校まで沖縄で過ごしたのですが,沖縄固有の姓というわけではないようで,沖縄では親戚以外の田川さんにはほとんど会いませんでしたね。

姓の分布地図なんかで調べたこともあるのですが,どうも九州に多い名前のようで,父方が奄美大島にルーツがあるのと関係してるのかなと考えています。九州になじみのある方と話すと,田川市の話以外にも「同級生に田川っていた」って話になることもしばしば。

そういえば,フルネームだと「田川拓海」なんですが,院生の頃に日本語学系の先生に「水が多い名前だなあ」と言われたのが印象に残っています。

東京だとほとんど「田川」さんに会わないのですが,「○田川」の字面を見かけることは多く,「宇田川」「隅田川」「神田川」…に最初はいちいちぴくっとなっていました。

先日の台風19号のニュースで栃木に「田川」という名称の川があることを知りました。本日25日の大雨もこれからどうなるか心配ですが,田川に限らずどこの川・地域も被害があまり出ませんように。

『日本語文法』に愚痴命令文の研究ノートが出ました

『日本語文法』は日本語文法学会の査読誌です。正式な題目は「独話に現れる愚痴命令文と反事実性」,掲載されたのは19巻2号です。目次はくろしお出版のページをご覧下さい。

www.9640.jp

Amazonでも買えます。

待ち合わせに遅れてきた友だちを遠くに発見した時に「もっと早く来いよ…」とつぶやく,ようなタイプの命令文の記述と分析案の提示を行っています。命令文というのは基本的に聞き手の未来(の予定)に干渉するというのが特徴なので,すでに確定していることがらについて,しかも独り言で使える命令文があるというのは不思議なのですね(上の例で言うと,この友だちは発話時点ですでに「もっと早く来る」ことを実現することはできなくなっている)。

「愚痴命令文」は私の命名で,正直査読で考え直せと言われるかと思っていたのですがそのまま通ってほっとしました。意味論的には,ノートの中でも触れている「反事実命令文 (counterfactual imperatives)」ではないかというのが重要で,この名称も気に入っていたのですが,こちらは残念ながら先に使っている文献(オランダ語の分析)がありました。文法的には,このタイプの命令文ではいわゆる終助詞の「よ」が(ほぼ)外せないというのが面白いところです。

今回は命令文の分析にフォーカスしましたが,独り言研究自体は,Twitterを対象にした言語学的研究ともつながるのではないかと考えています。ただこの辺りの研究成果が出せるのはいつになることか…

今回良かったなと思うのは,査読の助言によって,議論や構成等が明らかに改善したことです。私のこれまでの被査読の体験ではだいたい良いか悪いかがはっきりしていて,どちらにせよあまり大きな修正がないことが多かったのですが,今回は違いました。修正はなかなか苦労しましたが,査読によって論文の質が上がることも査読制の良いところだと思いますので,自身がその対象になったことを嬉しく思います。

「やさしい日本語」についてちょっとだけ

はじめに

下記の「やさしい日本語」に関するまとめが話題になっていて,Twitterでも少し関連することを書いたのですが,やはりこちらでも少し何か書いておくことにします。

togetter.com

東日本大震災の時にもそこそこ話題になったという印象があったのですが,それはやはり私の周囲に日本語学・言語学や日本語教育(日本語を第1言語としない人に日本語を教えること)に携わっている人,なじみのある人が多いからかもしれません。この話題に限ったことではないと思うのですが,機会があるたびに宣伝し続けるのが良いのでしょう。というわけである程度知っている方はいろいろなところで何か書いてみると良いのではないでしょうか。

私個人としては,東日本大震災の時に手話ニュースが叩かれたのを思い出しました。Twitterやはてブのコメントでも言及がありますが,こういう情報が助けになるのは「外国人」だけではないのです。

また今回,この話題に関して「想像力がない(のか)」というコメントをいくつか見ました。確かに「想像力」は知識や経験が及ばないところを補うという側面もあるのでしょうけれど,想像力の届く範囲はやはり何かしらの知識や経験をベースにするというところもあると思うので,いろいろな形でこの話題に触れる人が増えてくれると嬉しく思います。

