今日は所属研究科の月例会があった。いつもより多めで発表者は三人。さらにその前に授業で他の人の発表を聞いていたので、今日は四人分、時間にしておよそ三時間ほど発表を聞いて質疑応答に参加したことになる。かなり疲れた…でも内容は全部かなり面白かった。だからこそ疲れたのだけれど。僕の専門からは結構遠い発表が多かったけれど、それにも関わらず面白い発表/研究にはおおいに刺激を受ける。
というわけで、最近学問系の更新をしていなかったし(真面目に研究していなかったという話もある(苦笑))、前に平井堅の記事で「(2)へ続く」などと言っておきながらほったらかしだったので、その続きです。
その前に、前回も書いたのだけれど一応、
「音楽は感じるものであって、分析なんかするんじゃない!」とか思っちゃいそうな方は読まれない方が良いのかも。それと、以下は「〜だから好き/良い」という評価ではありません*1。僕が平井堅を好きな理由は他のいくつかの点によるものです。
さてと、今回も名曲"LIFE is..."からですが、扱うのは以下のフレーズです。この二つは続きのフレーズではないのでご注意を。
- それだけは真実
- それだけが真実
まず、この二つに意味の(少なくともニュアンスの)違いが感じられるかどうかが問題です。これは違いが感じられる人が能力があるということではありません。あくまでも直感です。僕は違いがあると思っています。その違いとは、
- 他にもあるかもしれないけれど、少なくとも「それ」で指しているものについては真実であると言える。
- 「それ」で指しているものについては真実であると言えるが、その他のどんなものについても真実であるとは言えない。
1と2の間に、上に書いたような(ものに近い)違いがあると感じ取られた方は、それが何に由来するのか、文法論においてどのように問題になってくるのかという点について以下で私見を述べます。そうでない方も読み物としては面白いかも?
まず、「だけ」について述べておきましょう。ものすごくラフに言うと、「だけ」は
- それがくっついているもの以外の全てについては当てはまらないよ(やってないよ)。
というような意味を持ちます。例えば「りんごだけ食べた。」と言ったときは、りんごを食べて、他のものは何も食べていないはずです。実は柿*2も食べていたらそれは嘘になってしまいますよね。
さて、ここで1と2の意味を見てみましょう。2についてはあまり問題がありません。なぜなら2の意味は上でも述べたとおり、「「それ」は真実でその他の物全てについては真実ではない」と言っているからです。これは「だけ」の意味がそのまま出ています。
問題は1です。1の意味はおおよそ上に書いた感じだと思いますが、なんとなく「少なくとも」っていうニュアンスがあると思います。これでは「だけ」の意味が保持されているとは言えません。ここでは少なくとも「それ」が真実だと言えるけど、他にも真実であるものがあるかもしれないということになるからです。
これは何が悪さをしているのでしょうか。
今回も、1と2の差はほとんどありません。「だけ」の後の助詞*3が「は」か「が」かというだけです。というわけで、上で述べたような差は「は」のせいだ!ということになります。
幸いなことに、というか、「は」にはそのような種類の「は」があります。いわゆる「対比の「は」」というやつです。
- A: あのお店、どうだった?
- B: まあ、味は良かったよ。
この場合、Bさんは言葉には出していませんが、「味については良かったけれど、他の点で良くないところがあった。」ということを言おうとしています。注目すべきは、「良くないとことがある」ということだけを言っており、「他が全て良くない」というわけではないということです。なので、Bさんは「は」を使ったとしても、次のように言うこともできます。
- B': まあ、味は良かったよ。清潔感もあったしね。ただ、接客態度がね…
この場合、「味:○、清潔感:○、接客態度:×」ということになるでしょう。これは、明らかに「だけ」とは違います。例えば「味だけ良かったよ」と言えば、他に良いところなどありません。
さて、これで1と2の違いの原因の目処が立ちましたね。問題は「は」にあったわけです。「だけ」が付いていても、「は」がそれを打ち消してしまっている、と。これでめでたしめでたし…と、ここまでで納得して済ませられればお話はハッピーエンドなんですが、言語学者(文法屋)にかかるとそれでは終われません。
- じゃあ、なんで「は」は「だけ」の意味を打ち消せるの?
これは実は結構難しい問題です。実は僕の指導教官はこの手の専門家なのですが、「難しいんだよねえ…」というようなことをおっしゃっておりました。その専門の先生の枠組みでも難しいということですが、最後になぜ難しいかを僕の視点から少しだけ。
それは、「だけ」の意味が「は」の意味より意味論的に”強い”からです。この手の意味論は形式意味論という集合論を用いて形式的に意味論を取り扱う分野が得意とする一つですが、そのようにより厳密な道具を用いて意味を書いても、やはり「だけ」の方が強い、と言えます。
”強い”というのはおよそ”条件が厳しい”と言い換えることもできます。条件がゆるいものにさらに条件を重ねて厳しくする、というのは意味の計算でもありうる、というか扱うことができます。しかし、一旦強く制限したものを弱める(キャンセルする)というのはどうにも扱いにくいと思います。他の言語*4に関する研究でも”強める”に関するものはあるのですが、”弱める”に関するものは見かけたことがありません。
この問題、解けたらもしかしたらきちんとした論文になるかもしれません(笑)
さて、平井堅に戻りましょう。
平井堅は一番のサビで1を、最後のサビで2を用いています。この間に違いがあると感じた僕は、曲を聴いていて最後にまさに「それ”だけが”真実」というフレーズに考えさせられました。最初の方では「他にもあるかもね」と含ませておいて、最後に「やっぱり他には無い」と言うわけです。その間に展開される歌詞、「それ」が何を指しているかを知るとより面白いと思いますが、気になる方は原曲をぜひ鑑賞あれ。
…もはや簡単なレポートだよな〜
ではではこのあたりで。