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歯切れが悪いのは仕様です。

研究に対する評価の情報(学会の難しさとか)を書き記しておくこと

研究者・大学教員の皆様におかれましては,たとえば論文や書籍,学会発表等による研究成果の発表を評価される/することについて(さいきんの状況下では)いろいろ思うところがあるのではないでしょうか。特に評価基準や研究に関する制度・文化が異なる他分野・他領域とのすりあわせや情報交換はなかなか大変ですよね。

以前社会学における研究の評価の話がきっかけになって少しだけ下記のような情報の提供がありましたが,人文社会系だけでなく,いわゆる理工系でも分野・領域によって実はいろいろ細かい違いがあるのではないでしょうか。

dlit.hatenadiary.com

さて,私が見ている限りではあまり良くあることではないのですが,書籍の前書きにそのようなことが書いてある例を1つ紹介しておきます(著者とは別の人が書いています)。ちなみにこの本自体おすすめの1冊ですので,専門書ですが,気になっていて未読の方はぜひどうぞ。

認識視点と因果

認識視点と因果

彼女の研究の評価は非常に高く,博士後期課程の時に京都大学で行われた第16回Japanese/Korean Linguistic Conferenceで発表を行っています。この学会は採択率20%前後という非常に水準の高い学会であり,日本語で教育を受けた大学院生の論文が採択されるのは極めてまれであるといえます。
(田窪行則 (2013)「序」『認識視点と因果』: i,強調はdlit)

人によって評価は異なるでしょうが,私の体感にかなり近いです。私も1回だけポスター発表で通ったことがありますが(口頭は全滅),どうしても避けられない校務で断念しました。

こういう学会,特に国際学会・国際会議の難しさや関連研究領域における評価は言語学の研究者内でも共有されているとは言い難く,このような情報がどこかに書いてあると情報交換や評価のすりあわせの際に助かるということがありそうです。

ただ,もしこういう記述が過渡に重視されるようになると,自画自賛や「盛った」記述が増えそうな気もするので悩ましいところですね。

研究に対する評価については,そもそも評価がどれぐらい必要なのかという根本的なところから,細かい基準に関する具体的なところまで,できること・やるべきことがいろいろあると思いますが,こういう試みも1つの参考になるのではないでしょうか。

はてなグループ提供終了により日記の移行を考えています

以前,はてなグループのサービスが提供終了するという発表があったのですが,下記の記事で新規作成や投稿だけでなく閲覧そのものができなくなるとの方向がありました。

hatena.g.hatena.ne.jp

かなり前に作成してだいぶ放置したままの「linguistics ?」というグループがあるのですが,

linguistics.g.hatena.ne.jp

少なくとも私の日記(dlit@linguistics)については,何らかの形で各記事を移行することを考えています。下記の記事のように,消えるままにするにはもったいないと思うものもありますので。

linguistics.g.hatena.ne.jp

グループ内の掲示板にも書きましたが,参加されている方はどうするか考えてみることをおすすめします(消えるままにするのも1つの選択です)。

プレゼン能力(に関わるかもしれない何か)を入試で問うことに意味はあるか

私は大学教員でこの種の問題については利害関係者ですし,言語教育には少し関わっていますが評価法が専門ではありませんので,その辺り差し引いてお読み下さい。

下記のツイートが話題になっていて,どのような問題があるかについてはいろいろ指摘されていると思うので,関連で私がさいきん考えていることについて少し書いておきます。

まず,一般的に言う「プレゼンテーション(以下プレゼン)能力」をある程度正当に評価するには,実際にプレゼンをしてもらうしかないと思います。それを踏まえて,私が「プレゼン能力」を入試で重視することに懐疑的な理由を少し挙げてみます。

どういうプレゼン能力を求めるのか

ライティング等,言語を使う能力一般にそういう側面があると思いますが,一口にプレゼン能力と言っても,目的,時間,やり方(スライドを使うかどうかとか),聴衆のタイプや数によって必要なやり方は変わってきます。紙を使った発表については少し書いたことがあります。

dlit.hatenadiary.com

さいきん,「さまざまな場面に応用可能なライティングやプレゼンの能力は,特定の領域における経験や長いトレーニングを経て身に付くかなり高度な能力ではないか」ということをよく考えます。

これに対して,特に言語能力の教育に携わったことがない人は何か「汎用的なライティング/プレゼン能力」のようなものがあってそれをより専門的な場面に応用すると考えているのではと思わされることがそこそこあるのですが,それを比較的短期間で多くの人が身につけられる能力だと考えるのは危険ではないでしょうか。

ある程度「基礎的」と言えそうな,あるいは広く応用可能な技術や知識はあると思いますが,特にプレゼンに関しては経験とトレーニング量が重要だと思いますので,もし入試に組み込むと「入試におけるプレゼン能力が高い人」を計るだけになってしまいそうです。もちろんテストというものは一般的にある程度特化されてしまう側面があるのですが,プレゼンに関しては特化することによって身につける技術や知識にどれだけメリットがあるのか疑問です。

一方で,上に書いたようなさまざまな場面/条件下で発揮できる高いプレゼン能力を持った人は高く評価されて良いと思いますが,そうすると今度は評価する側の問題が気になります。もし大学教員がやるという話になると,そういう能力を正当に評価するのは難しく,学術研究で高く評価され(てい)るプレゼンに近いものが「良いプレゼン」として評価されてしまうのではないでしょうか。

大学なのでそれで良いんだという考えもあるかもしれませんが,(大学に入って)研究の基礎の基礎をやる前に成果発表の方法の一形態のスキルを身につけるために多くの時間を割くというのは変な気がします。

だいいち,これは定期的に書いていることですが,今の大学生は入学時点でスライドとかポスター作るのも,話すのもけっこう上手い人が多いですよ(少なくとも私が学部生だった時代に比べると)。場合によっては小学生の頃からやらされますからね。大学教員・研究者は人によってかなり差がありますが,学内や学会で聞く教職員のプレゼンの方が学生よりひどいと感じることは珍しくありません。一方,学生に話を聞くとプレゼンが苦手だと感じている人がものすごく多いのですが,それは小さい頃から「プレゼンができないとダメだ」とおどされてきたからだと思います。

プレゼンについてだけで意外と長くなってしまったので,この記事はこれぐらいにして,その他のことについてはまた改めて書くことにします。