誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

MLF 2020でちょっと出てた分散形態論のRootの話

はじめに

MLF (Morphology and Lexicon Forum) 2020に参加して下さった皆さんありがとうございました。

www.konan-u.ac.jp

はじめてのオンライン開催で運営委員も不安なところがありましたが,発表や質疑応答にそれほど大きなトラブルはなくなんとか乗り切ったかという気がします。私はさいきん運営委員に入ったのですが,何か気になったこと等あったら個人的にごにょごにょしていただいて構いません。来年度もオンライン開催の可能性は十分あると思いますし。

発表も認知言語学を使ったものがあったりノルウェー語を扱ったものがあったりとアプローチの面でも言語の面でもいろいろあって面白かったと思います。

さて,大関さんの発表の質疑応答で分散形態論 (Distributed Morphology)におけるRootという概念についてやりとりがあって,それを聞いて思うところがあったのを少しアウトプットしておきます。ただ文献に書かれていることはほぼ確認せず私の記憶を頼りにしていますので気になる方は文献を当たることをおすすめします。ここ5年ぐらいの理論的な動向はあまりきちんと追えていない気がしますし,ここに書く内容をそのまま受け取ると危険です。怪文書ぐらいに思ってください(もちろんあくまで私の見解)。あと,内容が内容なので詳しくない方向けの解説も付けません。ご了承ください。

Rootの内容問題

分散形態論におけるRootと呼ばれる概念がどのような情報を含んでいる(べき)かというのはここ最近のこの理論の重要な問題の1つで,Bobaljik 2012の書評を書いたときも取り上げました。ここで挙げている文献を読むと,ある程度の立場や考え方が把握できると思います。

www.jstage.jst.go.jp

キモは何かと言うと,Rootはその理論的性格から,できるだけ内容が少ない方が良いわけです(理想的には「無」,後で何か入る穴みたいな)。Rootの内容を豊かにし過ぎると「それRootとか呼んでるだけで実質的にお前らが批判してるlexicalismの “word” と一緒じゃん」てなっちゃう危険があります。でも,実際の言語現象の分析ではRootが完全に「無」だと困ることがけっこうあって,じゃあこの情報だけ持ってると考えようという話になって,どのタイプの情報をどれぐらい持ってても良さそうか(持ってないと困るか)というのが論点になるわけです。

すごくざっくりとした流れとしては,当初は割とRootはできるだけ空にしておこう(一番ラディカルなのはたぶん複数のRoot同士はsyntaxで区別できないって立場)ってのが受け入れられてたけど,Embickがけっこう早くからいやRootには音形に関する情報がないとまずいってのを言ってて,それもある程度認められてきた一方,suppletionをlate insertionでやる研究が盛んになるとやっぱりRootも最初から音形持ってるとよろしくないという流れになり,今はRootは音形は持たない,ただ異なるRootの区別は付くという辺りが落とし所になっているかと思います。意味的情報については,そこまではっきりとしたコンセンサスはないように見えるんですが,できるだけ持たせないって感じでしょうか(それに明確に反しているように見えるのが下に書くHarleyのいくつかの研究)。

Encyclopedia

さて,大関さんの発表の質疑応答では(分散形態論でも?)Rootが内項を取ったり語彙意味論的内容を持っているとする考え方もあるということに対して確認や驚きの声があったように記憶しています。まずこの2つはちょっと分けた方が良いです。

まず,Rootが語彙意味論的内容を持っているというのは,分散形態論でそこまで積極的に探求されないのですが,実はまあスタンダードな考え方です。ただ,これはRootが元々備えている情報ではなくてEncyclopediaという「分散された (distributed)」情報(List 3)に貯蔵されていると考えられています。つまり,(narrow) syntaxとかその後にある形態部門 (Morphology)の段階ではRootはこの情報を持っていません。なのでRootの内容が豊かになり過ぎる問題とは直接関連しません。ただこの「語彙意味論的内容」がどのような内容かというのは分散形態論の研究でもそれほど明らかにされていないと思います。いわゆる語彙概念構造で表示されるような「構造化された意味」にはなっていないんじゃないか(特にそういうのを統語的にある程度作っちゃう場合は)というのが私見です。

