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水伝話、ソシュールの遺産、Interfaces, Distributed Morphology

 先日上げた「水からの伝言」に言語学の立場から反論する - 思索の海のアクセス数がこのブログではありえないぐらいのスピードで伸びてて怖いです(^^;自分のブログじゃないみたい…まあ注目されてる話題だし、覚悟はしてたんですけど。
 で、僕の言語学での専門は大体こういう話題についてのものなので、水伝の反論で取り扱った「発話と文脈」や、「恣意性」というような概念は普段の研究、論文で触れることは全く無いと言っても良いです。
 でも、実は僕の研究上の、というか理論上の問題として特に「恣意性」や「言語記号に関わる種々の情報」という概念は結構重要になってくるのです。水伝のエントリもその辺りの問題意識が高まっていたから書きたくなった、という一面もありますし。今回のエントリではこの辺りのことについて書いておきたいと思います。
 なので、今日の内容はかな〜りマニアックなものになります。ご了承下さい。
◆これは水伝批判の記事ではありません。あしからず。
◆研究上の立場と問題意識
 さて、僕の研究上の立場をまず述べておきます。

  • 生成文法(Generative Grammar)の中のDistributed Morphology*1という理論を用いて、日本語の(主に文法)現象について分析する。

 生成文法、統語論が好きじゃない人はもう興味が無くなったでしょうか(笑)さて、日本語といっても音、意味、談話、統語、などなどに関する様々な現象があるわけですが、その中でどのような問題を取り扱っているかというと、

  • Interface*2に関連する問題

という答えになると思います。専門は?と聞かれて「(統語論を中心にした)Interfaceです」と答えることもあります。これをさらに具体的に、非常に簡単に述べると

  • 統語論的な(構造上の)要因が関連していると考えざるをえない音韻論的・形態論的・意味論的な現象をどのように分析すれば良いか、またはそのような問題を上手く取り扱えるような文法のモデルをどのように構築すれば良いか。

 となります。ごくごく簡単な例として、音便を考えてみましょう。"kak(「書く」の語幹)"と"te(「〜して」の「て」)"をくっつけた場合に"kakite"ではなくて*3、"kaite"というようになるのは、音が変化している*4ので音韻論的な現象です。ところが、同じ"kak"と"te"という音の組み合わせでも、"te"が「〜する人」を意味する「〜手」ではどうなるかというと、"kakite(書き手)"となるのです。
 これは、音便という音韻論的な現象が、関係する要素の音以外の情報(テ形なのか名詞派生接辞なのか)に敏感(sensitive)であるということです。
 このように、いくつかの文法の領域にまたがる現象は昔からたくさん発見されてきましたし、その特徴も記述されてきています。分析も結構なされてきました。ところが、「こういう場合にはこういう(別の領域の)情報を(も)参照している」という提案や分析はたくさんなされてきましたが、では具体的に「どのように参照しているのか、どこまでの情報を参照してよいのか」という問題に対して明示的で決定的なモデルが提案されているわけではありません。
 Distributed Morphologyという理論は、こういう問題に対して強い(というかそのような問題をきちんと取り扱うためにデザインされた)形式的な理論なのです。

◆恣意性との関わり
 いきなり話が全然関係無い方に行ってしまったとも思われたかもしれませんが、言語記号の恣意性という性質は、上述のような問題設定の上では次のような問いを生み出します。

  • 人間言語はその恣意性のために、音と意味の対応関係についての情報を持っていなければならない。では、その情報はどのような領域にどのような形で貯蔵されていて、どの領域からどのようにして参照することができるのか。

 Distributed Morphologyの掲げる"Late Insertion"という考え方は、このような問題に対する明示的な仮説でもあるのです。
 そして、こういった問題はDistributed Morphologyのような理論だけではなく、"Interface"に関わることを重要な問題であると考えるようになったMinimalistでもよく問題にされるようになってきました。僕が最近触発されたものとしては、
Burton-Roberts, Noel and Geoffley Poole (2006) "'Virtual conceptual necessity', feature-dissociation and the Saussurian legacy in generative grammar. Jounal of Linguistics 42
などがあります。Holmbergが提案したIcelandicのStylistic Frontingという現象に対する分析を批判しながら、形式的な統語理論における、音と意味の素性の取り扱いの有り方について考察しています。Distributed Morphologyに対する批判の部分はちょっと誤解があるような気がしますが、面白い問題を提起しています。
 
◆他にも
 上で上げたような問題は基本的に文法のあらゆる領域に対して立てることができ、例えば談話や音に関わる部門(component)は文法のどこに位置し、どの領域からアクセス可能か、というのも難しい問題です。
 実は、僕は今こういった理論構築のところで結構もがいているのですね。ここで取り上げたような大きな問題から、かなり技術的な問題まで色々ありますが。
 というわけで、水伝の話は言語学の入門段階の知識で反論できるものですが、そこで出てくる問題は実際の研究上でもやっぱり具体的に問題になってくるんだぞ、というわけなのでした。水伝に反論する上で「水が〜の情報をどのように持ちえ、参照できるのか」という書き方をしていたのも、実はこういう僕の研究上の事情に根があったのです。

*1:日本語訳には「拡散形態論」と「分散形態論」がある。個人的には「拡散」の方がかっこよくて(笑)好きだが、「分散」の方が最近優勢だし、理論の性格ともよりマッチしていると思う。

*2:これには今のところ良い訳語が無い。本や論文などでも「インタフェイス」とそのまま書かれることが多い。

*3:昔(音便が発達する前)はそう言っていた

*4:実際に「変化」しているかどうかは議論がありますが、ここでは便宜上の表現と言うことで。