誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

はてなブログProを更新した(2年コース)

はてなダイアリーからはてなブログに移行したのをきっかけに,お試しではてなブログPro(2年コース)を使っていたのですが,さいきんまた2年延長しました。

Proにしている第1の理由は広告の消去です。私の記事は長いものが多いですし読む人(自分も含めて)が少しでも見やすいように。今は広告ブロック使っている人も多いのでしょうけれど。

それだけだともったいないのでほかのPro機能も,と思ってフリースタイルフットボール関連の情報を固定ページで作ってみたのですがなかなか作業が進まずしばらくほったらかしにしています。

さて,別館の方も結局うまく使い分けができずに更新停止していますし,はてなグループサービスの終了の際の移行も面倒でしたし,今後あまりほかのサービスに移ることは考えていないのですが(少なくともここを閉じたり消すようなことはありません),ちょっと何か書いてもいいかなと思ったサービスはありました。noteとresearchmapです。なんですが,結局以下のような理由であまり書くモチベーションが上がりません。

note

noteは専門的な内容のものを書いても良いかなと思っていたのですが,記事のエクスポートやバックアップ機能がないというのが一番のネックです。私は長文はほぼ必ずエディタアプリとかで下書きするので大きな問題はなさそうですが,ブログ系サービスは私にとって「webで(楽に)文章を置いておけるところ」という位置付けなので,やはり気になってしまいます。

フォローとかのためにアカウントは取ってあるので,ブログに一度 書いたことの修正版などを書いてみても良いかなとは考えていますが,今のところメインにはならないでしょう。

researchmap

元々,実は専門のことについては良い記事が色々あるのにあまり読まれていないという不遇なイメージがあったのですが,バージョンアップによってこれまで多くの研究者が蓄積してきた情報や文章の継続性にダメージを与えた印象が悪すぎました(ブログサービスだとこういう問題は避けられないという声もあるかもしれませんが,researchmap自体は継続しているわけで…)。

researchmap.jp

せっかくまた2年契約してしましたし,また細々と書き続けようと思います(実はこういうのも書くモチベーションの1つ)。

研究のアウトリーチ活動とか文理の対立とか(日本学術会議に関する記事への補足)

数日前に書いた日本学術会議に関する記事への補足みたいなものです。

dlit.hatenadiary.com

研究や学術のアウトリーチ活動

私が上の記事で言及した「研究や学術活動の社会との関わり方」については,かなり漠然とした表現であったために,受け取る人によって想起するものやリンクして考えることが色々あったように見受けられます。

もちろん,サイエンスカフェといったいわゆる「アウトリーチ」を明確に目的にした活動も重要だと思うのですが,私が考えている「社会との関わり方」はもっと広いです。まあつまり漠然としているわけで,それに対して具体的な例などを挙げて反応してくれた方には感謝です。

私が重要だと思っているのは,これも特別なことではありませんし,研究・学術に限定した話でもないでしょうが,(ある問題について継続的に取り組んでいて,そのための技術やノウハウを持っている集団がいることを)知ってもらうことです。

これは,研究者や専門家からしたら「そんなの「○○学者」っていう名前見れば分かるだろう」ぐらいに思う人もいるかもしれませんが,私の体感で言うと思ったより知られてないと思います。たとえば,ちょっと前に書いた「「を」の音の話」は,日本語学のかなり基礎的な話なんですが,

dlit.hatenadiary.com

web上のこの話題に関する反応やコメントを見ているとほんと知られていませんね(ほかの人文系の話題に強そうな人でも)。言語学,日本語学はそれだけ「マイナー」なんだよと言われれば返す言葉がありませんが…

ここで個人的には,あまり「教養」とか「知っているかどうか」みたいな話にしたくないのです。私自身教養のない研究者だという負い目があるということもありますが,何より研究も日々進展・拡大しているので,何が教養なのかってのがそもそも難しそうで。「この分野を専門にする/していたならこれぐらい知っておいてほしい」みたいなものはあると思いますけどね。情報の探し方とか,文章の書き方とか論理・議論の組み立て方みたいな基礎的だと思われがちなものも実はけっこう分野依存的だったりしますし。