ただEncyclopediaはあまり研究が進んでないんですよね(ここ数年で急激に進んだとかあるのかしら)。LFから参照できるかとか,そういうところからしてはっきりしない感じで。分散形態論というと語形成に対する統語的アプローチの代名詞のようになってることがありますが,たとえば下記のHarley and Noyer 2000では(別の)統語的アプローチの代案としてEncyclopediaを使った分析を出していたりします。ただ,この研究あまりその後ちゃんと受け継がれていないなあという印象があります。

Formal versus Encyclopedic Properties of Vocabulary: Evidence from Nominalisations

Encyclopediaの研究が進まない理由はなんとなく分かって,分散形態論でわざわざ研究するうまみがあまりない…というか強みが出ないのですよね。分散形態論の利点の1つはやはり統語論と相性が良いところなので。だからlocalityと関連づけられるsuppletionの研究がさいきん盛んなんだと思います。

内項

一方,Rootが内項を取るかどうかというのは,はっきりとRootの内容豊かさ問題の論点になります。私が知る限りではっきりとこの立場を主張した(ことがある)のはHeidi Harleyです。ただRootが項構造の豊かな情報を持っているというよりは,内項を取るRootと取らないRootがあるという感じ。これは分散形態論のほかの研究者にあまり(積極的には)採用されていないような印象があります。明らかにRootそのものに統語的,あるいは意味的な情報を元々持たせるという話で,Root自体の分類ができるってなっちゃいますからね。分散形態論の理論的設計思想としては,そういうのはできるだけ後で(syntaxで)構築したい。

Harleyは,この種の分析を出す前に実はもっと強い分析案も出していて,それはRootそのものがstateとかthingとかっていう意味論的なタイプを持つってものです。これはさすがに分散形態論としては維持できない考え方で,Harley自身もすぐ使わなくなった印象です。私もアイディアとしては面白いと思って自分の分析で使ったことがありますが,やっぱり分散形態論とはあまり合わないですね(私は一応Rootの意味的タイプは元々あるというより後で解釈されるものっていう逃げ道を考えてみましたが…)。上記の内項を取るRootと取らないRootがあるってのは,私から見るとこの時の分析を弱めた結果出てきた考え方という感じです。

で,Harley自身がどのように考えているのか分かりませんが,Harleyのこの一連の動詞句構造の研究は,明らかにHale and Keyserの強い影響を受けています。別に秘密にやっているわけではなくて,もちろんReferenceにも挙がってますし本文でも言及してますよ。確かに私もHale and Keyser 1993(もう有名過ぎるんで書誌情報は省略)はかなり好きです。特に範疇を構造の違いに還元して,自他交替の可否を統語的に分析するところは素晴らしいですよね(bare phrase structureになっちゃったんでそのままはできなくなっちゃいましたけどね)。これこそ統語的アプローチだよって感じ。

Hale and Keyser流の動詞句構造の分析は,確かに分散形態論と相性が良いと思うんですが(Hale and Keyserも後でRoot的な要素使って分析してた記憶),完全に互換性があるというわけではないので分散形態論にどれぐらい,どんな形で取り込めるかについてはその都度チェックが必要かと思います。というわけで取り扱いに注意が必要なんですがHarleyが分散形態論の重要な研究者の1人で影響力が強いということがたぶんあってそのフォロワーもいるって印象です。

分散形態論にlexicalism的な分析を持ち込んでしまったり,paradigm-based的な分析を持ち込んでしまったりというのは気をつけてないと意外とあっさりできてしまうと思います。もしかしたらそれがどうしても必要ってこともあるのかもしれないのですが,上にも書いたように,そういうアプローチでやるなら無理して分散形態論使う必要がなくなっちゃうんですよね。ただ私もこの点では前科持ちなのであまり偉そうなことは言えません。

Rootの研究は進んでる?

Chomskyがlabelingの話でRootに言及したので,意外な形で注目度が上がったということがあると思います。上では口うるさいことを書いていますが,研究では色々試すことが重要なので,分散形態論推しの人にも,そこまででない人にもどんどん使ってもらって,研究が洗練されていくのが一番良いかなと。

ただTwitterにも書いたんですが,Root周りの話は,現象によっては既存の(特にlexicalism系の)研究でもできてたことが分散形態論でもできました,って形までしか行けないってこともそれほど珍しくないので,広くその研究の良さをアピールするのにちょっと工夫がいるんですよね。なので分散形態論の研究全体で見るとあまり流行らないんじゃないかなあという気がしてます。上に書いたEncyclopediaの研究の話と似てますね。

