誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

たぶん「素人ですが…」からはじまる質問に回答者が悩めるポイントはあまりない

かなり頻繁に話題になりますね。

実際にはさまざまなケースがあり,質疑応答をしている当人たちと周囲の受け取り方がずれていることもあると思うのですが,実は回答する方としては選択できる対応方法はあまりないと思うのです。

以下,思いつくパターンをちょっとだけ書き出してみます。ちなみに,学会や研究会での研究発表に対する質疑応答を想定しています。いつもいつも書いていることですが,研究分野やトピックによって条件等いろいろ違いもあるでしょう(研究発表の研究プロセス上での位置付けとか)。

先に述べておきますが,自身のプライドや面子,周囲へのアピールのために質問する人については,その場で取れるうまい対応策はなく,司会のコントロールに期待するしかないと思います。事前にそういう人の存在が分かっていて対応策が練られるなら望みはあるかもしれません。

質問者が本当に自分のことを素人だと思っているが,関連トピックや隣接領域等広く見ると専門家

質問が的を外していないことが多いと思うので,回答者としては現状答えられることをそのまま答えれば良いと思います。

質問の射程が広かったり本質的だったりすることがあってなかなか答えに窮することがあるかもしれませんが,すぐに回答できないようなら無理に答えるよりは「今はムリ」と言ってしまう方が時間も浪費しないで済みますし私は好きです。質問者の研究トピックとは事情が違うのでアナロジーでは論じられないというようなことがある場合は,はっきり言った方が議論としても良いですし喜ばれるのではないでしょうか。

当人達の意識と周囲の見方がずれやすいのがこのパターンですかね。たとえば私はいちおう生成文法(言語学)も専門の1つですが,自分が詳しくないトピック(たとえばwh移動とか)については質問のときに「あまり詳しくないのですが…」と前置きすることもあります。でもそもそも生成文法自体専門でない人から見たらテクニカルタームは使ってるのにどこが詳しくないんだとか思われるかもしれません。

質問者はそのトピックが専門ではないがちょっと知っていて自分の質問が実はクリティカル/鋭いと思っている

質問が的を外していなければそのまま答えられることを答えれば良いでしょう(変に長いコメントがその後に来るかもしれませんが)。

一方,質問が的を外している場合は厄介です。人によりますが,端的に答えると食い下がってくるケースもあったりします。質疑応答の時間で基礎的なことから話す時間はだいたいありませんし,こういう人に基礎から丁寧に説明するとかえって火に油なんてことになりかねません。司会に期待しましょう。

質問者は実は自分のことを専門家だと思っている

本当にこういう自覚があるのに,「素人なんですが…」的な前置きをするケースってどれくらいあるのでしょうか。

上に書いたように悪意を持ってやられた場合は対応策がないと思うのですが,質問内容が今の自分がすぐに答えられるものでない場合はそう伝えるしかないのではないでしょうか。あとは変に長引かないように司会に期待しましょう。

「私も分からないのですが…」といったパターンの前置きだと,悪意を持っているわけではなく,専門家なんだけど本当に悩んでいるというパターンもあります。相手に悪意があるかどうかはなかなかその場では判定できないので,やはりその場で答えられることを答えるしかないように思います。

コミュニケーションの齟齬はしかたない

結局,回答者としては現段階で答えられることについて丁寧に話し,分からないことを無理に話そうとしない以外にできることはあまりないのではないでしょうか。あとは司会がきちんとコントロールしてくれることに期待ですかね。確かに私もある程度学会発表とか経験して「うまいかわし方」みたいなものに関する知識もないことはないのですが,そういうものにかなりの時間や労力や意識を割かないといけない研究分野ってどうなのと思います。もし自身が所属する分野がそういうコミュニティだったとしたらやっぱりそういう「伝統」は一朝一夕には変えられないので,学会当日にできる特別なことはあまりない気がしますね。

こういう記事を書くと,悪意のない人の方がかえって萎縮しちゃって気軽に質問できなくなっちゃうかもと思ったのですが,定期的に見る話題ですし私が参加する範囲だと回答者側の過剰防衛的反応も気になるところなので書いてみました。最初に書いたように分野や研究トピックによっていろいろ違いがあると思いますので,「質疑応答とはこうあるべきだ」論も良いのですが,それぞれの具体的なエピソードとかも書いてみませんか。

ちなみに自然言語の研究者の立場から少し書いておくと,前置き表現とか質問の表現とかが発話者の意図とは違ったように受け取られていまうのはもう自然言語を用いたコミュニケーションの宿命みたいなところがあるので,よっぽど少人数のクローズドなメンバーだけでのやりとり(ゼミとか)ではっきりとルールを決めて運用できるケースを除いて,そのほかの表現をうまく使ったり,コミュニケーションを続ける中で齟齬を解消していくしかないと思います。ただ,質疑応答は時間が限られているのでそれにあまり時間をかけられないのがつらいところですね。質問が責めとして受け止められてしまう現象やレトリカルクエスチョンについてもそのうち何か書きます(こう書いておかないと永久に書かなそう)。

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