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歯切れが悪いのは仕様です。

ラーメンズで言語学 (3):切るのに「はさみ」?連用形名詞の話

はじめに

ラーメンズの小林賢太郎氏がパフォーマーを引退ということで,慌てて書くことにしました。

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実は何か書きたいなと思いつつ次のネタで良いものがなかなか見つかっていなかったという状態が長く続いていたので,その1やその2のように,ラーメンズのコントを例に言語学の重要な考え方や概念を紹介するというタイプの記事にはできませんでした(ちなみに私の中では1の方が良く書けたと思います)。がんばっていくつか用語の紹介ぐらいはします。

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この先を読む前に,下記の点にはご注意ください。

  • 当然のことながらネタバレを含みます。
  • いわゆるお笑いのネタを学問的な題材にする,野暮な試みでもあります。理屈付け(のようなこと)が好きでない方は読まないが吉かもしれません。特にラーメンズファンの方はご注意ください。
  • 発話者名は演者名の「小林」「片桐」で統一します。
  • 文字起こしはそれほど正確ではありません。

題材

今回取り上げるのは第14回公演『STUDY』「ホコサキ」です。この作品は言葉そのものに焦点を当てているネタがたくさん出てくるので,ほかにも何か書けるかもしれません。

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いつも書いていますが,YouTubeに公式の動画があるのは素晴らしいですね。


ラーメンズ『STUDY』より「ホコサキ」

会話

今回は前後の文脈とかの説明は特に必要ないかと思います。

小林「要するに,彼が何を言いたいのかと言うと,「はさみ」は切るための道具であると。ではどっちかというと,ピンセットの方がはさみなんじゃないのか。」
片桐「違います」

連用形名詞

このような,動詞のいわゆる連用形がそのまま名詞になっているものを「連用形名詞」と言います。

iOS版の『日本国語大辞典』でこの切る道具としての「はさみ」を引くと「二枚の刃ではさむようにして物を切る道具。」とありまして,ホコサキさんの指摘は「確かに」と思うところもありますが,そこまで変というわけでもないようです。物の名称がどう定着するかというのはなかなか一筋縄ではいかないところもありますし,私は史的研究は得意ではないので(語彙史,文法史ともに)「はさみ」の語誌には踏み込ないことにします。

連用形名詞の範囲

日本語研究でこの連用形名詞について考える場合,出発点の1つになる文献として西尾 (1961)があるのですが,

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この論文では「雪-どけ」や「干し-草」のように動詞連用形の前後にほかの要素を含む複合語も「連用形名詞」として取り上げています。ただ,西尾自身も後の論文でこのタイプは連用形名詞の分析から外していたりしますし,ほかの研究で「連用形名詞」と言った場合に複合語のものも含むことは少ないというのが私の印象です。

「雪どけ」のようなタイプは「動詞由来複合語」の名称で研究があるという話は,「まなざす」について書いた記事でも取り上げました。

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イディオム?

「ホコサキさん」が指摘していることを,下記のような対応で見るともう少しわかりやすくなるかもしれません。同じ連用形名詞でも,1の方では,動詞の意味をそのまま利用して名詞の意味ができているように思えますが,2の方では名詞「はさみ」の意味は動詞「はさむ」の意味から作るだけでは予測できないものに思えます(この「こと」によるパラフレーズが良い確認手段かどうかという問題はあります)。

  1. 動詞:勝つ → 名詞:勝ち(勝つこと)
  2. 動詞:はさむ → 名詞:はさみ(≠はさむこと)

このような,予測不可能な意味を指して「イディオム的 (idiomatic)」という表現が使われることがあります。“idiom”は和訳として「慣用句」があるように,複数の語の組み合わせによる現象を指すのが一般的かと思うのですが,言語学ではこのように単独の語に対して使われることもあります。ただ,これはあまり厳密な用語法ではないこともあるので知っておくと便利ぐらいの用語です。なお,西尾 (1961)も,連用形名詞は元の動詞の意味からかなり離れた意味になる場合があり,それは不思議なことではないとしています(例:台所の流し,話のオチ)。