でももちろんRootの研究だって面白いこといっぱいあるんで,興味持ってる方はどんどんやってほしいです。「それ○○でもできるよね」とか「なんでわざわざ分散形態論なの」とか言われても,(もちろんそれに対する答えは必要ですが)めげずにやってほしい。もちろん無理強いはしません。私なんて生成文法の研究者から「生成文法やってるのになんで統語論じゃなくて形態論なんてやってるの?」って言われたりするんですよ(いや統語論もやるけどね)。いくつか理由はあるんですが,やっぱり楽しいんですよ! 研究のモデルがほしいなら,上の書評でも推してますがBobaljik2012がすごくおすすめです。

このタイプの分析がほかの現象でも出るとすげー面白いことになると思うんですが,なかなか思いつきませんね。

大坂なおみ選手への祝福と観客の話についてもうちょっとだけ

先日書いた記事に書き忘れたことがあったので補足です。しかしこの記事,ちょっとびっくりするぐらい読まれていません。ごく一部の人向けの事務連絡的告知記事の方がまだ読まれてるぐらい。そういう記事は時々ありますのでたまたまでしょうけれど。

dlit.hatenadiary.com

その後のいろいろな反応を見ていると,やっぱり優勝という結果は重いんだなと強く感じます。メディアをはじめ,かなり広範囲の人が言及せざるを得ないというか。なのでその分反発も大きくなってしまうという側面があるのでしょうけれど。

ただこのこと自体は問題提起や議論が行われることが重要という大坂なおみ選手が繰り返し行っていることに沿う状況なんですよね。この点もすごい。

さて上の記事にこんなことを書きました。

私は,大坂なおみ選手はまず今大会見せてくれたテニスのプレー面でのパフォーマンスにおいて大きな賞賛,祝福を受けてほしいと思いました。(中略)で,失礼ながら,その「賞賛,祝福」という点では表彰のセレモニーを見ていて大坂なおみ選手はアンラッキーな王者だなと感じてしまいました。もうあまり覚えていない人も多いかと思いますが,全米オープンではじめて優勝した時のセレモニーでも私は大坂なおみ選手はやや不遇な状況に置かれてしまったという記憶があります。対戦相手だったセリーナ・ウィリアムズ選手のテニス史,アメリカ,アメリカのテニス界における存在の大きさを考えると致し方ないことだったのかもしれませんが…それで今回の優勝では無観客です。もちろんこれも仕方ない状況下ということはあるのですが,その分,別の場,別の形で大坂選手が十分に賞賛,祝福される世界であってほしいです。

私の観測範囲では前回の全米オープン優勝時のことに言及している記事等はあまり見なかったのですが,祝福はたくさん見たので良かったです。ネガティブな言及もたくさん見ましたが,それは先に書いたように大坂なおみ選手自身が意図した(と言っていいのかな)状況が実現したからこそという側面もありますし,その意志を尊重したいと思います。

書き忘れたことというのは,実は今回の大会,特に決勝戦が無観客だったことは大坂なおみ選手にとってラッキーと言える側面もあったかもしれないということです。

大坂なおみ選手の出自やキャリアと今回黒人差別問題に積極的に言及しているという背景を合わせると,もし観客が例年通りだった場合,決勝戦の観客が全体的にかなり大坂なおみ選手寄りになってしまった可能性がけっこうあったと思うのですよね。実際にどうなるかはもちろんやってみないと分かりませんし仮定に仮定を重ねるような話ですが,観客がヒートアップしすぎてかえって選手がやりづらいなんてパターンにはならなかったのでもしかしたら良い方向に作用したと考えられなくもないのかも。観客の雰囲気等も合わせて素晴らしい試合が形成されることももちろん多々あるのですが,前の記事でも少し言及したように,特にグランドスラムの決勝戦の観客というのは時に残酷になることもありますから。

テニス2020全米オープン雑感(大坂なおみ選手の優勝に寄せて)

はじめに

いくつかはてブのコメントにも書いたのですが,大坂なおみ選手がシングルスで優勝したテニスの全米オープンについていくつか感じたことなどをもう少し書いておきます。

ちなみにまだ男子シングルス決勝が残っているのですが,その結果を待っているとまた時間がなくなりそうですので,もうこれで上げてしまいます。ちなみに,個人的にはティーム選手を応援しています(まず1回グランドスラムを取ってほしい…そろそろ「BIG3」に直接勝って優勝できそうな感じも出てきていましたが)。しかしセミファイナルは競るだろうと思っていたのでストレートで勝ったのは驚きました。

