誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

日本語ってさあ、

 ついでに疑似言語学のお話でも。ネタとしてはこの辺りとか↓

 母語特殊論に関しては、↓

そこでもリンクしてますが、言語を比べることの大変さについては↓

なんかでちょこちょこ書いたりしてきました。あと、最近驚いたものとしては

日本人は頭が良いが使っている言語が格変化や時制変化に富んだ屈折語でない所為で論理的・科学的思考がし難いのでノーベル賞が少ない,とは考えられませんか?日本に稲作を伝えた人々は屈折語であるサンスクリット語を喋っていたと思うのですが。頭脳海外流出も,その辺に問題があるのかも知れません。自然科学・人文科学・社会科学は皆,英語で考えたり議論したりする習慣がつけば,ノーベル賞受賞者数は英米なみになるでしょうね。
kikulog

 …きくち先生に一蹴されてますが。
 この弥勒魁さんという方は以前から色んなことについてアレな感じの発言を繰り返しているので、逆になんか納得するところであったりもするのですが、実際にこういう考え方になんとなくでも賛成してしまう人って、実は結構いたりするんですかねえ。いや、なんでそんなことを気にするかっていうと、上の漢文に関するエントリでやりとりしたmb101boldさんでも言語の複雑さと思考や文化のレベルにかなり強い相関を認める考え方を、「西洋の言語学というパラダイムでは、こんな解釈が一般的とは言えるのでは」なんて仰っていたのを思い出したから、なんですよね。
 まあ専門家ですら、生成文法を「英語のための理論で類型論的な一般性は捉えられない」なんて批判しておきながら、自分の議論では英語、日本語にフランス語や中国語を足しただけで強引な汎言語的一般化を出したりしますからね*1
 言語と思想や文化の間に相関関係があるってのはまあ自然な考え方だと思うのですが、具体的にどういう言語特徴がどういう思想/文化にどういう形でどれぐらいの強さで関連していて、かつ他の言語以外の要因がどれぐらいそれに関与していないのか、ってのをきちんと示すのはめちゃくちゃ難しいことだと思うんですけどねえ。夢を見るのは良いんですけど*2、それで言語学を語/騙られるとやっぱりあまり良い気はしないというか。

*1:一応仮説としてはありなんですが、程度問題というのはあるってことで。

*2:僕だって妄想は色々しますし。