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歯切れが悪いのは仕様です。

ノイジーマイノリティが東京オリンピックについて気になったこと

きのう事前にいろいろ書いてつかれたので東京オリンピック・パラリンピックについてはしばらくブログを書かないとTwitterで言ったのですけれど,やっぱり気になるので少しだけ。

競技が始まってから,これまでのオリンピックと何か伝え方の部分で違うところが出てくるかと思って主にテレビ中継を見ていたのですけれど(私のゼミではときどきスポーツと言語が卒論のテーマになることがあります),ちょっとびっくりするくらいこれまでと変わらなかった気がします。

何より気になったのは,番組の中でスポーツに直接関わっていない多くの人たちがコロナ禍で苦しんでいることへの言及がとても少ないことです。たまたま私が見ていないところでだけたくさん言及されていたかもしれませんけれども。大会に何らかの形で関わっている人たちが大変なのも当然で,そこにまず言及や感謝があるのは分かります。しかし今はより広い視野が求められているのではという気がします。スポーツもそれ以外の社会や営みと切っても切り離せず,特にオリンピック・パラリンピックは社会的意義が認められているからこそこれだけの規模と扱いなわけですよね。

競技が終わった直後のアスリートに関しては,どうしても身近な人への感謝などが先に出るでしょうし,かなり感情的になっていることもあるでしょうし,インタビューの時間も限られているのでそういう言葉が聞かれないのはしかたないのかもしれません。でもそれなら,コメントしに来ている先輩アスリートとか,番組の司会や解説の方がもうちょっとフォローできないのでしょうか

特に初日NHKのオリンピック番組(柔道)の最後で,コロナ禍で苦しんでいる人たちに対して,とってつけたようなアリバイ作りのような一言さえなかったのは本当に驚きました。いや,そんなこと言うと「口だけは…」みたいな批判があるかもしれませんよ。でもなんと言うか,スタートラインにも立てていない感じ。

私は,今大会はこれまでになくスポーツとアスリートをはじめとしたスポーツに関わる人たちが厳しい目で見られる場になると考えていました。もし開催されることになったら,むしろなんとなく高揚感などによって覆い隠されてしまう始まってからが怖いのだと。今は,勝手に危機感のようなものを持っていた自分の方がおかしいのではないかとすら思えてきました。

私はいちおう大学で体育会にも入ってたスポーツ経験者で,自分ではあまりやらなくなった今でもスポーツが好きです。そんなんで今回のオリンピック・パラリンピックには反対というのはかなりのマイノリティなのかもしれませんが,

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この記事も本文に書いてあるようにアスリートの立場やスポーツの継続性を前面に出していて,むしろスポーツを応援する気持ちで書いたのですよ。

でも,もうなんだか冷めました。Twitterに書いたように白けたと言っても良い。これでもう今後開催期間中は東京オリンピック・パラリンピックに言及しません。嫌いになったからではない,どうでも良くなってきたからです。まだ始まったばかりですから,今後私の書いた心配が最初の1, 2日だけの局所的な出来事だったという展開になることを祈っています。

上にも書いたように私はスポーツとの関わり方についてはマイノリティで,ここに書いてあることは単なるノイズかもしれません。そのような人やものを「盛り上がってるから良いんだよ」と言って切り捨てた先に何があるのでしょうか。

おまけ

大坂なおみ選手についても何か書くかなということも考えていたのですが,開会式の件についてはいろんな人が触れていますし,アスリートとしての側面については過去の記事を紹介するにとどめておきます。

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あと「感動」についても以前まったく別の文脈で書いたものを思い出しましたのでよろしければどうぞ。

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