誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

査読は分野外の人にとって1つの良い目安(今のところ)

 件の関連記事とか私が書いた下記の記事に対する反応を見てちょっと考えたことを整理しておきます。

dlit.hatenablog.com

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専門の論文は良し悪しを効率よく判断できる

 査読に代表されるチェック制度がない場合の困難として,論文の良し悪しが事前にある程度判断できないという点が挙げられると思います。

 もちろん内容をじっくり読まないと判断できない論文もたくさんある訳ですが,「そもそも検討に値しない」「(その分野における)学術論文の水準に達していない」ものに時間を割くのはできるだけ避けたいですよね。

 たとえば私の場合,言語学の生成文法系の論文であれば,アブスト,例文,樹形図,引用文献リストをざっと見ればそこそこの水準でフィルターをかけることができるのではないかと思います。

 でも,自分の専門から遠い研究領域の論文は言語学のものですら判断に時間がかかります。紀要論文だと一目見て「この論文を書いたのは誰だあっ!!」が頭に鳴り響くレベルでひどいものもたまーにありますけどね。

 そう考えると,査読のようなチェック制度は,その分野の研究者にとってはそれほど必要もないのに手間はやたらかかるものに感じることもある一方,分野外の人にとってはある程度ダメ論文をはじいてくれるフィルターとして助かるものだという気がします。たとえば自然言語処理(基本的に工学)の研究者が言語学の論文を探さなければならない場合とか。

 ちなみに,下記の記事で紹介している授業では最初論文はどんな媒体でもありにしていたのですが,学生があまりにアレな論文をレビュー対象にするケースがあったので現在基本的には査読付き論文誌を対象にすることにしています。

dlit.hatenadiary.com

人文系では文献を探すのも研究能力

 これも一概に言えないことだと思うのですが,人文系の少なくない分野では「探しにくい文献を探すのも研究能力の1つ」だという考え方があると思います。

 もちろん探しにくい文献を研究会や学会で他の研究者に教えてもらうこともあるわけですが,それほど知られていない論文集に掲載されている論文とか本のタイトルや目次からは分からないような一節とかを探せたり知っていることが研究能力として評価される。

 研究者同士で話をしていると「もっと分かりやすいところに書いてほしいよねー」みたいなやりとりは珍しくなくてその分野の人も実際には困っていると思うのですが,一方でこういう制度というか文化のようなものがあるので,査読誌の整備とかの優先順位が高くならない(リソースが割かれない)という側面もあるのではないかと感じます。

 でもこれもやっぱり研究分野間の交流の障壁として機能してしまうと思うのですよね。自分の専門がある人はなおさら他分野の文献探しにそれほど時間を割けないでしょうし。理想的にはまずここを探せば良いという位置付けの論文アーカイブが整備されることなんでしょうけれど,現実的には各研究テーマやトピックごとの重要文献リストを簡単にアクセスできる形で作るとかでしょうか(今でも本がその機能を果たしているよと思う人は,分野外の人がその「良い本」にどうやってたどり着けるか考えてみて下さい)。