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歯切れが悪いのは仕様です。

悩める人と学問

 最近学内でやたら「公開講座」とやらの勧誘に声をかけられます。昨日は自販機の前でいきなり「公開講座があるんですが、人はなぜ生きなくちゃいけないかということに興味はありませんか?」と聞かれました。「無いです。」とさくっと断わりましたが…
 もう博士課程でも一番上の方になってしまったにも関わらず、サークルの勧誘など結構受けるんですが(どうも年齢不詳らしい)、ここ二年ぐらい、上にあるような勧誘がやたら増えてるような気がするんですよね。例えば僕が今年声をかけられただけでも、

  • 法哲学で勉強する意味がわかる(社会学部)
  • 仏教では死(自殺)んではいけない理由がはっき明示してある(人文学部)

 しかも複数回…どれも結局行ってないんで詳しい内容はわからないんですけど、気になった共通点がいくつか。

  1. 「公開講座」であると言う。所属を明言する。
  2. なんらかの特定の学問分野がそれらの問題について解答を与えてくれるというような勧誘をする。

 1については、学部を明言して「〜講座」とか言うとその学部に所属してる教授とかが開いてくれるような印象を持つと思うのですが、どうも学生だけの勉強会のようなものも中には混ざっているらしい。もちろん、学生だけだから、院生主催だから中身が怪しかったりレベルが低かったりということは一概には言えないのですが、ちょっと誘い方が紛らわしいなあ、と思うのです。本当の(笑)新入生とかにはこの辺りの区別すらつかないかもしれませんしねえ。
 簡単にでも良いからビラとか配ってくれると良いのに。
 で、もっと気になるのが二番目。僕は特定の学問分野がこういう「〜の意味」的なものに「解答」を与えてくれる、というのはとてもいかがわしく感じるのですが…「きっかけを与えてくれる」とか、「〜をバックグラウンドにした議論を通してより深く考えてみましょう」とかならわかるんですが。まあ実際に参加すると結局そういうことをやることになるっているのかな?どうも学問というのが簡単で明示的な解答や基礎付けを与えてくれる、というような考え方が裏にあるような気がしてならないのですよね。人文系が産学連携って強制されるとこういう方向に行っちゃったりすることもあるのかなあ、とか考えたり*1
 しかし法哲学と勉強する意味ってのは僕の中でどうも結びつかなかったので見学に行くのも面白かったかもしれません。でも博士課程の大学院生としては、たぶん学部の三年生ぐらいの子に「勉強する意味が知りたくありませんか?」とこられるのはあまり気持ちの良いものではない(^^;なんというか面白いから、好きだから、そして研究するため(食うため)に勉強してるわけなので。それこそ人生をかけて(笑)
 あと、個人的には「生きる意味」とかってのが「ある/なくてはならない」っていうのを前提にする議論も好きではないってのもあります。
 怪しい団体が増えたとか、元気になったとかではなくて、刺激的な公開講座が盛んに開かれてて、活発な議論が交わされるようになってきてる、とかだと良いなあ。気にしすぎなのかもしれませんね。
 というわけでなんだか色々もやもやしてるのですが、一番気になってるのは「僕ってそんなに人生に悩みがありそう…?」ということだったりします。

*1:もちろんある学問の中で培われた議論が広く提供されるってのは全然悪いことではないと思いますが。