批判ではなくて困惑、というかやっぱり恒例の愚痴かも。
ネットで言語についての記事を読んでいると不意にチョムスキーの名前に出会うことがあって、やっぱり生成文法が一応専門の身としては気になるのだけれど、半分は…というかそれ以上の割合で何が書いてあるのかわからないことが多い(言語学専門の方が書いたものを除く*1)。これは皮肉でも何でもなくて、本当によくわからないので、ここで取り上げようかなと思ったこともあるけれどもなんか取り上げようが無い。僕の方が誤読してるかもしれないし*2。
後は自分自身のチョムスキー(の著作)への理解にそこまで自身が無いってこともあるかなあ。やっぱりなんだかんだで未だにチョムスキーは英語も中身も難しいと思うし。何度読んでもすっきりとは理解できた気がしない*3(^^; 自分の研究の枠組みに関する立場としてはミニマリストではあるので、生成文法内に数ある理論*4の中でも結構チョムスキー寄りと思われても仕方が無いのだけれど、「君、チョムスキアン?」と聞かれても「違います」と答えるしなあ*5。
まあもし僕が出会ったようなネット上の言説が素人による誤読、誤解に基付くものだったとしても、そこまで言語学に関係無さそうな人にも名前が知られていて、その内容に興味が持たれているってのはよく考えるとやっぱりすごいな、とは思います*6。
ここ最近でふと思ったのは「普遍文法」とか「深層構造」ってイメージを膨らましやすい、悪く言えば拡大解釈しやすい用語/概念なんだろうなあ、ってことですかね(ちなみに「深層構造」については『日本語に主語はいらない』に突っ込む:(2)「深層構造」の把握に関係する問題 - 思索の海、「普遍文法」についてはメモ:普遍文法の知識はどこまで言語固有か?−ミニマリストプログラムがやろうとしていること - 思索の海で少し触れた)。良く言えば夢を込めやすい、というか。
それより何より気になるのは"Chomsky"に"-(o)logy"を付加した場合に"Chomskyology"で良いのかってことだったりするけど*7。