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『日本語に主語はいらない』に突っ込む:(8)pro dropって何よ

 どうもお久しぶりです。
 今回の記事も批判ではありません。mixiの言語学のコミュでpro dropに関する質問があって、たまたま関連する論文に出会いました。そこに簡単な先行研究のまとめが出てて便利だな、と思ったのでちょっと要約しておこうかな、というのがこの記事を書くきっかけです。確か金谷氏の本にもpro dropの話題がちょこっと出てきてたのでせっかくだからpro dropの紹介にもしておこうかなーなんて思ったわけです。

    • pro-drop languageって?

 金谷氏の本にも書いてありましたが、最近だとnull-subject languageなんて言うことが増えましたけどね。典型的なpro-drop languageとしてよく挙げられるのはイタリア語、スペイン語、ギリシャ語です*1。例えば下はスペイン語の例。主語が省略可能です。

  • (Yo) hablo Frances.
  • *(I) speak French.

ところが、英語、オランダ語などのnon pro-drop languageでは上に対応させている例でも分かるように、主語を省略できません(カッコの外の"*"は省くと非文であることを示しています)。
 説明が後になってしまいましたが、こういう「主語を省略できる言語」をpro drop languageと呼びます。pro dropという名前は、省略されている主語位置にある要素を"pro"という音形を持たない代名詞的要素であると分析するところから来ています。ちなみに、このproは音形を持たない要素、「空範疇(empty category)」の一種ですが、その一つに"PRO"というものもあります(ビッグ/ラージプロと呼ばれます。対してproはスモールプロ)。これは統語的性質もproとは異なるものですが、"Pro"というものはありません。だから確か金谷氏が"Pro drop"って書いてたのは結構初歩的なミスというか*2

    • 日本語もpro-drop language?

 さて、ここからがちょっとややこしい話になります。
 まず、上で書いたようにpro-drop languageを定義するなら、日本語もpro-drop languageです。主語*3が出てこなくても良いですから。ところが、もともとpro drop - non pro dropの分析で取り上げられたのは、上に書いたようなイタリア語、スペイン語と英語、オランダ語の対比であり、そこで重要な役割を担っていたのは、動詞に豊かな屈折(rich inflection)を持つかどうか*4、という点でした。基本的に

  • 豊かな屈折を持つ:pro dropを許す
  • 豊かな屈折を持たない:pro dropを許さない

というおおまかな一般化が成り立つと言われています*5。実際に統語的分析においても、主語位置の空範疇(pro)の認可をAgrやIといった屈折に関わる機能範疇と結びつける分析が提案されてきたわけです。
 しかし、そこで問題になってくるのが中国語や日本語です。こういった言語ではそもそも人称や数に関する屈折を持ちません。なのに主語は義務的に現れなくても良い。こういった言語をどう分析するか、という試みは結構早くからなされてきました。
 従って、具体的な統語的分析という観点からは、イタリア語やスペイン語などと日本語は異なったものとして取り扱われてきました*6。一方で、「主語が義務的に表示されなくても良い言語」という記述的なくくりに関してもpro dropという用語は使われてきました。日本語がpro dropと呼ばれるのは、後者の意味であって、それはなんというか非常におおまかな分類なのです。基本的には、分析のレベルで日本語がスペイン語やイタリア語と同じであると主張しているわけではありません。こういうややこしい事情があるから話がわかりにくいのでしょうね。ちなみにその点でnull-subject languageというのは理論的な含意を持たず、わかりやすい名称(分類)だと思います。

    • ではどう分析するのか

 ここで、上でも触れた以下の論文のまとめから簡単に具体的な分析例をいくつか紹介しておこうと思います。原典に当たってないものが多いので、以下の内容は不正確かもしれません。気になった方は(それぞれの論文の)原典を当たることをオススメします。

  • Neeleman, Ad and Kriszta Szendroi (2007) "Radical pro drop and the morphology of pronouns," Linguistic Inquiry 38:671-714.