私自身は小学生~大学生の期間テニスをやっていて,プロの試合もWOWOWで実家に住んでいた子供の頃から見ていました。ただ最近はやることはぜんぜんありませんし,見る方もファンと言えるほどではないでしょう。特に全米オープンは時間帯が合わなくてあまり見れませんし,そこまで詳しくないただの素人のやや長い感想だと思ってください。

「いつも」と違っていたこと

いきなりですが,私はグランドスラムの,特に決勝などの注目度が高い?試合の観客があまり好きではありません。盛り上がりすぎてプレーに干渉することがある(ラリー中の歓声はしかたないと思う場合もあるのですが,選手のサーブのタイミングに干渉するのは…)のがどうも好きになれないのですね。あれは極端なケースだと思いますが,有名な全仏オープンの女子シングルス決勝のヒンギス対グラフの試合の観客はひどかったと今でも強く印象に残っています。

そんな私でも,やっぱり観客の歓声がないとさびしいなと思う場面はけっこうありました。特に,素晴らしいプレーが出た後の拍手がないのはさびしいですね。あと,特に試合自体やプレーが素晴らしかった場合に敗れた方の選手にも大きな拍手が贈られることがあるのですが,あれはあった方が良いなと感じました。

テニス経験者の1人としてこの状況で衝撃を受けた大きな変化として,試合終了後の握手がないということがあります(その代わりにお互いのラケットを合わせています)。試合終了後に握手をするというのはテニスの素晴らしい慣習の1つだと思っていたので,残念ですね。激闘の後に選手同士がハグして声を掛け合うというのも当然見れないシーンになってしまいました。

大坂なおみ選手のプレーへの賞賛

大坂なおみ選手の試合はすべてを見ることができた訳ではないのですが,全体を通して素晴らしいパフォーマンスだったと思います。グランドスラムをすでに2回取っているわけですからすでにトッププレーヤーであることは間違いないのですが,私の印象ではまた強くなったんじゃないかと。

対戦相手のコメントでもよく出てきていましたが,まずサーブで良くポイントを取れていました。しかもここは大事というところで出るエース。大きなチャンスやピンチに強力なサーブ一発で局面を有利にできるのは「王者」の特徴の1つではないかと思うのですが,今回はそういう場面が多かったように感じます。今は女子テニスでもかなり速いサーブを返せる選手はけっこういるのですが,1stサーブが入った際のポイント獲得率がずっと高かったのでコースが良くなったとか技術的,戦術的な向上があったのではないでしょうか。決勝ではサーブのスタッツはそこまで突出してはいなくてむしろ相手の1stサーブのリターン率の高さが目を引きましたが。

フットワークを含めたストロークも素晴らしかったです。以前だったらここ無理矢理打ってたんじゃないかなという場面でうまく展開してポイントを取るというシーンがけっこうあったように思います。しかもただ我慢してつなぐというよりは,緩急を付けたり球種を変えたりすることもありコースも良いところに行っていて,やはり技術的,戦術的な向上があったのではないかと感じました。個々のショットの強力さは元々すさまじいものがありましたが,この技術であれだけ展開できると相手はかなり厳しいのではないでしょうか。

また,グランドスラムは長い期間(優勝までだと約2週間)継続的に良いパフォーマンスを持続するというのが難しいポイントだと思うのですが(時には試合が深夜に及ぶことも),それを見事に乗り切ったところも素晴らしいと思います。見る方としてはどうしても個々の試合にフォーカスしてしまいますが,大会前から大会中のコンディショニングやマネージメントはチームの力を借りられるところだとは言え難しいところだと思うのでその点でもすごいですね。

私は,大坂なおみ選手はまず今大会見せてくれたテニスのプレー面でのパフォーマンスにおいて大きな賞賛,祝福を受けてほしいと思いました。もちろんすべての選手にとってそうであってほしいのですが,やはり優勝したという事実を置いておいてもすごかったですよ。

で,失礼ながら,その「賞賛,祝福」という点では表彰のセレモニーを見ていて大坂なおみ選手はアンラッキーな王者だなと感じてしまいました。もうあまり覚えていない人も多いかと思いますが,全米オープンではじめて優勝した時のセレモニーでも私は大坂なおみ選手はやや不遇な状況に置かれてしまったという記憶があります。対戦相手だったセリーナ・ウィリアムズ選手のテニス史,アメリカ,アメリカのテニス界における存在の大きさを考えると致し方ないことだったのかもしれませんが…それで今回の優勝では無観客です。もちろんこれも仕方ない状況下ということはあるのですが,その分,別の場,別の形で大坂選手が十分に賞賛,祝福される世界であってほしいです。

