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歯切れが悪いのは仕様です。

『日本語に主語はいらない』に突っ込む:(6)理論がコロコロ変わり過ぎなんだよ!

◆「第4章 6「サピア・ウォーフの仮説」とチョムスキー理論」から
 えー、下の記事で取り上げた箇所のすぐ後に出てくる主張について考えてみます。これは一般的にもしばしば聞こえてくる生成文法に対する批判です。それは、

  • 生成文法は内容がころころ改定されるので(しかもチョムスキーの鶴の一声で)理論としてダメだ。

 この問題に関しては、例えば下記の本で取り上げられていたりするので、具体例など詳しく知りたい方はご参照ください*1

言語学は自然科学か―生成文法の方法論

言語学は自然科学か―生成文法の方法論

 では、いつもどおり金谷氏の引用から↓

 振り返れば、「標準理論」→「拡大標準理論」→「改訂拡大標準理論」→「GB理論」→「Xバー理論」→「ミニマリスト理論」などと誠にめまぐるしくチョムスキー理論は修正されてきた*2。それは、例えば三上章やマルチネの構文論が、基本線では初めからほとんど変化していないのと極めて対照的である。こうした理論のたび重なる修正の軌跡はチョムスキーにとって決して名誉なものではあるまい。それはこの言語学者の理論に内在する、「理論の正しさが実証できない」という正確に致命的に由来する修正なのだ。軌道修正の連続というチョムスキー理論の来し方自体が、それまでの理論は不十分あるいは誤った仮説であったことを雄弁に物語っているのである。(金谷武洋『日本語に主語はいらない』p.154-5)

 うーむ、理論の正しさが常にテストされているからこそこんなに色々手を加えて新しいものにしていかなければならない、ってのが実情なんですが*3「間違えることができる」ってのは科学的営みの重要な要件の一つではありませんでしたっけ。実際、生成文法も色々間違うんです。だからこそ、仮説を棄却したり修正したり、時には理論全体を大きくバージョンアップしなければならない。
 第一、不遇にも三上章は生前は論敵に恵まれなかったようですが、もし主語不要(抹殺)論がきちんとした手続きを経て反証されれば、三上章もその説を棄却したでしょう。理論は「多くのテストにさらされたにも関わらず、変わらず生き延びている」場合には評価されますが、ただ「生き延びているだけ」では理論としては評価されないでしょう。そんなこと言ったら、どんなに反証しても生き延び続けてしまう創造論などの疑似科学が最良の科学、ということになってしまう。もちろん、三上章の場合はそもそも厳しいテストをかけてくれる良いライバルが同時期にあまりいなかった、というのが実情なわけですが。
 理論自体が検証不可能なのであれば、理論自体をそんなにころころ変える必要が無いと思いますが*4…金谷氏の論理ではそういう可能性は無いのでしょうか。
 もう一点、生成文法と三上章の構文論では大きく違うところがあります。それは、生成文法の(その根幹を成す理論の)射程が全ての自然言語である、というところです。つまり、あらゆる自然言語のあらゆる言語現象によって理論がテストし続けられているわけです。一方、三上章の構文論は基本的に対象は日本語だけです*5
 これが、生成文法の理論の改訂が頻繁である理由の一つだと、僕は思っています。私はA先生のA文法を用いて研究しているので、B先生のB文法に関しては特に言及しません、では済まされないのです*6。全ての言語研究者の、全ての言語現象が仮説や時には理論全体を揺るがす可能性を常に秘めているのです。 
 もう一度引用しておきます。

チョムスキー理論の来し方自体が、それまでの理論は不十分あるいは誤った仮説であったことを雄弁に物語っているのである。

 この主張自体はある意味で、その通りです。そして「それまでの」理論が不十分であり、「それまでの」仮説が誤っているということをきちんと議論できる理論だからこそ、「よりよい(と思われる)」仮説を打ち出し、「よりよい(と思われる)」理論を構築して、研究を前に進めていくことができるわけです。
 確かに、理論の大きな変革に関するチョムスキー一人の影響(役割)が非常に大き過ぎる、というのは印象としてはあるかもしれません。しかし、チョムスキーの思いつきである日突然理論が変わってしまうわけではありませんよ。理論が大きく変わるときには、それまでにチョムスキー以外の多くの研究者の重要な研究の蓄積が「流れ」を作っているのです。そして、新しい理論が打ち出された直後からその理論の構成や概念の妥当性などが多くの研究者によってチェックされ始める。チョムスキーが打ち出したもので、すぐに破棄、改定されたり、ほとんどの研究者が採用しなかった概念や道具立ても結構ありますよ。
 生成文法の研究を批判するのに、チョムスキーの有名な著作を数冊、あるいは「生成文法入門」みたいな概説書を読んだだけでは不十分だと思います。この辺りの事情は実際に内部である程度研究してないとわからないこともあると思いますし*7。ただ、何回も書いてますが、それなら詳しい研究者に聞けばいいわけですよね。

*1:中井氏は全体としては生成文法擁護派です。批判派の意見としてきちんとまとまめられているものは今のところ良い物が思いつきませんねえ…

*2:"GB"→"Xバー"となっていたり、ミニマリスト"理論"となっていたり、ここも突っ込みどころ満載ですが、それは改めて取り上げます。

*3:本当にテストされた結果として理論が変更されたかどうかについては、最終的には実際に文献を読んでくれ、としか言いようが無いと思います。

*4:まあこの辺りに関しては、新しい論文生産のためだからだろ、というような批判もあるようです。

*5:もちろん、比較のために英語などにも言及していますが。

*6:もちろん、現実には生成文法にも色々流派みたいなのがありますけどねえ。まあそれらの色々な立場も原理的には競合させることが可能です。やりたがらない人とかも中にはいるみたいですけど。

*7:実際、僕の実情把握にも誤りがあるかもしれません。