誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

「理論言語学」と「生成文法」の関係に関するメモ

はじめに

 まず,この記事は専門外の方への概説というよりは自分用の整理という性質がふだんの記事より強いです。言語学にある程度触れたことがないと論点がよく分からないと思いますがちゃんと書くのはたいへんな内容なのでご容赦下さい。

 下記の記事の中では,「理論言語学」は明らかにいわゆる「(Chomskyanの/狭義の)生成文法」を指していて(もうちょっと正確に書くと生成言語学の中の生成統語論),「認知言語学」と対比されています。

lennonmccartney122620.hatenablog.com

言語学の研究をやっていても,こういう文章を読んで「認知言語学は“理論”言語学に含まれないのか」という疑問を持つ方は少なくないのではないでしょうか。

 実は,この記事の前提とされている他の記事の一番最後に

認知言語学も理論言語学の下位範疇の1つであるが,ここでは筆者の意図で敢えて認知言語学と理論言語学を分けている.
理論言語学と認知言語学の大まかな共通点と相違点 - まーじブログ

という注記がありますので,筆者は「認知言語学は理論言語学に含まれない」というように考えている訳ではないと思います。

この用語法はふつうなの?

 私もいちおう専門の1つに生成文法は必ず挙げますし,大学のサイトのプロフィールに「理論言語学」と書いてある人間なのですが,「理論言語学」という表現で「(狭義の)生成文法」を指すという使い方はけっこう見かけます。

 ちなみに,私が(日本で)自分の専門として「理論言語学」を掲げているのにはそれとは別の理由があるのですがめんどうなのでまた別の機会に書くことにします。

 ちょうどさいきん手に入れた衣畑智秀(編) (2019)『基礎日本語学』に「理論的研究とは?」 という章があって関連することが書かれていますので紹介しておきます。ちなみにこの本まだ隅から隅まで目を通したわけではないのですがおすすめです(山東功氏の日本語学史の概説が読める!)。

基礎日本語学

基礎日本語学

  • 作者: 衣畑智秀,大崎善治(ブックデザイン)
  • 出版社/メーカー: ひつじ書房
  • 発売日: 2019/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る

言語を対象とする理論的研究,あるいは科学的な方法論に基づくアプローチは,広い意味では少なくとも19世紀の比較言語学にまでそのルーツをたどることができるが,現代的な意味での理論言語学はノーム・チョムスキーが1950年代に提唱した生成文法に始まると考えてよい。
(中略)
言語に対する理論的研究は(中略)音声研究から語用論研究まで,言語の共時的側面のすべてに関して行われている。また,何をもって理論的研究と言うかも難しい問題であるが,とりあえず,自然科学における方法論として確立している仮説検証の手法に従った研究が理論的研究であると考えておく。
(窪田悠介 (2019)「理論的研究とは?」『基礎日本語学』: 260)

さらに,次のページの囲み記事に補足があります。

 仮説検証の手法に従った研究だけを理論言語学と呼ぶことに抵抗のある読者もいるかと思う。たとえばこの規定では認知言語学研究の大半が理論言語学から外れてしまうが,果たしてそれでよいのか?本章では「理論的研究」というものをあえて狭く規定するが,これはあくまでも話を単純化するための便宜的なものと考えていただきたい。
(窪田悠介 (2019)「理論的研究とは?」『基礎日本語学』: 261)

 仮説検証法を採用しているかどうかを「理論言語学」を呼ぶかどうかの基準にするというのはここでも窪田氏が「便宜的」と断っているようにスタンダードな考え方というわけではないと思います。「理論言語学」が「生成文法」と結びつきやすいのは,どちらかというと研究史的な要因の方が大きいというのが私の印象です。

 ちなみに,窪田氏自身が主に研究で用いる理論は範疇文法 (Categorial Grammar)と呼ばれるもので,この引用部の辺りにもはっきり書かれているのですが,窪田氏本人は生成文法研究に対してかなり厳しい評価をしています。どのような問題点があるかについても具体的に述べられていますので,(広い意味で)理論言語学に興味がある方は読んでみて下さい。

私見

 ところで,私はこの「理論言語学」という表現で「(狭義の)生成文法」を指すという用語法は個人的にはあまり好きではありません。

 上の窪田氏の引用箇所でも触れられているように,「言語学」に限っても様々な理論があります。これは言語学の研究者なら言われなくてもそんなの分かってるよというところでしょうが,表現や用語の使い方でもそれを明示的に尊重するという立場を取りたいと考えています。といっても私も徹底できていないところはあるのですが…

 また,たとえ仮説検証の採用とか形式的 (formal)かどうかというような基準で分類しようとしても,では範疇文法や形式意味論の各種理論はどうするのかとか,「生成文法」で区切ったとしてもHPSG (Head-driven Phrase Structure Grammar)やLFG (Lexical Functional Grammar)は?という問題が出てきます。もう今はHPSGやLFGの研究者自身も「生成文法とは呼ばないでいいよ」などと思っていたりするかもしれませんが。

 上と同様の理由で,「現代言語学」や「統語論」という用語で断りなく「(狭義の)生成文法」を指すような用語法も好きではありません。中には文脈を踏まえると問題ないこともありますが,個人的には「生成文法の研究者ってなんか偉そう」なんて言われる理由の一端ではないかと疑っています。

 これは邪推かもしれませんが,私の交友が少なくキャリアも浅い研究者人生でも,「生成文法の研究者は他の言語理論に対してリスペクトがない」というようなことを言われたことは少なくなく,個人でできる範囲ではそういうことがないようにしたいですね。

おわりに

 理論/モデル/枠組み(framework)の使い分けやいわゆる「記述的研究」との関係についても何か書きたかったのですが,力尽きましたのでこの辺りでこの記事は終わりにします。突然ですが,内容にどれぐらい賛同するかはおいておいて,Haspelmathの"framework-free grammatical theory"という用語の使い方はよく考えられているなと思います。

www.academia.edu

 ところで,私見のところを読むと苦言のようにも読めてしまうのですが,あくまで私の方針ということにご注意下さい。一番上で言及したブログのように,言語学のいろいろなトピック,領域に関する情報がもっとwebに増えると良いなと思います。