1. Topic drop
 Huang(1984)で提唱された分析です。これが有名なので屈折と無関係なpro dropの例としては中国語がまず挙げられることが結構多いです。
 分析の骨子は、中国語の主文のゼロ主語は空の代名詞proではなく、ゼロ主題(zero topic)に束縛される変項(variable)であるというものです。一方で、イタリア語などのゼロ主語は屈折によって認可されるproであると考えます。
2. 屈折の認可の方が問題
 Speas(1994)などによる分析です*7
 ゼロ主語の認可ではなく、(述語の)屈折の方の認可を軸に考えます。メインの主張は「poor agreementは認可されなければならない」です。つまり、屈折の貧弱な言語のI(nflection)要素はその指定部にφ素性(人称、数、性の素性のセット)をとることによって認可されなければならない。proはφ素性を持たないので、その認可をすることができない、と考えます。こうすると、屈折が無い言語ではそもそも認可されるべき要素が無いので、proの生起を許すことになります。つまり、この分析ではイタリア語でも日本語でもゼロ主語はproです。
2. NP削除分析
 Tomioka(2003)による分析です。
 NPだけを削除する操作を仮定します。日本語などの限定詞(determiner)を持たない言語*8ではNPを削除しても問題が無いのに対して、限定詞を持つ言語では限定詞が接語化(cliticization)する要素が無くなるのでダメ、と考えます。イタリア語などに関しては、豊かな屈折によって認可されるDP deletion(限定詞までも含めた削除)を考えるようです。
 この分析では、ゼロ主語はproではなく削除の跡地(ellipsis cite)です。

    • まとめ

 もちろん、それぞれの分析に対していくつかの問題点も指摘されています。ここで重要なのは、分析によって

  • ゼロ主語はどの種類の空範疇か

がそれぞれ違う、ということです。まとめてみましょう。

  1. Huang: イタリア語などのゼロ主語はpro、日本語などのゼロ主語はtopic operatorの変項(variable)
  2. Speas: イタリア語なども日本語などもゼロ主語はpro
  3. Tomioka: イタリア語なども日本語などもゼロ主語は削除によって生まれるもの

Neelemanらの分析はまだ最後まで読んでないのでここには書きませんが、結構theory-dependent、というか理論的な解説が必要になるもののようですので、ブログの方には書かないかもしれません。
 なんか相変わらずぼやけたエントリですね。まあ一番言いたかったことは

  • 日本語はpro-drop languageだって言われるけど、実際の分析では色々あるのよ

ってとこです。細かい用語の説明は面倒なので省きましたが質問があればわかるだけお答えします。ではでは。
※おまけ
 ちなみに、中国語や日本語と同じ性質を持つ言語では、目的語などの要素も比較的自由に落とせることが多いようです。英語やイタリア語などとの対照を考えると、どうも主格の取り扱いがメインになってしまうのですが、主語以外の項要素の脱落を考えるのは理論的にも類型論的にも重要なことです。実際、上で紹介したHuangの論文などはゼロの目的語についても言及しています。

    • references
  • Huang, C.-T. James (1984) "On the distribution and reference of empty pronouns," Linguistic Inquiry 15:531-574.
  • Speas, Margaret (1994) "Null argument in a theory of economy of projection," University of Massachusetts occasional papers in linguistics. 179-208.
  • Tomioka, Satoshi (2003) "The semantics of Japanese null pronouns and its cross-linguistic implications," The interfaces: Deriving and interpreting omitted structures. 321-339. John Benjamins.

*1:ギリシャ語は人称によってpro dropの可否に差があるのでpartial pro dropなんて言われたりもするようですが

*2:表記上の理由で(文頭にあるとか)"Pro drop"になっちゃうこともありますけどね。

*3:このエントリでは日本語に主語があるのか、という問題はひとまず置いておきます。主語ではなくて主格要素を考えてもほとんど話は同じだからです。

*4:具体的には、人称、数などの一致(agreement)ですね。

*5:実際にはEuropeanの中でさえそう上手くはいかないようですが。

*6:中には統一的分析を目指したものもあったかもしれませんが。

*7:余談ですがMargaret SpeasはUMassでの僕のsponsorでした。

*8:determinerってのは英語だとtheとかそういうのです。