前に書いたことがあるのですけれど,研究や学術のアウトリーチ活動としてけっこう重要で貴重な機会でもあるのが,授業ではないかと思うのです。以下引用します。

僕は専門(言語学・日本語学)の授業では、講義でも演習でも「この分野に関係のある道に進まない人たちにも、この分野の理解者となってもらうにはどうすれば良いか」というポイントを忘れないようにしています。もちろん、研究者や高度な専門的知識・技術を持った人を育てる、というのも重要でしょうけれど、そういう道には進まなかった人たちが、日常会話やブログなんかで「そういえば大学でこんなこと習った」とか「言語学っていう分野があって」などと言ったり書いたりしてくれること、そういう人たちを少しでも増やすことも、重要な「専門家と素人のコミュニケーション」の一つなのではないかと思うからです。過激な書き方をすると、適当な授業をすることで、その分野にとって不要な敵を作ってしまうことが意外とあるのではないでしょうか。
人文(社会)系の必要性と「説得」の必要性 - 誰がログ

で,この考え方はたとえばSNSの発言にも適用できるのではないでしょうか。もちろんTwitterとかで常にいろんな人の目を気にしながら発言するというのは窮屈ではあるんですけれど,私は今の状況において,職業が研究者・大学教員でそれを明言して活動・発言している以上,思わぬ言動が自分の関わる分野へのネガティブキャンペーンになり得るということはある程度考えておかなければならないだろうと思っています(それが良いか悪いかは別にして)。私も昔は(?)けっこうひどい発言もしていたので「お前が言うかよ」と思われる方もいるでしょうが,そういう経験を通してこういう考えに至ったということでもあります。

ちょっと重いことを書きすぎたような気もしますが,アウトリーチ活動自体は,たとえば自分が専門の関係上たまたま知っている文献の情報なんかをTwitterに書くとかできることは色々あると思います。ただ「これ読んでみて」って言うメッセージ自体が「上から目線」のように言われることもあるようで,さすがにそれはつらいですね(言い方にもよるでしょうが)。

「人文」対「理工」みたいな対立

この問題が出てきたときから心配していたのですが,やはり「人文(社会)系は」「理(工)系は」みたいな対立の話が出てきているようです。

私は不毛な対立があまり好きではない質なので(平和主義というわけではなく,ケンカする技術やエネルギーはできるだけケンカすることが必要なことに費やしてほしい),折に触れそういう主旨のことを書いています。関連するものとして,「理系文系」についてはたとえば下記の記事など読んでみてもらえると嬉しいです。

dlit.hatenadiary.com

今回の学術会議絡みでも,たとえば業績評価の話題(Scopusのやつとか)では,理工系の人たちからも問題の指摘や批判がされていましたので,「理工系は人文系のことを知らない(で文句を付ける)」みたいな話で一般化しない方が良いと思うのです。そういう人が実際にいたというのは事実であったとしても。

「人文」や「理工」と括ったとしても,各分野によってさまざまですよね。時には「○○学」の中でも研究の方法論や対象によって研究手法とか業績の形が異なっているなんてこともあります。そういう事情を分野外の人向けに発信するのも,アウトリーチ活動の一環なのではないでしょうか。

dlit.hatenablog.com

「人文」「理工」の対立とは違う話ですが,今回はふだん政府や自民党に親和的だったりほかの問題では「サヨク」「リベラル」*1と呼ばれる人たちに対して厳しめな人たちでも日本学術会議の問題に対する政府の対応や姿勢を批判したり説明は必要と言ったりしているのを見かけます(私の観測範囲では)。そういう人たちたその態度(だけ)をもって「サヨク」「リベラル」といった扱いを受けているのを見ると心配になりますね。そういうことが起きてしまうぐらい今回の件は明確に問題だということだと思うのですが。

