基本的には研究のお話です。
院生の頃から考え続けていることなのですが、忘れないうちに書いておこうと思いまして。
はじめに
面白い研究発表だったら質問したりコメントしたくなっちゃって実際しちゃうってのは大前提としてあるのですが、ここから先の話は「質問したら質問者にとってどんな良いことがあるのか」というところに話を絞ります。なお、ここから先は「質問」とだけ書きますが、コメントや情報提供も含むことにします。
院生の頃、師匠から「発表を聞いたら必ず何か言え」という教えを受けてできるだけ実践してきたのですが(みんながみんなこれをやると大変だと思いますが)、そのせいもあって質問することにどんな利点があるのかということをよく考えていました。
ちなみに、僕も発言しないことは結構あるのですが、興味のある話だったり、自分の研究テーマに近いと考え込み過ぎちゃってかえってうまく発言できなかったりってことが多い気がします。あと学会だと「あの人の質問・コメントが聞いてみたいから…」って自重してたら時間切れになるなんてこともありますかね。
それでは
発表に(より)集中できる
必ず質問するということを念頭においておくと、緊張感が保てます。僕は元来集中力散漫なところがあるので、これで結構発表に集中でき(それでも色々挙動不審なようですが)、聞いてるうちに面白くなっていって結果的に良かったという体験もしました。
自身の研究者としての技量や知識をのばすきっかけに
かなり専門外のようなテーマの発表についても質問することを前提にしていると、そういう分野に対しても研究一般という視点から見る姿勢が鍛えられる気がします(この点では色々な失敗も経験してのことですが)。また、普段から専門外のことについても積極的に勉強するモチベーションとして機能しています。
その研究が進むことで自分の研究にも良い影響があるかもしれない
これはやや理想論な感じですが、周囲の研究が進むと自分の研究が面白くなったり新しい局面を迎えられたりすることがあるのではないかと考えています。競争もあるのでテーマが近い場合は難しいところですけれど。もちろん質問することでその研究の進展に寄与できるとは限らないのですが、質疑の時間を大幅に独占するようなことが無ければ、沈黙よりは良いんじゃないかなあ、と楽観的に考えています。
発表者とその後話すきっかけに
「変なやつに絡まれたなあ」と思われていることもあるのでしょうけれど、発表の質疑応答中に質問するというのは、「興味あります」という結構強い意志表示になるのではないでしょうか。
自分の発表の時に質問(反撃)してもらえるかもしれない
意味不明な、あるいは悪質な絡まれ方をするのは困りますが、やや好戦的な感じでも質問してもらえるのは自分の発表の時にはありがたいことが多いです。
自分の知識や論証の誤りを正してもらえることがある
さすがに学会発表なんかでこれを主目的に質問することはあまりありませんが、結果としてこういう点で勉強になったということは多いです。相手はだいたい自分よりそのテーマについて詳しいことが多いですしね。
意外なところで覚えてもらえる
「あの時、質問してたよね」みたいな感じで意外な人に覚えてもらえていることがあります。実際は「あの時の生意気な学生か」ぐらいの感じのこともあったのでしょうけれど。
注意点
あまりに質問することを第一目的にし、ある程度勘所がつかめてくると、質問が変にテクニカルというか「それ発言を求められて困ったときに使える便利なフレーズですよね」的なものになっちゃうことがあります。実際、院生の頃一時期こういう状態に陥りました。
大事なのは、「その研究をできるだけ発展させるのが第一目的だ」ということではないでしょうか。もちろん、発展させるためには厳しい批判や指摘も必要です。
おわりに
どうでしょう、そんなことで質問されまくっちゃ困るんだよって感じでしょうか。
これは実は僕が院生の時には割と周りにおとなしい人が多かったのもあってここまで考えちゃったというようなところもあり、積極的な人が多い集団内でこういうモチベートをしちゃうと大変なことになっちゃうのかもしれません。
実際は、(特に学会では)時間なども考慮して質問せずにすませちゃうことも多いのですが、授業や演習、ゼミ、勉強会、研究会といったトレーニングの場でもある機会には、どんどん質問してみてはどうでしょうか。上に書いたように色んな良いことがありますよ。
僕自身はおそらく積極的に質問することで損をしている(してきた)ところもあるのでしょうけれど、それ以上に得をしたことが多いのではないかというのが、今のところの実感です。