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歯切れが悪いのは仕様です。

ラーメンズについてちょっとだけ(小林賢太郎氏解任に寄せて)

はじめに

小林賢太郎氏が東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式のディレクターを解任された件について,ラーメンズのファンとして何か書いておこうかなと考えているうちに,下記のような記事が出ました。

note.kishidanami.com

特に「小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない」という辺りには共感するところで,私が特に何か書かなくてもいいかなとも思いましたが,このブログでも何度かラーメンズを取り上げていますので,やはり少し書いておきます。

また,よく読んでみると私と上記記事の書き手とではだいぶ細かいところが違っています。たとえばまず私は今回の東京オリンピック・パラリンピックには反対の立場で,小林賢太郎氏が開閉会式のディレクターに就任したことについては残念に思っていました。あと,下にも少し書くとおりそれほどラーメンズ・小林賢太郎氏の熱心なファンというわけではないかもしれません。

ちなみに,今回の開閉会式についての具体的な問題点については下記の記事の方をおすすめします。私としてはどちらかというとこちらを読んでもらえる方が嬉しいです。

dlit.hatenadiary.com

熱心なファンではないかも

私はラーメンズのファンと行っても,DVDで発表されている作品と,爆笑オンエアバトルで放映された作品をすべて見ているというくらいです。ラーメンズを最初に知ったのは爆笑オンエアバトルで,私にとってはものすごいインパクトでした。ラーメンズが出るかもしれないと思って毎週見ていたのをよく覚えています。公演を見に行けたのも1回だけです。

一方,小林賢太郎氏のラーメンズ以外の活動や作品についてはそれほどフォローしていませんし,今回取り上げられた作品についても知りませんでした。また,ラーメンズ,あるいは小林・片桐両氏のインタビューなどもほとんど目にしたことがありません。ただ私はそもそもラーメンズに限らず音楽や演劇,マンガ,小説などについて作り手の人となりをあまり追いかけないのですよね。インタビューも探しませんし(たまたま出会ったら読むくらい),Twitterでフォローしたりもしません。

というわけで,ここから先の話は上で紹介した記事とは違って熱心なファンの語りというわけではありません。ただ人生の苦しいときに(今でも)ラーメンズの作品を観て笑うことで救われてきた人間としては何か書き残しておいた方が良さそうだなと。ラーメンズを好きというところから来るバイアスもあるでしょうから,読む際には気をつけて下さい。

解任とそのプロセス

先に書いておくと,問題になった作品におけるホロコーストへの言及についてはやはり問題で,(ある程度文脈から切り離した形でも)これが理由でオリンピック・パラリンピックのイベントに関する仕事を辞することになるというのは私の感覚では不思議ではありません。

ただ,いろいろ関連記事を読んでみてもオリンピック・パラリンピックの運営を担う人々が事実をどのように把握していて,どのような認識の下,どのようなプロセスを経て解任に至ったのかというのが良く分かりません(私が見落としているだけという可能性もあります)。

百歩譲って開会式の開始まで時間がなかったので先に解任の決定を発表する必要があったとしても,後日でも良いので事実の内容確認と認識,解任までのプロセスについてしっかりとした具体的な説明・報告がなされるべきではないでしょうか。これまでの東京オリンピック・パラリンピックに関する諸々のことを思い返すと「しっかりとした具体的な説明・報告」にあまり現実味がありませんけれども。

確かに人々の認識や社会の変化によってより問題されるようになってきているという側面はあるのかもしれませんが,差別とかそういう問題について声を上げたり問題視したり批判したりする人はずっと前からいたわけで,そういう声に向き合わずになんとなくそのままにしてしまうことが多かった結果,今オリンピック・パラリンピックという国際イベントを前に進退窮まってしまっているのではというように私には見えます。ここで運営に責任を持つ主体が「辞任・解任して終わったことなので」といったような形でまたなんとなくそのままにすると結局同じことを繰り返してしまうというのは杞憂でしょうか。

ひどい犠牲が出た 歴史上の出来事を「笑い」にすること

私自身は上にも書いたように,今回問題になっているコント自体は見ていませんので考えられる範囲に限りがありますけれども,実際に見たことのある方の説明を読む限りでは,(こういう文脈/ニュアンスでの)ネタだから,という理由で看過できるようなものではないように思えます。