ちなみにちょっと違う話になってしまいますが,連用形名詞は独立して使われるよりもイディオム(この場合は「慣用句」として良いでしょう)の一部として安定して現れるという観察が,上で紹介した西尾 (1961)で出てきます(西尾 (1961)はこのことを指して「イディオム的」と言っています)。挙げられている例では「磨きがかかる」「示しがつく」などが分かりやすいでしょうか。

「イディオム的意味」はこのような現象を分析する上ではけっこう注目されます。私も簡単な論文を書いたことがあって,そこで少し先行研究のまとめもありますのでよろしければどうぞ。ただ,論文のメイントピックがかなり専門的なので言語学に触れたことがないと読むのはかなりきついかもしれません。ちなみに受動との関連で「お気に入られ」とか「ふぁぼられ」にもちょっとだけ触れています。

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現象や分野の名称

これだけではなんか物足りないなあと思ったので,関連して,分野の名称に関する話を少し付け足しておきます。

このような,品詞を変えるプロセスのことを専門的には「派生 (derivation)」と言いますが,こういうトピックを扱う本や論文に使われるキーワードとしては「語形成 (word formation)」というのをまず知っておくと良いでしょう。「語形成」は派生だけでなく「屈折 (inflection)」を含むこともあるのですが,私の体感では「語形成」と付いていると派生や複合といった話がメインの本が多いように思います。

また,日本語の研究では「語構成」という用語が使われることもあります。かつて「語形成」と「語構成」と使い分けようという提案がなされたこともあったのですが(阪倉篤義),今は「語構成」がカバータームとして使われているように思います。こういう,対象となる言語によって専門用語の形が違うということは言語学では珍しくありません。ほかにも,「統語論」と「構文論」と「統辞論」とかいろいろあります。

言語学一般では,こういう現象を取り扱う分野としては「形態論 (morphology)」があります。それに加えて,日本語の研究に関しては「語彙論」という名称も覚えておくと良いでしょう。本や論文のタイトルとしては「語彙論」が用いられているけれども,内容としては「語」に関するかなり幅広いトピックを取り扱っているということは珍しくありません。一般的に言語学でsyntax,semanticsなどと並べられる分野名はmorphologyなんですが,日本語の研究,特に入門書や講座もので「文法」や「意味」と並べられるのは「語彙」のことが多いですね。この背景には日本語の形態論的性質とその研究方法があると思うのですが,専門的でごちゃごちゃした話になるので割愛。

こういう名称の話は歴史的経緯などが関係していたりして専門的な勉強をする上でそれほど重要とは思えないこともあるのですが(重要な場合もあります),本や論文を探す時(特に検索)に「違う呼び方もある」ということを知っていると便利です。

おまけ:連用形の取り扱いとか

さらにおまけに,ちょっと詳しい人向けの話です。

派生を接辞付加によるものと考え,転換 (conversion)と区別するなら(転換もゼロ接辞分析がありますが),連用形名詞は転換の可能性もあります。連用形を形態的にどのように分析するかによります。

たとえば「はさみ」を例に取り,五段動詞/一段動詞を子音語幹動詞/母音語幹動詞として分析する案を採用すると hasam-i になるわけですが,この子音語幹動詞(五段動詞)の場合に現れる連用形のiが(名詞化)接辞なら派生となり,接辞でないなら転換の可能性が出てきます。ただ,そもそも英語(学)と違って日本語の研究ではあまり「転換」という用語自体使われないような気もしますね。

私は連用形は非該当形 (elsewhere form)であると考えているのですが,連用形が名詞化であるという分析案はあります。その辺りの問題と私の分析は下記の論文集に載っているもの(「分散形態論を用いた動詞活用の研究に向けて」というやつ)が一番詳しいので,こちらもかなり専門的ですが,気になる方はどうぞ。論文で具体的に触れているのは名詞分析より人気のある「不定詞」分析の方なんですけど。

活用論の前線

活用論の前線

おわりに

書く前から覚悟していましたが,結局,今までのもので一番「ラーメンズを言葉から見た時の面白さ」には切り込めなかったように思います。シリーズ物ではこういう回もあるということで…リベンジマッチにご期待下さい(次は何年後になるかな)。

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