ちなみに,決勝の相手であったアザレンカ選手も素晴らしいパフォーマンスでした。特に最終セット,何度も2ブレークアップになりそうなところまで押されていたのにしのいで,さらにブレークバックして急激に状況が変化したところは,見ている方としては追い付かれた方は嫌な展開だなと感じさせられました。さすがというプレーも随所にありましたね。試合の後でwebで「(大坂なおみ選手の)相手はやりにくかったのでは」という意見を見て驚きました。もちろんこれも選手本人に確認しないと分かりませんが,私はあれだけの試合,パフォーマンスをした選手にそのようなコメントをする気にはなれませんね。

マスクと「メンタル」のこと

これからメディアなどでは「マスク」に象徴される黒人差別問題に関する活動が大坂なおみ選手をメンタル面で後押ししたというような話が出るでしょう(あるいはもう少し長いスパンでの「メンタル面の成長」的なストーリーになるのかもしれません)。そういう種類の記事はもう出ている気がしますし,WOWOWの実況・解説者からもそういう観点は出ていたようです。

もちろん実際にそうであったのかもしれませんし,私自身は確認できていませんが大坂なおみ選手が自身でそれを表明している(あるいはこれからする)かもしれません。私は上に書いたような技術や戦術のレベルの高さがまず正当に評価されてほしいと思います。それに加えて,確かに今大会では「メンタル」面でも大きく崩れることがなかったなという印象は持ちました。しかしそれもメンタルコントロールの「技術」が向上したということがあるのかもしれません。そもそも前哨戦で棄権すると表明する前も良いパフォーマンスを見せていたと思います。もし大坂なおみ選手の「メンタル」の話をするのであれば,スポーツにおける技術としてのメンタルコントロールの観点からのもの(できれば専門家の手によるもの)が記事などの形で出ると嬉しいです。

優勝者としてのスピーチでは自身から個人差別問題に言及することはありませんでした。その後のインタビューで質問が出たので答えていましたけど,メディアによる取り上げられ方の大きさに比して,大坂なおみ選手自身の「アピール」は非常に限定されていたというのが今大会を通じての私の印象です。たとえば,表彰セレモニー後にコートを出る際にしていたマスクは名前入りのものではありませんでした(よね?コートに入るときの映像を見れなかったので…)。意図して「限定的」に言及・活動していたのかというのは,本当のところは本人に確認しないと分かりませんけれども。

プレーヤーとしてのリスク

さいきん,スポーツ選手としてこの黒人差別問題のようなことに言及したりなんらかの(リ)アクションを取ることが賞賛されたり推奨されたりする(のはどうなの)というのが話題になっているようですが,(リ)アクションを取るということであれば,たとえばインタビューで話題が出た際にしっかり意見を表明するということだけでも良いというのが私の感覚です。

今大会でのマスクに関する行動や前哨戦での棄権(の表明)はプレーヤーとしてはリスクの高いものでしょう。この辺りはテニスのツアーに詳しいプロのジャーナリストの記事などに期待したいところですが(もうどこかで出ているかもしれません),特にトッププレーヤーの棄権は状況,条件によってはかなり厳しいペナルティが課される可能性もあるのではないでしょうか。また,今はweb(特にSNS)を通して選手に直接「攻撃」することも比較的容易という観点から見てもリスクは高そうです。

さいきんの黒人差別問題に対する大坂なおみ選手の行動は,自身の生業であるテニスのプレーやプロ選手としての活動そのものに負の影響を与える危険性までを考慮した上でのものであることが広く受け入れられ,その選択が尊重されると良いなと思います。

余談

ジョコビッチ選手の失格に関することもせっかくなので何か書こうかと思ったのですが,長くなってしまいましたし大したことは書けませんのでこの辺りで止めておきます。これもテニス(の技術やルール)に詳しい人のもう少し詳しい解説がwebにあると良いなと思います。

追記(2020/09/14)

ティーム選手優勝おめでとうございます!あの状況,コンディションであのパフォーマンス,素晴らしいとしか言いようがありません。