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歯切れが悪いのは仕様です。

僕がニセ科学問題に(ちょこちょこ)コミットしているわけβ版

 確か正月辺りに書く書く言っておきながら全然書いてなかったので。poohさんのこの記事にかこつけて書いておこうかな、と。
※書き終わって痛感しましたが、やはり難しかったです。長いわりにまとまってないのでご注意ください。長いのだるい、という方は太字の部分とその周辺だけでも読んでもらえると嬉しいです。

なんで水伝?

 まず、このブログでニセ科学だとやはり水伝関係で話題に出されることが多いと思うので「なんで水伝?」という疑問があると思うのですが、単に言葉に(も)関する問題だったからです*1。元々科学哲学自体に興味があって(むしろ言語学より先に勉強し出した)疑似科学問題についても色々勉強や情報収集してましたし、水伝記事は一つのきっかけだったというか。

問題意識は色々だけれど

 で、肝心のニセ科学問題にコミットし続ける理由なんですけど、もちろん個々のニセ科学が引き起こす問題についても、ニセ科学が受け入れられてしまう仕組みや社会、のような問題についても興味はありますし、色々考えています。そのいくつかある問題の中でも、僕が一番気になっているのは端的にまとめると「研究(者)の軽視(あるいは無視)とそれに頓着しない人々」とでも言えるでしょうか。
 ただ、この問題意識は自然科学の枠を越えて、学問、あるいは研究活動全体を対象にしてしまうのですけれど。だからニセ科学特有の問題、というわけでもないのです。
 実はこの点については、以前書いたエントリですでに触れてあったりします。長くなりますが引用します↓

 疑似科学と呼ばれるもの、あるいはそれに与する運動は、ほとんどの場合、意図的かどうかという点や、程度差はあるにしても、「人間の知的活動及び知の蓄積を不当に貶める」という要素を含んでいると考えています。
 端的に述べると、疑似科学はその言説のどこかに、やはり「ウソを含んでいる」と言えるのではないでしょうか。そのウソを一個人として信じるところまでは、まあ個人の自由ですが、一旦それを「正当化」、あるいは「広める」という段階までくると、最早それがウソであると知っていたかどうかに関わらず批判されても仕方ないと思います。だって、それは単なるウソではなくて、「これまで多くの先人が、そして現在多くの科学に携わる人々が、多くの場合人生をかけてまで積み上げてきたものを踏みにじるようなウソ」だったりするのですよ。
 しかもなぜか疑似科学批判が無差別先制攻撃のように述べられることがありますが、どちらかというと「仕方なく防衛」、なことも多いということは意識されることはあるのでしょうか。疑似科学が専門領域内で主張されているだけなら、そもそも疑似科学批判なんて必要無いんですよ。どうしようもない言説は無視されて終わり、ですから。それが事情を良く知らない外部の人たちに対してウソを広めようとしたり、時には具体的に営業妨害になるようなケースまで出てくるから、仕方無く批判「しなければならない」という事情があったりします。
いくつかの疑似科学批判批判?についてのいくつかの違和感 - 思索の海

 科学を含んだ、学問という活動は基本的に蓄積の上に成り立っています。僕はこの活動において、「正しい方法で間違った人々(研究)」が重要な役割を果たしていると考えています。
 一般書などでよく紹介されるのはやはり特に重要な研究を発表した人や、最初は間違っているとされながら、後にその正しさが認められた人だったりするのでなかなか認識されないのは仕方が無いと思うのですが、実際の研究の世界では無数のチャレンジがあり、多くの失敗…というか上手くいかなかった研究があるのです*2。後になって否定されるものもたくさんあります。
 重要なのは、それらが結果としては上手くいかなかったとしても、きちんと学問の(+それぞれの分野の)方法に従っている、ということです。そういう研究があるからこそ、次の人は同じ失敗を避けたり、どこかを改めて再挑戦したりできるわけです。これは大きなパラダイムシフトがあっても同じことです。我々は理論のレベルでやり方が大きく変わったとしても、過去に「あるやり方で上手くいかなかった研究がある」ということとそれに関する種々の情報は参照することができます。
 疑似科学を提唱する人々やその支持者は、よく自分たちを「認められない悲劇の研究者」のように振舞い、有名な研究や研究者と対峙している構図を描こうとしますが、その多くの正しい方法で間違った人々(研究)の存在も一緒に否定(無視)するものなのですよね。特に、疑似科学を批判すると「人の人生や思想を軽々しく傷つけないでよ!」なんて言い出す人にはこの点についてもぜひよく考えて欲しいです。あなたたちは何も傷つけていないのか、と。時には、その先人の活動の中で実際に同じアイディアにチャレンジした人によって直接誤りであることがすでに示された主張だったりさえしますしね。

おわりに

 ここまで読んでいただければお分かりの通り、僕の第一の問題意識は研究者視点からのものです*3。ただ、「自分の知らない分野における活動や蓄積の軽視」という問題はいわゆる「想像力」の問題とも絡んで、もっと一般的な意味を持つと考えてはいますけど。
 一つ誤解して欲しくないのは、僕は「研究者だって一生懸命なんだから批判しないでよ」、つまり努力を認めてねとは主張していないことです。学問は様々な形での結果もきちんと出し、蓄積してきました*4。それを無視、軽視、誤解するのはやめてほしい、というかそう取り扱うものは批判した方が良いだろう、ということです。
 まあ端的に言うと「専門分野なめるなよ」ということなんですけどね。というわけで前にも書きましたが、水伝に関しては「言語学なめるなよ」というスタンスで書いています。

*1:他にも色々あるのですが、それは元記事の冒頭に書いておきました。

*2:もちろん部分的に、であることも多いですけどね。

*3:この点で、以前lets_skepticさんが指摘された、僕とpoohさんの立ち位置の違いは正しいのではないかと認識しています。

*4:ノウハウとかそういうものも含めて