歴史や背景などが違うので簡単にほかのものに置き換えて考えるのは危険かもしれないのですけれども,私がこういう問題で真っ先に思い浮かぶのは太平洋戦争の沖縄戦です(沖縄生まれなので)。たとえば集団自決を「ごっこ」という形でネタにされたら,コントの中で特に核になる位置付けでもない一瞬の登場でも(だからこそ)そこから先は楽しめなさそうです。たとえラーメンズのコントであっても。

なんで「(お)笑い」にそんなにマジになってんのというように感じる方もいるかもしれません。しかし,(ポジティブな方にも強い力を持つことがあるのと隣り合わせで)笑いってけっこう暴力的であったり,暴力として機能してしまう側面があると思うのですよ。この辺り,私自身はそこまで詳しくないので専門家の方から何か解説などがあると嬉しいです。

そんなに昔の話を,と言っても,この内容は当時でも許されるものではなかったはずです。というか,だからこそ「ネタ」として使うことができるわけですよね。

これは,「お笑い」とか,「ラーメンズの世界」みたいな独立した文化だからといった言い訳は通用しないということなんだと思うのです。つまり,ユダヤ人やホロコーストといった事柄の一般社会における位置付けを作品に利用しているわけなので,外(一般社会)から「それどうなの」と言われた場合に応答を求められることからは逃げられないのではないでしょうか。その点で,ラーメンズの2人から具体的なコメントが出たことはファンとしては嬉しく思います。下記は片桐仁氏のコメント(小林賢太郎氏のコメントは後で触れます)。

twinkle-co.co.jp

応答の仕方には,こういう形でコメントや文章を発表するほかに,作品で応えるとか,いくつか方法があるのかもしれません。

小林賢太郎のことばとラーメンズのネタ

ところで,ラーメンズのネタには取り扱っている内容が理由で素直に楽しめないものもあります。これは楽しめるかどうかには差があっても同じようなことを感じている人もいるのではないでしょうか。

私にとっては,いわゆる日本語学校シリーズがそれです。なぜかというと「外国人」や日本語学習者に対するステレオタイプな描き方が出てきて,それが笑いにつなげられていることがあるからです。なので,実はラーメンズのコントを紹介する時に日本語学校シリーズからは選んでいません(そのほかにも悩んだものはあります)。ただそれを明確に指摘したことはないので,それはお前もダメだろと言われたらその通りです。

dlit.hatenablog.com

ただ,小林氏の「人を傷つけない笑いを目指すようになっていきました」という言葉の反映かどうかは分からないのですが,後になるにつれてそのような描き方は少なくなっているように思います(これはこの問題が出る前から感じていたことでした)。たとえば,日本語学校シリーズの後継のような内容になっている15回公演の「不思議の国のニポン」では外国人,あるいは日本語学習者というところはかなり背景化されているように感じます(このコントは都道府県に対するステレオタイプな描き方が気になる方がいそうではあります)。でもひいき目で見すぎかな。

追記(2021/07/24)

私がラーメンズ(の2人)が好きだということは変わりませんし,今後も2人を応援しています。

上にも書いたように個々の作品への好き嫌いなどはあるものの,小林賢太郎氏と片桐仁氏がこれまで作ってきたこと,やってきたことはやっぱりすごいことだという評価と好きだということは変わりませんね。

下記で紹介している「ラーメンズで言語学」の続編にできるかどうかは分かりませんが,今後も作品の紹介はしたいと思います。

ラーメンズのコントではない小林氏の仕事ということで「The Japanese Tradition」シリーズを思い出しました。「日本文化」への皮肉の混ぜ方が絶妙で私は好きです。ただこれも人によって好き嫌いは割れそうな気はします。


www.youtube.com

関連記事:ラーメンズ

「ラーメンズで言語学」シリーズはいちおう4まで書いています。ただ,3, 4は急いで書いたということもあって我ながら駄作だと思うのでここでは1, 2だけはっておきます(ブクマ数は2が10倍以上ありますけど私としては1が好き)。

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関連記事:そのほか

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