誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

自分に関する何かの量が増えていく(のを見る)のが好き

たとえば,アプリやファイルのダウンロードの進行状況とか,けっこう長い間ぼーっと見ていられる。ただだいたい同時に貧乏性も発動されて結局何かやってしまうのだけれど,それでも時々手を止めて進行状況をながめたりしてしまう。なんなんだろうこれ。

ライフログも,手動でやる系は面倒さの方が買ってしまってほとんどできた試しがないのだけれど自動で記録してくれるやつをチェックするのは楽しい(今はそういうアプリがいろいろあって素晴らしい)。ここ数年スマートウォッチを使っていて,

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運動に関するいろいろな数値や睡眠時間の記録とかがたまっていくのが楽しい。あと移動の記録とかも。そこまで状況の改善に寄与しているわけではないと思うのだけれど「あれの量が増えるなら歩くか」と思うことはけっこうあるので意外と自分の行動にも影響しているかも。

もちろんお金が増えていくのも好きなのだけれど,あまり貯金が好きだったりうまいということはない。お金は簡単に減るからかな。

考察とかは特にないです。

ところで書いている途中に思い出したんですが,はてなグループの日記データのエクスポート,特にはてブとかでもその後関連記事を見かけないのですけれどまだ時間がかかりそうということなのでしょうか。下記の記事にある受付開始日の翌日には依頼を出したのですがまだ連絡がないようです。

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たぶん「素人ですが…」からはじまる質問に回答者が悩めるポイントはあまりない

かなり頻繁に話題になりますね。

実際にはさまざまなケースがあり,質疑応答をしている当人たちと周囲の受け取り方がずれていることもあると思うのですが,実は回答する方としては選択できる対応方法はあまりないと思うのです。

以下,思いつくパターンをちょっとだけ書き出してみます。ちなみに,学会や研究会での研究発表に対する質疑応答を想定しています。いつもいつも書いていることですが,研究分野やトピックによって条件等いろいろ違いもあるでしょう(研究発表の研究プロセス上での位置付けとか)。

先に述べておきますが,自身のプライドや面子,周囲へのアピールのために質問する人については,その場で取れるうまい対応策はなく,司会のコントロールに期待するしかないと思います。事前にそういう人の存在が分かっていて対応策が練られるなら望みはあるかもしれません。

質問者が本当に自分のことを素人だと思っているが,関連トピックや隣接領域等広く見ると専門家

質問が的を外していないことが多いと思うので,回答者としては現状答えられることをそのまま答えれば良いと思います。

質問の射程が広かったり本質的だったりすることがあってなかなか答えに窮することがあるかもしれませんが,すぐに回答できないようなら無理に答えるよりは「今はムリ」と言ってしまう方が時間も浪費しないで済みますし私は好きです。質問者の研究トピックとは事情が違うのでアナロジーでは論じられないというようなことがある場合は,はっきり言った方が議論としても良いですし喜ばれるのではないでしょうか。

当人達の意識と周囲の見方がずれやすいのがこのパターンですかね。たとえば私はいちおう生成文法(言語学)も専門の1つですが,自分が詳しくないトピック(たとえばwh移動とか)については質問のときに「あまり詳しくないのですが…」と前置きすることもあります。でもそもそも生成文法自体専門でない人から見たらテクニカルタームは使ってるのにどこが詳しくないんだとか思われるかもしれません。

質問者はそのトピックが専門ではないがちょっと知っていて自分の質問が実はクリティカル/鋭いと思っている

質問が的を外していなければそのまま答えられることを答えれば良いでしょう(変に長いコメントがその後に来るかもしれませんが)。

一方,質問が的を外している場合は厄介です。人によりますが,端的に答えると食い下がってくるケースもあったりします。質疑応答の時間で基礎的なことから話す時間はだいたいありませんし,こういう人に基礎から丁寧に説明するとかえって火に油なんてことになりかねません。司会に期待しましょう。

質問者は実は自分のことを専門家だと思っている

本当にこういう自覚があるのに,「素人なんですが…」的な前置きをするケースってどれくらいあるのでしょうか。

上に書いたように悪意を持ってやられた場合は対応策がないと思うのですが,質問内容が今の自分がすぐに答えられるものでない場合はそう伝えるしかないのではないでしょうか。あとは変に長引かないように司会に期待しましょう。

「私も分からないのですが…」といったパターンの前置きだと,悪意を持っているわけではなく,専門家なんだけど本当に悩んでいるというパターンもあります。相手に悪意があるかどうかはなかなかその場では判定できないので,やはりその場で答えられることを答えるしかないように思います。

コミュニケーションの齟齬はしかたない

結局,回答者としては現段階で答えられることについて丁寧に話し,分からないことを無理に話そうとしない以外にできることはあまりないのではないでしょうか。あとは司会がきちんとコントロールしてくれることに期待ですかね。確かに私もある程度学会発表とか経験して「うまいかわし方」みたいなものに関する知識もないことはないのですが,そういうものにかなりの時間や労力や意識を割かないといけない研究分野ってどうなのと思います。もし自身が所属する分野がそういうコミュニティだったとしたらやっぱりそういう「伝統」は一朝一夕には変えられないので,学会当日にできる特別なことはあまりない気がしますね。