庵功雄『やさしい日本語』の紹介

さて,いつものことですが私自身は日本語教育や社会言語学が専門というわけではありませんので,本を簡単に紹介するに留めたいと思います。

ちなみに,webで得られる情報源としてはやはり弘前大学の社会言語学研究室が公開している「やさしい日本語」のサイトが良いのではないかと思います。Q&Aに「やさしい日本語」の歴史をはじめ,日本語教育の初歩的なことについても簡単な解説があります。

human.cc.hirosaki-u.ac.jp

本としては,岩波新書の庵功雄 (2016)『やさしい日本語―多文化共生社会へ』がおすすめです。簡単な日本語学・言語学・日本語教育入門にもなっています。手に入れやすく安価で電子書籍もあるという点でも良いですね。

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

この本には,上のまとめや関連ツイートを目にした方が気になった多くのことがらについての情報や解説があります。他/多言語対応も必要だが限界があり「やさしい日本語」も必要であること(他/多言語対応と排他的な関係ではない),国内在住の「外国人」で第1言語以外の言語としては英語より日本語の方が分かる人が多いこと,さいきんニュースとしても定期的に話題になっている「外国籍の子どもたち」の言語の問題,ろうの子どもたちの問題,…そして,日本語そのものの語彙や文法,表記の問題にも具体的に触れられています。また,簡単ですが巻末に付録として実際に自分が使う時の指針になる〈やさしい日本語〉マニュアルも付いています。

最後に,少し長めですが重要な引用を1つ。

日本語を使った外国人とのコミュニケーションを普通のこととして受け入れる…(中略)…この場合の「日本語」は,私たちがふだん何の調整も加えないで使っている日本語ではなく,相手の日本語能力に合わせて調整した〈やさしい日本語〉です。言語を調整するという考え方が受け入れにくい読者もいらっしゃるかもしれません。しかし,そのように日本語を調整して,外国人とのコミュニケーションを遂行しようとすることは,実は,日本語母語話者に求められる日本語能力を高める手段として非常に有効です。
(庵 (2016): 13)

また,災害時のコミュニケーションや情報保証,日本語の表記の社会言語学的な問題について興味のある方は,webでは id:hituzinosanpo 氏のはてブやブログが参考になると思います。

余談

Twitterにも書きましたが,私は日本語学や言語学の概論に当たる授業や,文字・表記を扱う授業ではできる限り「やさしい日本語」や表記の社会言語学的な話題について触れることにしていて,時間があるとひらがなで書かれた論文を受講生に見せることがあるのですが,だいたいの人がかなりの拒否反応を示します。その前にある程度講義や予告をしておいてでもです。大きな違和感があるのは私も最初そうだったので分かるのですが,授業で要求しているわけではないのに漢字の必要性を正当化しようとする人もけっこういます。何か不安のようなものが生まれるのでしょうか。

今回は「やさしい日本語」の表記面が注目を集めたようですが,文法や語彙(外来語やオノマトペを極力使わない,とか)についても知っておくと会話でもけっこう色んな人とコミュニケーションが取れるようになりますよ。特に,大学事務の窓口や,接客業,公共交通機関のスタッフの方などにもかなり役立つのではないかと思います。「もう知ってるよ」という方も多いのかもしれませんが,私の生活で触れる範囲では,「やさしい日本語」も英語も使わずに「通常の」日本語で「外国人」に接している人がかなり多いという印象があります。

追記(2019/10/15)

やはり書き忘れたことがありました。下記のような記事にも書いたように私自身教育研究科(修士)という学校教育に携わる人が来るところで授業を持っていて,

dlit.hatenadiary.com

学部の授業にも教職希望者はそこそこいるのですが,国語教育や英語教育,小学校教育に興味のある人にも「やさしい日本語」はそこまで知られていないのではという実感というか不安というかがあります。杞憂だと良いのですが…一方で,国語の教員を目指している人が自主的に日本語教育の勉強をしたり他学科の日本語教育の授業を受けたりというケースもあるんですけどね。

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dlit.hatenadiary.com