*1:ふだんはできるだけこういう名称を使うのを避けているのですが今回はほかに書き方がありませんでした。

日本学術会議の任命拒否の件について40代人文系(たぶん)研究者の雑感

追記(2020/10/12)

補足記事を書きました。

dlit.hatenadiary.com

はじめに

当初,この問題が出てきたときはここまで多くの人の興味を引くとはまったく予想していなかったので驚いているというのが正直なところです。そのおかげか,日本学術会議の位置付け,性格や歴史,今回の件の法的,手続き論的な問題点などについても詳しい人が色々説明や情報発信をしてくれていて私自身改めて勉強になったことも多いです。さいきん情報が多すぎて追いかけきれなくなってきましたが…

私の方で新しく付け加えられる新しい情報や議論はないのですが,1人の研究者/大学教員(助教)としてはやはり何か書いておきたいと重い,ある体験談を中心にいくつのことについて書き散らすことにしました。

この記事だけ読む人もいるかもしれませんので簡単に自分について書いておくと,言語学,日本語学が専門の研究者/大学教員です。今までも何度か「人文系」について書いてきた体験から言うと,実は言語学はどうも「(王道の)人文系」に入るかどうか人によってけっこう判断が違うという実感があります。ただ,制度的には「人文系」に入れられることが多いですし,日本学術会議関連で言っても,たとえば総会では「第一部(人文・社会科学)」,分野別委員会では「言語・文学」が一番関わりが深そうなところですのでタイトルでは「人文系」を自称しました。

問題について簡単に

政府は今回の任命拒否の理由や事情について,できるだけ詳細に説明するべきだと考えています。たとえ今回拒否された一人一人について個別の説明が難しいとしても,具体的な基準や理由を示すべきでしょう。それが研究業績なのか過去の何らかの活動なのか,それが何であるにせよ明らかにならないままずるずるなんとなく事が終わるとまずいのではないでしょうか。

手続きや法的な点での問題はすでに多くの人が指摘していると思いますが,やはり研究・学術に関わるところではnext49氏が指摘している次の問題が気になるところです。思ったよりはてブ数のびてなかったので紹介しておきます。

next49.hatenadiary.jp

今回は「人文系」に焦点が当たっていますが,こういう非明示的な根拠に基づく任命拒否が可能だとすると,ほかにも様々な件で好き勝手な介入ができちゃうのではないかというのが心配なのですよね。

いわゆるニセ科学問題関連で言うと,日本学術会議は「「ホメオパシー」についての会長談話」というのを出していて明確にその問題点を指摘していますが(下記のページの中央よりやや下「会長談話」のところにあります),

www.scj.go.jp

こういうニセ科学に否定的な,あるいは批判的な提言等を行った研究者を任命しないといったことも可能になるわけですよね,しかも具体的な理由や説明抜きで。たとえば今後ニセ科学に親和的な政治家が首相や文部科学大臣になって,そういう介入を許すきっかけを与えてしまうことにならないでしょうか。

私はぱっと思い浮かんだのがホメオパシーの件だったのですが,皆さんも自分の身近な問題に引きつけて考えてみてはどうでしょうか。自分の分野や立場に限ってそんなことないと思うかもしれませんが,今後首相も政権も変わるのですよ。まずい手続きの方法や抜け穴的なやり方はできるだけ残さないようにするのが,あらゆる立場の人にとって結局は良いのではないかと思います。

日本学術会議と研究者/大学教員

さいきんのwebを見ていると日本学術会議は学術界のトップに君臨する強大な権力/権限を持った組織という感じさえしていますが,私が抱いている印象はだいたい一貫して「実はけっこういろいろ活動してるのに存在感薄いよな…」というものです。ちなみに何やってるか分からない的な意見もけっこう見かけましたが,サイトでこれまでに出された提言や議事要旨など丁寧に紹介されてますよ。

www.scj.go.jp

トピックによっては特定の提言や談話などが話題になるのはこれまでも見てきましたが,大学教員をやっていて(といってもまだ10年ぐらいですが),ふだんの業務の中で日本学術会議の活動がなんというかそこまで身近だったことがありません。会議とかでイベントや提言が紹介されたりはするんですけどね。

