誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

「短いブログ」としてのTwitterから「長いTwitter」としてのブログへ、そして

はじめに

以下、あまり専門的な裏付けや見通しはないブログの一書き手としての雑感です。

タイトルはちょっと何言いたいか分からない感じですね。どうもしっくりくるタイトルが思い浮かびませんでした。私の考えていることの概要はだいたい次の通りです。

  1. Twitterが即時的なリアクションやとにかく注目を浴びることが評価につながる傾向を加速させた
  2. ブログはTwitterの前からあるにもかかわらず、今はその評価方法に乗せられてしまっている:「長いTwitter」化
  3. ブログが長く書けることを強みの1つにするのなら、別の評価方法がほしい

なお、「Twitter」と「X」という名称は必要に応じて使い分けますが、それほど厳密な区別はしていません。

「短いブログ」としてのTwitter

特にTwitterの登場からしばらくは、その紹介に「短いブログ」という表現が使われることがありました。以下のWikipediaのページでも「ミニブログ」「マイクロブログ」という名称への言及があります。ただあくまでもそのように捉えられることがあったというだけで、「Twitterはかつて短いブログだった」と考えているわけではありません。

ja.wikipedia.org

これは、1つの投稿に140字までというかなり思い切った分量の制限があったことや、新しいサービス・ツールの紹介として既存のメディアを引き合いに出したというようなことが事情としてはありそうです。当時はこの文字数制限がもっとインパクトを持って受けとめられていたように記憶しています。

一方でTwitterの分析としては、フォローやリプライ、リツイートといったソーシャル的な側面やリアルタイム性にフォーカスされることが多いように見えます(もちろん個別には1つの投稿の短さに着目した研究も多くあります)。

ちなみに自然言語処理の研究では「マイクロブログ」が定着した表現になっているようなので、私の授業や卒論ゼミでもTwitterに関する文献を検索するときは「マイクロブログ」で探すというやり方も紹介します。

TwitterそのものもAPIもあんな感じ(X)になっちゃってるので今後研究がどれくらい進められるのかかなり不透明ですけどね…実際さいきん卒論の研究対象としてはあまりすすめていません。研究対象の変更を検討しているゼミ生もいます。

「バズる」ことによる評価

さいきんのSNSにおいて、「バズる」、もう少し具体的に表現すると「短い時間で多くのユーザーに届くこと」が良い評価につながりやすい(それがたとえ個別には悪い評価を含んでいたとしても)ということは多くの人が体感していることでしょう。何らかの形で収入を得るならもう必須条件のようなものでしょうし、何かを知ってもらいたい、書いたものを読んでもらいたいというような場合でも重要な要素であるという実感があります。

この流れを作ったものの1つとして、Twitterが持つ投稿のしやすさ/気軽さという特徴と、フォロー関係やリツイートといったソーシャル面での機能があるのは確実であるように思います。ただ、SNSのこの傾向についてはFacebookやYouTube、Instagramなどの存在も重要なのでTwitterが牽引したとまで言えるかどうかは私には分かりません。

「長いTwitter」化したブログ?

さてここでようやくブログの話です。

私はこのブログではてなダイアリーだった2006からいろいろ書いていますけれども、上で書いたような評価の傾向がSNSに定着してからは、特にブログでも「最初にある程度の人に読まれないとその後その記事は読まれない」傾向がさらに加速したという体感が強くあります。Twitterが定着する前もはてなブックマークがどれくらい早く3, 5, 10付くかによるみたいなことはあったのですけれど、ここまでではなかったような。

後で読まれる記事もあるのですけれど、それはやはりTwitterとかYouTubeなどで紹介されたからということがほとんどですね。

もちろんこれはブログに何を書いているかによるでしょうし、更新頻度や書き手の知名度等によっても違うでしょう。webの有り様もTwitterの定着前と今とではサービス・ツールの分布がかなり違いますし(noteの存在とか)単純に比較はできないのかもしれませんが。

ざっくり言うと、バズらなきゃいけない(少なくともバズった方が良い)評価方法にブログも乗せられていることによって、ブログが「長くも書けるTwitter」でしかなくなってしまっているんじゃないかなという気がするんですよね。

それでTwitterの登場時のことを思い返すと(Twitterは確か2007年から使っています)、「短いブログ」として位置付けられることもあったTwitterがその存在感を増すことによって先達であったブログを「長いTwitter」にしてしまった、みたいな流れが考えられるんじゃないかと。ちょっと単純化しすぎですかね。そしてTwitterがXになって仮にブログとかも巻き込んで衰退するようなことがあったらお前は何だったんだという気持ちになってしまいそうです。ネオエクスデスか。

ただ、こうやってちょっと逆転現象のような形でまとめると不思議な感じもしますが、今のSNSをはじめとしたwebを見ていると別にTwitterのようなものが出てこなくてもそのうちそうなっちゃっていたのかもしれません。

ブログ(長いテキスト)の評価法

長く書けるテキストであるからこその利点もあるとは言え、「バズる」という点においては、ブログはそもそも短いテキストや画像、動画などに比べて不利なように感じます。そう考えると、ブログにこそ何か新しい評価方が必要なのではないでしょうか。

これは実はブログに限らずwebメディアのような比較的長いテキストを提供するサービスやメディアに共通する問題ではないかと考えています。収益という関して言えば、たとえばnoteは講読機能によってその辺はある程度クリアできているんですかね。noteは「ブログとは違う」点を明確にしている点で自らの位置付け方もうまいなと思います。

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もちろん今でもいろいろな試みがあるというのも体験していて、たとえば何回かTwitterのはてなブログのアカウントに書いたもの(はてなブックマークが付いてないもの)を注目の記事として拾ってもらったことがあります。これは書き手としてはすごく嬉しいことでしたけど、残念ながらそこから読みに来てくれる人はそれほど多くなかったり。

これ、実は読み手としての心配の方が大きいんですよね。ただでさえTwitterの定着によってブログでまとまったものを書かなくなった人もけっこういたのに、たとえばXに見切りを付けてそういう人たちがブログに戻ってきてもブログそのものが書き手としてやりづらいものになってしまっていたとしたら。あるいはブログサービスそのものがそもそも不利なバズり勝負をメインにし続けた結果立ちゆかなくなって多くのテキスト、記事が読めなくなってしまったら。アーカイブ化はまた別にどこかで考えなければならない問題でしょうけれど、今はもう少し可能性があっていてほしいなと思います。

おわりに

長い文章に文句が付くというのはここさいきんに限った話ではなく、今の「ネット」がある程度定着してた頃からあったように思いますが、私は知らない話題や理解が難しい話ほど長く書かれてる方がありがたいんですよ。その方が理解につながるきっかけ、手がかりが増えることが少なくないですからね。もちろん、長い文章というのは書くのが難しいし大変ですので多くの人におすすめできることではないのですけれど。

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