誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

『日本語に主語はいらない』に突っ込む:(2)「深層構造」の把握に関係する問題

 前回の記事が意外にも?多くの方に読まれているようでちょっとびくびくしています(笑)
 せっかくなんで間違いとかあったら正してもらえると助かります。もちろんできるだけ正確な記事を書くつもりですが、このブログを読んでくれている中には生成文法に詳しい方もいらっしゃいますし。今回は基礎とはいえ、生成文法の概念に触れるので生粋のgenerativistではない(多分)僕としては少々荷が重い感じです。
 しかし金谷氏の文章は話題やロジックがところどころ飛び飛びなのでまとまった反論をするのが結構大変です…今回は一つ一つの表現を取り上げてコメントを付けるという形にしたいと思います。
そうそう、この本の初版は2002年であるということを念頭に置いてお読みくださればより問題であることがわかると思います。これはこの本全般に言えることですが。
◆「第4章 2 生成文法的アプローチの問題」から

1957年以降、チョムスキーの理論は目まぐるしく変化してきた。しかしその基本に深層構造というものを据えていることは変わりがない。(金谷武洋『日本語に主語はいらない』p.142)

 枠組みがミニマリスト(90年代前半頃〜)になってから、正式に「深層構造」という概念(正確には「表示レベル」)は破棄されました。正確には「深層構造(Deep Structure)」なんて呼んでたのは初期の頃だけで、長らく「D構造(D-Structure)」という名前で呼ばれてきました。「頭文字にしただけじゃん!」とか思われるかもしれませんが、その通りです。何でも、「深層(Deep)」という用語が誤解を受けることが多かったので変更したとかしなかったとか。
 ごくごく簡単に説明しておくと、深層構造というのは「材料(≒単語)を組み合わせて文を作っていく過程の最初のステージ」、というぐらいの概念です。「本物の」とか「隠された本質」とか「表層より重要」などといった意味合いは全くありません。こういった誤解にはむしろ対になってる「表層構造(Surface Structure)」の「表層(Surface)」がしばしば見せる日常言語でのニュアンス(「表層的な〜」とか)も影響してそうです。
 ちなみに、普段の議論なんかでは、「表層では…」というような表現をいまだによく使いますが、「深層」の方はほとんど使いません。僕の周りでは「基底(base)では…」という表現の方をよく使う感じです。

...しかし深層であるから、これは畢竟、母国語話者の頭の中に入って行かねばならない。(同書 p.142)

 この捉え方にはどうやら上の誤解が影響していそうです。ある言語現象が深層に関わるものなのか、表層に関わるものなのかは純粋にその言語現象の性質によって決定されます。深層構造は生成文法研究者が瞑想とかすれば浮かんでくる、というようなものではありません。生成文法は経験科学であってオカルトではないのです。
 ですから、十分な言語現象に関する記述さえ与えられれば、母語話者であるかどうかに関わらず、深層構造や表層構造やそれらに関わる種々の操作(≒変形)について分析することができます。その分析自体には当然色々な可能性がありますけれども。
 ただ現実的には、生成文法の研究者は母語を(主な)対象にする場合が多いようです。場合によっては非常に難しい例文判定をしなければならないことも多いですし、そのような場合母語話者であることが大きな利点となるからです。もちろん多くの非母語の言語について分析する研究者も結構います(この傾向は80年代以降顕著なようです)。

...普遍文法の主張をするためには、この深層というのはこの上なく便利、かつ不可欠のコンセプトなのだ。(同書 p.142)
一つ、例を挙げてみよう。深層に潜ったとたんに「何でもあり」になってしまう例として「すべての言語には普遍的に/p/音がある」という大胆な仮説はどうだろう。...(同書 p.148)

 どうも金谷氏は生成文法というものは

  • どの言語に対しても共通の深層構造を仮定し、そこに「万能の」変形などの操作をかけて自由自在に様々な言語の表面形を導ける

とでも思っているようです。だからこそ、

チョムスキー派の学者には誠に便利な「深層・変形・移動・省略」などだが、そうした分析が客観的経験科学としての言語学とは思えない。再現、検証できないような仮説は、仮説で終わるしかないのである。(同書 p.148)

というような主張が登場するのでしょう。
 この誤解については、ご自身でそのような分析を考えて生成文法関係の研究者が集まるような場で発表の一つでもしてみればすぐにわかると思います。ある言語現象に実際に移動などの操作が関わっているかどうかというのも、経験的な証拠を出さなければ認められません。決してなんでもありではないのです*1
 むしろ各概念や操作に関しては多くの議論や立場が存在しますし、それぞれができるだけ形式的に定義されるものなので、チェックは厳しいです。各研究者には色々こだわりもありますし。

 まだまだあったかもしれませんが、このような表現は本書の各所に散りばめられているので、また見つけたら追記します。
 最後に一つ。

...本来存在しないものを「日本語も深層には主語がある。それが表層までに変形や省略を受ける」などと言われてきたのであった。(同書 p.148)

 現在では(80年代後半ぐらいから?)、むしろ「主語」という特徴は表層に関わるものだと考えられています。ある名詞句が表層で「主語になる」という感じです。まあ、この点については生成文法で主語が大体どういう風に考えられているか、ということについてまとめる時に触れたいと思います。
 書いておかなきゃいけないことまだまだたくさんあるなあ…

*1:ただ、作業仮説としてできるだけ言語間の基底での差異を小さく仮定して分析しよう、という立場は存在します。