日本学術会議に関して私が強く印象に残っているのが,以前下記の記事に書いたイベントに参加した際,ほかの複数の研究者/大学教員から「真面目だね」といったなかば揶揄するようなことを言われたことです。そこまできちんと確かめたわけではないのですごく軽い冗談だったのかもしれませんが,こういう言及が冗談になることもよく考えたらあまりよろしくないことのように思います。

dlit.hatenadiary.com

私もこの後は結局1, 2回イベントに参加したり,提言等も気になるものについては目を通したりするぐらいなのであまり偉そうなことは言えないのですが,どうも専門の研究に関わるところ以外の活動に自主的に関わることを忌避したり,ちょっと強い言い方ですが馬鹿にするような雰囲気ってのがどうも一部にはあるようなのです。これは大学院生の頃から感じていましたが,今でも感じる機会はそこまで少なくはありません。もちろんこれは分野や研究者によってだいぶ温度差があるようではあります。

でもそういう「政治的なこと」(ここでは社会との関わり方ぐらいの意味です)にうまく取り組めなかった/取り組まなかった結果として,今の研究界・学術界の窮状があるというようなことはないのでしょうか。

私は研究者の(第1の)代表的組織が日本学術会議ではなくてはならないとはまったく思いませんが(ただ現状ある組織をうまく使えた方が良いのでは,ぐらい),研究者や大学教員はほかの活動や組織,社会とどのように関わるのかというようなことについてさらに自主的,積極的に関わらないと今後さらに悲惨なことになるのではないかという不安がここ数年でさらに強くなりました。いろいろ活動や試みがあるらしいことは目に/耳にしますし,実際にやるととても難しいのでしょうけれど。

どう関わる?

偉そうなことを書きましたが,私自身,それほど具体的な活動をしているわけではありません。時々署名とかイベントに参加するとかぐらいですね。

1つ,研究者や大学教員の皆さんにおすすめしたいこととしては,自分の研究分野や領域についての具体的な説明や情報の提供をするということがあります。形としては,webに何か書くとか,授業で関連する話題が出てきたときに話すとか,色々な機会があるでしょう。

今回も業績評価のことが話題になっていますが,こういうことは折に触れ説明し続けるのが良いと思います。むしろ良い機会だと思って。下記の件の時にも書きましたが,「人文」「理工」とかの中でも論文や業績の位置付けはさまざまなのです。

dlit.hatenadiary.com

今回の件も,論点が拡散してしまうのは良くないという意見もあるかと思いますが,学術活動や学術に関する組織のことなどを他分野の人やこれまであまり興味のなかった人に知ってもらう(少なくとも情報に触れてもらう)良い機会だと思うのですよね。

研究者や大学教員は,授業や講演といった活動があるので自分の専門のことを「聞いてもらえる」機会に比較的恵まれているためかこの辺りの感覚が麻痺しがちだと思うのですけれど,本来,何か活動をしたり情報発信をする上でまず「聞いてもらえる機会に恵まれる」こと自体,大変だと思うのですよ。

しかも,各研究分野が発達し,新しい研究分野や研究トピックもどんどん出てきている状況では,隣接領域に関わる人たちに自分たちのことを知ってもらうことの重要性・必要性自体も高くなっているのではないでしょうか。

愚痴ったり怒ったりしたくなる気持ちも分かります。でも,一部の人で良いので,気が向いたらぜひ丁寧な説明なども書いてみて下さい(もちろんすでにやっている人もいることは知っています)。たださいきんのwebだとそういう丁寧な文章や情報はかえってバズらなかったりして徒労感あったりするんですけどね。それでも必要なことだと思います。