こういう記事を書くと,悪意のない人の方がかえって萎縮しちゃって気軽に質問できなくなっちゃうかもと思ったのですが,定期的に見る話題ですし私が参加する範囲だと回答者側の過剰防衛的反応も気になるところなので書いてみました。最初に書いたように分野や研究トピックによっていろいろ違いがあると思いますので,「質疑応答とはこうあるべきだ」論も良いのですが,それぞれの具体的なエピソードとかも書いてみませんか。

ちなみに自然言語の研究者の立場から少し書いておくと,前置き表現とか質問の表現とかが発話者の意図とは違ったように受け取られていまうのはもう自然言語を用いたコミュニケーションの宿命みたいなところがあるので,よっぽど少人数のクローズドなメンバーだけでのやりとり(ゼミとか)ではっきりとルールを決めて運用できるケースを除いて,そのほかの表現をうまく使ったり,コミュニケーションを続ける中で齟齬を解消していくしかないと思います。ただ,質疑応答は時間が限られているのでそれにあまり時間をかけられないのがつらいところですね。質問が責めとして受け止められてしまう現象やレトリカルクエスチョンについてもそのうち何か書きます(こう書いておかないと永久に書かなそう)。

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「飲み会」の影響でしばらくビールが嫌いだった話

今はいろいろなタイプのビールが昔よりはある程度手軽に飲めるようになってきていて,その点では良い時代だなと思う。

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ちなみに,私自身は酒を飲むことも,人と飲むこともそれなりに好きである(知り合いに豪傑が多すぎるので控えめに書いておく)。ただ晩酌とか帰宅前に1杯ひっかけてから,とかはしないタイプ。あと,それほど強いわけではなく量を飲めないのでできれば美味しいお酒を飲みたい。

体育会の飲み会とビール

これ自体は何度か書いている気がするけれど,大学生時代は体育会の部活に所属していた。私が学部生だったのは1998-2002年で,まだ大学もそこまでアルハラ等飲酒関係問題の対応に今ほどは力を入れていなかったという印象がある。

伝聞の限り私が所属していた部活は他の競技と比べて「飲み会」の過激さはそれほどひどくなかったようだが,ひどいことは色々あった。今でも思い出せる事件とかいわゆる「コール」の話もあるけれど,ここでは具体的に書かない。

特に学年が下の者にとってはやはり「飲まされる会」であって,飲める体質のものでも憂鬱な人がほどんどだったのではないかと思う。「一気飲み(の強要)」も当然のようにあって,なんというかデフォルトのアルコールは(日本製の)ビールだった。そのせいで,私にとっては少なくとも学生時代はビールは嫌いな酒で,卒業後もしばらくは苦手だった。乾杯とか最初の1杯とかでは飲んでたけど,たぶん10年くらいは避け続けたのではないかと思う。今ではほとんど苦手意識はなくなって,食べ物との組み合わせ次第では自主的に選択することもあるけれど,一番好きな酒ではないかな。

そんな私とビール(類)の距離を再び縮めてくれたのは,アイリッシュパブでの「キルケニー (Kilkenny)」というビールとの出会いだった。いわゆるRed Aleの一種で,ビール・エールでは今でもこれが一番好きである。実は一瞬だけ日本でも缶入りが売られていた時期があって,晩酌なんてしない私が頻繁に輸入アルコールを扱っている店に通っていたのだけれど,すぐに取り扱いが止まってしまった。今でも日本国内だと飲食店でしか飲めないのではないかな(その店でもいつも飲めるわけではなかった)。

ちなみに,検索してみたらびっくりしたことにWikipedia日本版の記事がなかった。以下は英語版の記事。

en.wikipedia.org

キルケニーを入口にして(濃い?)エール系を飲むようになり,だんだんと「すっきりとした」ビールも普通に飲めるようになっていった。ベルギービールの流行等もあり,海外製/日本製のいろいろなビールが流通するようになったというのも状況として良かったのかなと思う。

アルコール文化が未来の酒飲みを潰してない?

私はアルコール類全般を嫌いとはならなかったので,ビールが苦手な時期は日本酒や焼酎等を飲んでいて(特に日本酒は先輩方にいろいろ教えてもらった)そのうちビールにも戻ったけれど,最初の方に体験した「飲み会」のせいで酒自体嫌いになってしまった人も結構いるのではないかな。

私に関して言うと酒の種類とかおいしさのはなしではなく,飲まされたのがたまたまビールだったからビールが嫌いになっただけで,たとえば日本酒を飲まされまくったら日本酒が嫌いになっていたと思う。

少し前に話題になったストロング系アルコールの話を読んだときも似たようなことを思ったのだけれど,その時たくさん飲んでくれる人を確保するために,実は将来にわたってながらく飲んでくれる人を確保できていない,あるいは手放している可能性はないのかなあということを考えてしまう。上の記事で指摘されているのは,ストロング系アルコールはそもそも「(飲むことを楽しむための)酒」として位置づけられていないということなので少し違う話なのかもしれないけど。