僕にとっては結構切実でかつブログ書き始める前から考え続けてる問題。
あ、ちなみに常に「専門家」として考えてるわけでもないです。僕も言語研究の一部分について以外は素人なので。
最近考えさせられたエントリを二つ紹介。
vikingさんのエントリを読んで、言語研究はどうだろう、ということを考えた。「言葉に関する考察」というところまで範囲を広げると、言語研究の裾野はおそろしく広いと思う。ただ、vikingさんのエントリで書かれている「アマチュアの天文ファン」に当たるような人たちは、というとかなり限られてくるような気がする。「言葉のうまい観察の仕方」って大学で言語関係の授業を取らないと基本的には出会わないだろうし、「これだ!」っていう入門書・教科書も身近に専門家がいないとうまく出会えないと思うからだ。
個人的には言語の分析というのは数学的な記号操作を使用せずに何かの仕組みを(証拠を挙げながら)論理的に考える良い題材になると思うのだけれど、今の受験の様子だと大学に入る前に文系・理系にある程度割り振られちゃうしなあ。
言葉に興味のある人ってのは潜在的にはものすごく多いと思うので、せめて望遠鏡の買い方ぐらいまでの知識をどうやって手に入れれば良いのかわかるようになれば、言語研究全体にとって幸せな状況にならないだろうか、なんて考えたのだけれどどうだろうか*1。
ただ、これまでエントリやブコメに書いてきたように、言葉には夢を抱き(続け)たい人が結構多いようなので、そういう人たちにとっては言語を客観的に分析するツールは身近にあってもいらないものなのかも。
ちょっとさみしいのは、「言葉が好きなんです!」って言う人で、「言葉に関する知識(トリビア)」だけが好きな人と話す時。そういう人にはマニアックな知識の話をすると喜ばれるんだけど、「なんで/どのようにしてそうなっているのか」っていう僕の本分に関してはほとんど興味が無かったりする。まあ、良いんですけど。そういう側面に関しては物理学とか生物学なんかを生業にしてる人の方が食い付き良かったりして面白い*2。
その辺りの面白さを伝えるのも専門家としてできることの一つだよな、と反省しつつ。
長くなったのでpoohさんのエントリに関してはまた次に。こっちは今回のこの拡散しまくりのエントリよりもっとまとめられる自信が無いけど。